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rev3-32 我が名は

 空気が湿っていた。


 若干鬱陶しいと思った。


 でも、その一方でひんやりとした冷気のようなものが漂っていた。


 底冷えするような、とてもとても冷たいもの。


 それが全身を覆っている。


 鬱陶しい湿気と底冷えする冷気。


 その両方を感じながら、私は薄らとまぶたを開いた。


 真っ先に見えたのは、見覚えのない鉄格子だった。その先にはやはり見覚えのない真っ白な壁がありました。


 壁は汚れひとつもないほどに真っ白で、きれいではあるのだけど、どこか寒気を感じさせてくれました。


 あまりにも真っ白すぎて、それがかえって怖かった。


 どうしてそう思うのかはよくわからないけれど、目の前の光景が私の心を蝕んでいるのはたしかでした。


「……ここ、は」


 頭の中がひどくぼんやりとしていた。


 思考自体はできているけれど、その速度はとてもゆっくりとしたものになっているからか、どうしてここにいるのかという答えにたどり着くことができないでいる。そもそもの話、ここがどこなのかさえもわかっていないわけですけど。


「……なにが、あったんだっけ?」


 ぼんやりと思考を巡らしながらも、とりあえず周囲を見渡そうと頭を動かそうとしたら、不意にじゃらという聞き慣れない音がすぐそばから聞こえてきた。


「……え?」


 視線を音の聞こえた方へと向けると、そこには鉄製の首枷が見えました。いや、首枷だけじゃない。よく見れば、両方の手首と足首にもそれぞれ枷が見え、その枷に鎖で繋がれていた。おそらくは首枷も鎖で繋がれているであろうことは間違いありません。


「なに、これ?」


 通常、首枷などの拘束具というものは、罪人に対して使われるものです。中には奴隷の逃亡防止用のためでもあるけれど、どちらにしても一般的には使われることのない代物でした。その一般的ではない代物によって私の体は拘束されていた。


 その事実を理解すると、不意にいままでのことを、気を失う前のことが鮮やかに蘇りました。


「……そうだ。ルクレティア陛下に」


 そう、私はルクレティア陛下に問いただしたのです。レンさんに催淫の魔法を使用しているのではないかと。レンさんがいる前では聞けないことを、ルクレティア陛下に尋ねたのです。その返答は──。


「ふふふ、ご名答。いやぁ、よかった。廃人にでもなってしまうんじゃないかと、ヒヤヒヤしていたけれど、問題はなかったみたいだねぇ」


「っ、誰ですか?」


 ──ルクレティア陛下とのやり取りを思い出していると、今度は聞き慣れない声が聞こえてきたのです。


 正確には、聞き慣れた声に、ルクレティア陛下の声によく似ているけれど、ルクレティア陛下の声に甘ったるさを付け加えたような声でした。それでいて、どこか倒錯的な響きがありました。まるで人を堕落させることに生きがいを感じているような、そんな響きの声。


 その声は、真っ正面から聞こえてきた。正面を見遣ると、そこにはいつのまにか、見知った顔とよく似たひとりの少女が立っていました。


「……ルクレティア、陛下?」


 そう、そこにはルクレティア陛下を思わせる少女が立っていたのです。顔立ちはルクレティア陛下そのもの。けれど、髪や瞳の色が若干異なり、ルクレティア陛下よりも色の濃い青い瞳と髪を持った、かわいらしいという印象を抱かせてくれる少女でした。


 そう、かわいらしい。かわいらしいのだけど、どうしてでしょうか。目の前の少女を見ているだけで、私は全身に寒気を感じました。目の前にいる少女を直視してはいけない。いや、頭を上げること自体が不敬であるという本能からの訴えがあったのです。


 なんで本能がそんな訴えをしているのかはわからない。


 けれど、そう思わせるようななにかが、目の前の少女からは感じられた。その意味も理由さえもわからない。わからないまま、私は視線を下げていました。そうしないと精神を保っていられない気がしたのです。その理由も意味もやはりわかりませんけど。


「んぅ? あぁ、そうか。ボクから立ち上る神気のせいか。ごめんごめん、最近あまり人と会っていなかったからね。最後に会ったのは、あの雌を犯しに行ったときだったっけ。傑作だったなぁ。普段おすまし顔のあれの泣き顔は。ついついと興が乗って犯しちゃったし」


 あははは、と少女が笑う。話の内容はいまひとつ理解できないけれど、どうやら声だけではなく、倒錯的な趣味嗜好の持ち主であることはいまの話だけで理解できました。一言で言えば──。


「ゲスとボクを言うのかい? アンジュ」


「っ!?」


 ──ゲスであると断じようとするよりも速く、目の前の少女は私が考えていたことを口にされました。


「なにを驚いているんだい? 驚く必要はないだろう? ボクのことは君も知っているだろうに。いや、ボクだけじゃないね。ボクらのことはこの世界に住まう者たちは誰もが知り、そして誰もが敬っている。ボクらはそういう存在だからね」


 驚愕としている私に少女はたたみ掛けるように、淡々と声を掛けていく。その内容は彼女が特別な存在であると言っているようなものでした。それも世界規模での特別な存在。世界で知らない者がいない存在。思いあたるのはひとつだけ。


 けれど、それはありえないことです。彼の方々は人の姿をしてはいないのです。だからこそ、彼の方々はその名で呼ばれているのです。神の名を冠した6体の偉大な存在。その名は──。


「なぁんだ。わかっているじゃないか、アンジュ。そう、ボクは六神獣が一尾。水を司る者にして、この国の後見人。我が名はリヴァイアサン。そしていまは海王リヴァイアサンと名乗る者」


「神獣様が、海王?」


 告げられた言葉は、あまりにも信じられないものでした。


 相手が神獣様であるということ自体が信じられないというのに、その方がまさかの海王と名乗った存在だとは思ってもいませんでした。


 でも、たしかにモルガンさんが見せてくれた人相書きと、目の前にいる方は同じ見た目をしていました。あの人相書きがでたらめではない限り、この人が海王であることは間違いない。ただ、本当に神獣様であるのかはわかりません。


 けれど、本当に神獣様であれば、自身の名前をリヴァイアサンと名乗るのも当然なことです。なにせご自身の名前なのですから、名乗るのは当然のことです。逆にご本人でないのであれば、神獣様のお名前を使うのは不敬にもほどがあります。


 となれば、やはりこの方こそが神獣様にして、海王であらせられる方なのでしょうか。でも、疑問はあります。なんでこの方は──。


「ルクレティアに似ているのかと聞きたいのかい? まぁ、知らないとわからないよねぇ。一応言っておくけれど、あの子に似せてこの体を作った~とかじゃないぜ? この体はもともと別の子の体でねぇ。つい少し前に手に入ったんだよ。かわいいだろ?」


 ──また考えていることを読まれてしまいました。


 神獣様はとても嬉しそうな声色で、はしゃいでいるような声でご自身の体に触れられていました。ですが、その内容は笑い話にすることはできないものでしたが。


「手に入ったって」


「んぅ? あぁ、少し前にね。この子を殺したんだ。ボクの力が必要になったみたいだったから、手を貸してあげたのさ。その代償にその命を貰ったのさ。まぁ、殺してすぐは胸のあたりが真っ黒な痣で覆われていたけれど、きれいに治してあげたんだ。だってボクのものなんだから、きれいにするのは当然だろう? まぁ、その痣を施したのもボクだけどさ」


 あはははと神獣様は笑いながら、ご自身の胸元を指差されました。その服は真っ白なドレスでした。胸元は大きく開いていましたが、そこには仰るような真っ黒な痣などどこにもありはしませんでした。年齢のわりに、14、5歳くらいに見える年齢にしてはふくよかなふくらみしか見えませんでした。


「ふふふ、ボクの胸をじっと見つめているけれど、君はなかなかにスケベな子だねぇ。あ、そっか。神気を垂れ流しているから、ちゃんと顔が見えないのか。じゃあ、こうしよう」


 ぱちんと神獣様が指を鳴らされると、全身に感じていた寒気がふっと消えてなくなりました。同時に私は喘ぐように、大きく肩を上気させていました。そんな私を見て神獣様はあはははとまたおかしそうに笑っていた。


 ちらりと顔を上げると、そこには楽しそうに笑う神獣様が、ルクレティア陛下によく似た顔立ちの少女の姿をした神獣様が笑っておいででした。でも、その笑顔はルクレティア陛下のそれとは比べようもなく、邪悪という言葉が似合うものでした。


 ルクレティア陛下は私にはわりと辛辣ですし、邪険にもされていましたけど、あの方はこんな顔で笑う方ではありません。あの方はレンさんやベティちゃんの前では、とてもきれいな顔で笑える方。心の底から幸せを噛み締めているような、そんなきれいな笑顔を──。


「へぇ? ルクレティアはそんな生き生きとした顔で笑えるのかい? 意外だなぁ。あのときは泣きじゃくってばかりで、まともに奉仕さえもできないようなグズだったのにねぇ」


 ──神獣様の言葉は、そのきれいな笑顔を消してしまうものでした。花が咲くような、とてもきれいな笑顔がその言葉で一瞬で色褪せてしまいました。


 けれど、その言葉を私は受け入れることはできませんでした。いや、受け入れるどころか、信じることができず、「いま、なんて?」と聞き返していました。すると、神獣様はにやりと口角を上げて笑われました。その笑顔はやはりとても邪悪なものでした。

 

「うん? わからないかぁ。はっきりと言うと、あの子の処女を散らしたのはこのボクさ。だというのに、あの子ときたら、せっかくこのボクが破瓜を為してあげたってのに、嬉しがるどころか、泣いて嫌がってばかりだったよ。いまでも思い出すよ。「嫌ぁ」とか「やめてぇ」って叫びながら、髪を振り乱して泣きじゃくるあの子の姿は、とてもとても面白かったなぁってさ」


 あははは、といままでになく高笑いをする神獣様。その高笑いを聞きながら私が思ったのは、この人はゲスでも外道でもない。ただただ残忍なのだと。神聖なる存在なんかじゃない。この人は邪悪そのものなのだと。


「んぅ? 君ってば、なかなか面白いねぇ。まさか、このボクを前にして邪悪なんて思えるなんてね。その胆力はさすがと言いたいね。さすがは彼女の血筋だけあるな。でも、ひとつ君の間違いを正そうか」


 神獣様が彼女と言うのが誰なのかはわからなかった。神獣様もそのことをそれ以上は言われなかった。ただ、神獣様は私の間違いを正すと言われました。いったいなにを言おうとされているのでしょうか。


「君はボクが残忍だと言うが、ボクがそうなったのはそもそもの原因はルクレティアの血筋にあるんだぜ? 彼女の先祖であるレイアーナが悪い。あのクソ女がボクからレリアーナを奪い取るのがいけないのさ。だから、ルクレティアを始めとした、あのクソ女の血筋の連中には贖罪をさせている。奴らの先祖が為した大罪の償いをさせているのさ」


 神獣様の目が血走ったものに変わりました。同時に先ほどまで感じていた寒気よりもはるかに強い寒気。いや、殺気とでも言えばいいのでしょうか。とても重苦しいものが私の全身を覆い尽くしたのです。


「あの子を犯したのも償いの一環さ。あの子の先祖が為した罪はそれだけ深いものだ。だから徹底的に犯したよ。あの子の臣下の前で、ボロボロになるまでねぇ」


 目を血走らせながら、神獣様が口角を上げて笑われました。その笑顔はやはり邪悪だった。残忍にして邪悪。本当にこの人は神獣様なのかと言いたくなる。それほどに目の前にいる方からは神聖さの欠片さえも感じることができなかった。


「おいおい、いま言ったばかりじゃないか。悪いのは連中だよってね。しょうがない。話してあげるとしようか。あのクソ女がボクになにをしたのかを、ね」


 笑みを消して神獣様は語られました。それは気が遠くなるほどの昔の話。神代と呼ばれる時代が終わって間もない頃の話でした。

次回過去話です

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