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rev3-31 奔流に身を晒して

 日がいつのまにかに沈んでしまっていた。


 空はすっかりと眩い星々の光に彩られている。


 その星空の下は、いまやとても騒がしいものと化していた。


 けれど、その騒がしさは決して嫌なものではなかった。


 かつてであれば、忌々しいとさえ思えていただろう光景だが、いまは不思議と忌々しいとは思えなかった。


「ばぅばぅ、おいしーものいっぱいなの」


 隣を歩くベティが嬉しそうに尻尾を振っている。片手に先ほど買った菓子が、水飴で様々な果物を包んだものが握られており、それをベティは美味しそうに頬張っている。その姿はとても愛らしく、我とは逆側の隣を歩くイリアは微笑ましいものを見つめるようにベティを見遣っていた。


 そしてそれはイリアだけではなく、我らとすれ違う者たち皆が同じようにベティを見遣っているのだが、当の本人は水飴の菓子を夢中に食べ進めているため、周囲の視線にまるで気付いていなかった。それがよりベティの愛らしさを強調していた。


 グレーウルフであるはずなのに、狼の魔物であるはずなのに、いまの姿は狼というよりもかわいらしい子犬だった。……ベティに聞かれたら怒るだろうから口にするつもりはないが。

 とはいえ、ベティがかわいらしいのは事実だ。我の中で眠っているカティもまたベティを愛らしく感じているようだった。


(初めて会ったときは、まだ舌っ足らずな幼子だったのに、すっかりと姉になってしまっているものな)


 カティが一度表に出てきたとき、カティは姉として振る舞っていた。我が最初にあの子と接触したときとは、まだ舌っ足らずな幼子だった頃からでは考えられないくらいに、しっかりとした姉として振る舞ってくれていた。それが我にはとても誇らしかった。


(ベティもいつかカティのように、誇らしい姿を見せてくれるのかな?)


 子供の成長は速い。カティの場合は、我のせいで子供でいられた期間が短くなってしまったが、ベティだけはゆっくりと成長してほしいものだ。駆け足で大人にはなってほしくないと思う。


 だから、いまのままのベティでいてほしい。


 どうせ、嫌がったところで、いつかは誰しも大人にはなってしまうのだから。なら過ごせるうちは、できる限り子供のままでいてほしいと我は思う。無邪気に一日一日を楽しく過ごして欲しいと思う。


「はい、ルリおねーちゃん」


「んぁ?」


 ベティの成長についてを考えていたら、いきなり目の前に水飴の菓子を差し出されてしまった。あまりにも唐突すぎて変な声を出してしまった。だが、当のベティはじっと我を見つめながら水飴の菓子を突きつけてくるばかり。……どうしたらいいのよ、これ。


「えっと、ベティ?」


「ばぅ? たべないの? おいしーよ?」


 ベティはこてんと首を傾げながら、菓子が美味しいことを伝えてくれる。うん、美味しいというのは言われずともわかる。なにせ、口の周りが水飴でベトベトに汚れておるからの。イリアが苦笑いしながら、ベティの口周りを拭き出すほどにだ。甲斐甲斐しいのうと思いつつも、気にせず食べろと言ったが、ベティは「でも」となぜか菓子を引っ込めなかった。


「ルリおねーちゃん、ベティのことじーっとみていたの。だからたべたいのかなっておもったの。おいしーものは、みんなでたべたらもっとおいしーもんね。だから、ルリおねーちゃんにもあげるの」


 ベティは笑った。口角を上げて穏やかにその表情を変化させて笑っている。その笑顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……そうさな。皆で食べる飯は美味いものな」


「ばぅん。みんなでごはんはおいしーの」


 にこにこと笑いながら、「だから、はいなの」と菓子をより突き出してくるベティ。そんなベティに苦笑いしつつも、我は折角だからと突き出された菓子を一囓りする。口の中で甘い水飴と瑞々しい果実が合わさり、優しい味がゆっくりと広がっていく。


「どー? ルリおねーちゃん」


「……うん、我には少し甘いけれど、美味いのぅ」


「ばぅん。よかったの」


「あぁ、ありがとうな、ベティ」


「ばぅ!」


 無邪気に笑うベティの頭をそっと撫でると、ベティは尻尾をいままでよりも大きく振り始める。そういうところが子犬らしいのだけど、まぁ、いまさらではある。


 しかし、この菓子はたしかに美味いと言えば、美味いのだが、大量に作り置きするためか、若干味はチープなところがある。それでも食べる環境というべきか、付加価値とも言うのかな。そういったものが影響してくれているからか、チープさはあまり気にはならなかった。


 ここ最近の食事事情を考えれば、このチープさはかえってベティのツボに入るのも納得できるというものだ。


 なにせ、ここ最近の我らは豪華絢爛と言えばいいのかのぅ。二カ国続けて国主と早々に出会い、客人として迎えられているのだ。ゆえに衣食住のランクで爆上がりとでも言えばいいのか。コサージュ村での日々では考えられないほどの贅沢三昧だ。


 特にベティにおいては、口に入れるものすべてが、ベティのためだけに厳選に厳選を重ねられたものばかり。当然舌は日々肥えているはずなのだが、ベティは出店のメニューのような、若干チープなところもあるであろうものでさえ美味しそうに食べている。


 普通贅沢極まる食事ばかりしていたら、基準が徹底的に上がってしまうはずなのだが、ベティの基準は見たところ上がっている風には見えない。無論、最高品質のものばかりを食べているから、上限はとんでもなく高くなってはいるが、その上限に合わせて下限も高くなるということにはなっていないのが不思議ではある。


 現に、アンジュ殿なんて二カ国続けての贅沢三昧のせいで上限に合わせて下限が高くなってしまっているほどだ。まぁ、わからんでもない。コサージュ村という辺境で育った彼女にしてみれば、首都でかつその中でも最高級のものが揃う王宮での贅をこらした食事なんて、夢にも見たことがない日々であろうからの。


 そうなれば、当然舌は肥えてしまうし、許容範囲となる下限も自ずと上がってしまうものだ。ただ、それはあくまでも舌が肥えてしまったということであり、体までもが贅沢に慣れ親しんでいるというわけではない。


 なにせ、ここ最近は食前と食後に薬を飲んでおるようだし。大方、()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()()()。だが、その一方で日々舌は肥えるばかり。あれはあれで大変であろうなぁと我は思うが、どうにもしてやれんのであえて放っておいている。


 放っておくのも悪いかとは思うが、イリアが「私が面倒を見ておきます」と言われているので、我としてはこれといって、なにかするつもりはいまのところはない。


 というか、我にしてみれば、贅沢も貧相も関係ない。元神獣であるからこそ、料理の質が上下しようとも我にはさして影響はない。贅沢に慣れているイリアはもちろん、この世界では名士に数えられていたレンも特に問題はなかった。


 問題があるとすれば、アンジュ殿とベティくらいだったが、そのアンジュ殿は同室の誼だからか、イリアがいろいろと面倒を見ているので問題はなかろう。食前と食後の、()()()()()()()()()()()を飲んでいれば、胃腸の問題はそのうち解決するであろう。


 時折悲壮な顔で食事を取っている姿は、若干、いや、少し滑稽に見えるが、それはそれで彼女の魅力であるからのぅ。本人に聞かれたら、「そんな魅力なんていりません」と言われそうだが。


 そんなアンジュ殿とは違い、ベティはいまのところ、贅沢三昧をしているのに、これと言った変化は見受けられなかった。元はただのウルフであるはずなのに、ここ最近の贅沢三昧で体調の変化等もないというのは少し気になるところだ。


「のぅ、ベティや」


「ばぅ?」


「最近、贅沢三昧だが、体の調子は変わらぬのかのぅ?」


「ばぅ?」


「あー、つまり、お腹が痛くならないのかってことだ」


「ぜんぜん、だいじょーぶなの。()()()()()()()()()()()()にくらべたら、いまはおいしーものいっぱいだから、すごくすごくたのしいの」


 ベティは笑いながら言った。そう、笑っているのだが、その笑顔は少し前とは違い、ほんのわずかな翳りがあったし、ほんのわずかにだが、その身が震えていた。我はなにも言わず、そっとベティを抱きしめた。


「ルリおねーちゃん?」


「……なんでもない。ただ、少し、立ちくらみが、あー、少しふらっとしただけだ。すまないが、しばらくこうしてもいいかの?」


「ばぅ、もちろんなの。ベティにおまかせなの」


 むふぅと鼻息を荒くしてベティは頷いてくれた。頷きながらも、やはりその身をほんのわずかに震わせていた。我らと出会う前。それが()()()()を差しているのかなんて、その様子を見れば考えるまでもないことだ。


 腐りきった死体を延々と喰わされ続けたのだ。蛆が這う一族の亡骸を食べ続けた日々が、ベティの体を強くさせてしまったのだろう。いや、それどころか、味覚にも大きな影響が出てしまっているのかもしれない。それこそ、ベティにとってみれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 もっと言えば、ベティにとっては王族が食べる最高品質のものも、物乞いが口にする最底辺のものでも同じ食べ物という括りでしかないのだろう。蛆が這う腐ったものでなければ、すべて等しくおいしーものになっているのだろう。


(アンジュ殿も難儀だとは思ったが、ベティはそれ以上かの)


 どちらも我にしてやれることはない。むしろ、なにをしてやれるというのだろうか。


「あ、おいしそーなのあったの。イリアおねーちゃん、ルリおねーちゃん、あっちいこ!」


 ベティは目をきらきらと輝かせていた。その視線の先にあったのは、プクレに使われるバルナをチョコで覆ったものだった。たしかに美味そうと言えば美味そうだろうが、そこまで目を輝かせるほどのものでもない。


 けれど、ベティにとってはどんなものでもごちそうなのだ。蛆が這う腐ったものでない限り、すべて等しくごちそうなのだ。そのありようはただただ胸を痛ませてくれる。


「……そうですね。行きましょうか、おふたりとも」


 イリアもほんのわずかに声を詰まらせていた。イリアも同じ結論に至ったということなのだろう。だが、あえて顔には出していない。ただ、哀れむような目でベティを見つめている。不躾すぎるとは思うけれど、ベティはその視線には気付いていない。ただただ視線の先にあるごちそうに夢中になっていた。


「……そうさの。行こうか」


「ばぅん!」


 嬉しそうに鳴き声を上げるベティ。そのすがたはただただ愛らしい。悲しくなるほどに愛らしかった。そんな愛らしい孫娘のような彼女と手を繋ぎながら、彼女が欲するごちそうの元へと向かう。なにもしてやれぬ我にできることはそれだけだった。それだけしかできない自分自身が情けなかった。


 けれど、どんなに自責の念を抱こうとも現状はなにも変わらない。


 星空は相変わらず眩い。


 その星空の下も相変わらず騒がしい。


 我らがいる環境はなにも変わらない。


 それでも、心の中は少し変わってしまった。


 その変化がどうしようもなく悲しかった。


 けれど、どんなに悲しんでも我にはなにもできない。


 なにもできないまま、様々な感情の奔流に身を晒し続けることしかできなかった。身を晒しながら、掌から伝わるぬくもりを、温かくも悲しいぬくもりを決して手放さぬように掴む。それがいまの、これからの我にできることなのだと思いながら、愛おしきもの(哀れなもの)とともに歩んでいった。


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