rev3-29 人違い
リヴァイアスの「フェスタ」で出店されていたプクレの屋台は、アヴァンシアの王国祭でも出店されていたのと同じ屋台でした。
当然、出店されている屋台のご亭主さんは同じ方でした。ご亭主さんは驚いた顔を浮かべられていました。この国で会うことになったことに対してなのかと思いましたが、どうにも様子が違っていました。なにせその目はどうしてかルクレティア陛下にと釘付けになっておられたのですから。
「どうかなさいまして?」
ルクレティア陛下は、ご亭主さんに見つめられていることに不思議そうに首を傾げられましたが、その反応にご亭主さんは「え?」となぜか困惑されていました。
「お、憶えておられませんか? 私です。ゼーレ親方の元で一時修行させていただいていたドアンです。お小さいときのお嬢さんの遊び相手もしていたのですが」
ご亭主さんこと、ドアンさんはルクレティア陛下にとご自身のことを語っておいででしたが、当のルクレティア陛下はドアンさんの言葉にかえって困惑されておいででした。無理もないとは思います。だって、ドアンさんが語られていることは、ルクレティア陛下ご自身になんら関係のないものなのですから。
逆に言えばです。それだけルクレティア陛下はドアンさんの語る「お嬢さん」に酷似しているということ。レンさんが時折、ルクレティア陛下を見つめる際に、遠くを眺めるように目を細められている理由が、その言葉で理解できてしまいました。
「えっと、大変申し訳ないのですが」
「あ、あぁ、いえ、失礼しました。当時のお嬢さんはまだお小さかったですから、憶えておられないのも無理もないですね。申し訳ありません。ですが、悪い噂でよかったです。お嬢さんが亡くなられたと聞いたときは、気が気でなくなってしまって」
ルクレティア陛下はやんわりと人違いであることをお伝えしようとされていましたが、ドアンさんはどうにも勘違いしてしまった模様です。憶えていないくらいに小さい頃に出会ったっきりだからとルクレティア陛下のお言葉を解釈してしまったようです。
そんなドアンさんにルクレティア陛下はどう言えばいいのかわからなくなっておいででした。ですが、事情を知っているであろうレンさんやイリアさん、ルリさんも言葉を選んでいるのか、それともどう言えばいいのかわからないでいるようで、沈黙を保っていました。
「生きていてくださって、本当によかったです。とても嬉しく──」
「──ドアンさん、人違いです」
ドアンさんは目尻に涙を浮かべながら、「お嬢さん」の生存を喜んでいることをルクレティア陛下に伝えようとした、そのときでした。レンさんが沈黙を破り、はっきりと人違いであることを伝えられたのです。
その言葉にドアンさんは一瞬理解できなかったようで、「え?」と呆然とされていましたが、すぐに「お人が悪いですね」と苦笑いされていました。
「だって、この方は明らかにお嬢さんで」
「いえ、彼女はプーレリアじゃないです。彼女の名前はルクレティアです。この国で最も有名な女性ですよ」
「有名な女性? ……もしや?」
「ええ、そのもしやです。だから、彼女はプーレじゃない。よく見てください。……とてもよく似ているけれど、たしかに違うでしょう?」
右拳をぎゅっと握りしめながら、レンさんはドアンさんに穏やかに語りかけていく。ドアンさんはルクレティア陛下をじっと眺め、そして違いに気付かれたようで、ゆっくりと項垂れました。
「……申し訳ありません。私の勘違いでございました」
ドアンさんは項垂れながらも、ご自身の誤りを謝罪されました。ルクレティア陛下は「いえ、お気になさらずに」と微笑まれました。その微笑みを見て、ドアンさんは「……似ておられますが、やはり違いますな」とどこか寂しそうに呟かれました。
「お嬢さんとここまで酷似されている方がいらっしゃるとは思っておりませんでしたので」
「重ねて言いますが、お気になさらずに。似ている方は世界に何人かいらっしゃると言いますので」
「そう、ですね。たしかにそうと言いますが、まさか、その方が」
ドアンさんはあえてその先の言葉を飲み込んだようでした。続く言葉がなんであるのかはおおよそ予想できるものでした。他人事で言えば、そういうこともあるなと一言ですむことですが、自分の身で置き換えれば、そういうこともあるなとは言い切ることはできません。
とはいえ、見知った相手とそっくりな人がその国の王様だったなんてケースは早々ないでしょうけど、その早々ないことがドアンさんの身には起きたのです。その胸中がいかようなものなのかは私には想像しかできません。
ルクレティア陛下もご自身には関係ないと理解されていても、ドアンさんの様子になにか言葉を掛けようとされておいででしたが、実際になんて言うべきなのかを迷っておられるようで、なんとも言えない沈黙の時間が流れていきました。
「おはなし、おわった?」
ですが、その沈黙の時間はきゅるるるというかわいらしいお腹の音とベティちゃんの一言で終わりを告げました。
「え、あ、あぁ、そうだね。たしかに終わりかな」
ドアンさんはベティちゃんの言葉に頷かれました。実際それ以上に話を発展されることは難しかったですから、終わりと言えば終わりと言える状況ではありました。するとベティちゃんは嬉しそうに微笑まれました。そして──。
「じゃあね、じゃあね、ベティ、きょうはベリロクリームとふつうのクリームのりょうほうがいいの!」
──ご自身の注文をされてしまうのです。ドアンさんはこの状況で注文されるとは思っていなかったようで、「へ?」と唖然とされていました。それはドアンさんだけではなく、ルクレティア陛下はもちろん、イリアさんやルリさん、そして私も同じでしたが、レンさんだけはベティちゃんの言葉におかしそうに笑われました。
「おとーさん? どうしてわらっているの?」
いきなりレンさんが笑い出したことに、ベティちゃんは不思議そうにこてんと首を傾げられました。そんなベティちゃんにレンさんは「ごめん、ごめん」と謝りながら、ベティちゃんの頭にそっと手を置かれました。
「ベティはかわいいなと思っただけさ。えっと、ドアンさんでしたね。注文いいですか?」
「あ、はい。大丈夫です。問題ないです」
「そうですか。では、ベティは両方のクリームがいいって言っていたけれど、それって二つ食べるってことかい?」
「ばぅん! こんかいはベティもふたつにチャレンジするの!」
胸を張りながら、ベティちゃんは若干鼻息を荒くしていました。どうやら前回の王国祭で私が両方のクリームのプクレを食べたことが起因のようですね。そういえば、あのときレンさんにひどいことをいわれてしまったのですよね。
「……よく食べるくせに、胸にはいかないとかレンさんに言われましたよね、私」
「……言ったっけ?」
「言いましたよ。忘れたんですか。私は忘れていませんよ。憶えていますから。ええ、それこそ一言一句はっきりと憶えていますよ、この野郎です」
前回の王国祭で言われた言葉は一言一句はっきりと憶えていますよと伝えますと、レンさんは「あー、なんか、ごめん?」と謝られました。ですが、謝って済む問題とそうではない問題があるものです。今回は前者です。いまさら謝られたところで、あのときできた心の傷は塞がらないのです。ええ、それこそ永久的に私の心には──。
「……ふむ。じゃ、私の場合はいまよりも多めに食べれば胸に栄養が行くかもしれませんね」
──傷が生じたのですと宣言しようとした矢先のこと。不意にルクレティア陛下がとんでもないことを言われてしまいました。その言葉にほぼ全員が「え?」と唖然としたのは言うまでもありません。
ですが、レンさんは「えっと」と言葉を選ばれ、ベティちゃんは「ばぅ?」と首を傾げられていましたが、ベティちゃんはレンさんが言葉を選ぶよりも早く追撃をされたのです。
「おかーさん、おむねおおきくなりたいの?」
しかもド直球すぎる内容を告げられ、その場の空気は一瞬で凍り付きました。ですが、当のルクレティア陛下は恥ずかしそうに頬を搔かれながら、ちらりとレンさんを見やると一言。
「えっと、おとーさんは大きい方が好きみたいだからですね」
「おとーさんは、おおきいおむねがすきなの?」
恥ずかしそうに頬を染めるルクレティア陛下と、純粋な疑問をぶつけられるベティちゃん。そんな二対の視線を浴びてレンさんは、大きく頭上を見上げられました。その姿からは妙な哀愁を感じ取れました。
「とりあえず、私も二つお願いできますか? 栄養を取って頑張りますので」
「え、あ、はい。承知しました。えっと、他の方は?」
ルクレティア陛下の発言にドアンさんは若干引き気味になりつつも、注文を受けられました。それから私たちの分の注文を尋ねられましたが、レンさんは「……食欲ないんでいいです」とお答えし、私は前回と同じく両方のクリームをひとつずつ。イリアさんとルリさんはそれぞれ通常のクリームとベリロクリームを頼まれていました。
ちなみに代金は前回同様にレンさんが支払われていましたが、その背中からはやはり哀愁が漂っておいででした。この人もいろいろと大変だなぁと早速用意して貰ったプクレを受け取りながら思いました。
「えっと、そういえば、前回の話って」
「あぁ、そのことですか。えっと、この後少しお時間あります?」
全員分のプクレを受け取ると、レンさんは前回の王国祭でドアンさんからの話についてを尋ねられました。本来なら前回の王国祭の時にするはずでしたが、あの黒いぶよぶよの騒動のせいでうやむやになっていました。
そのことを改めてレンさんが告げると、ドアンさんは少し思案した後に、これから時間があるかどうかを尋ねられたのです。レンさんはちらりとルクレティア陛下を見遣られましたが、ルクレティア陛下は静かに頷かれるだけでした。それを見てレンさんは「問題ないです」と答えられました。
「そうですか。では、少しお待ちいただけますか? 店じまいをしますので」
「いいんですか?」
「ええ。店よりもいまは話ですからね」
そう言ってドアンさんは片付けを始められました。仕入れられた材料とかもあるでしょうに、それよりもこれからの話の方を優先されたのです。つまり、これからの話はそれだけ重要だということでした。
「ごめん、ルクレ。待ち合わせ場所を決めよう。花火が上がるまでには戻るから。それまでには終わりますよね?」
「ええ、それまでには」
「そういうことだから、待ち合わせ場所を決めよう。いいかな?」
「もちろんです。旦那様の用事を済ませられてください」
「ありがとう」
「いえいえ」
にこやかにルクレティア陛下は笑われていましたが、その笑顔には若干の翳りがありました。その翳りを見て、レンさんは「花火が上がるまでには絶対に戻るから」と改めて告げられると、ドアンさんの閉店準備の手伝いを始められました。
その際に待ち合わせ場所は、お城の北側──ちょうどレンさんたちがピクニックに向かった丘の近くの、ちょうど高台になっている広場になりました。そしてその待ち合わせ場所はレンさんとルクレティア陛下だけのものではなく、もう少しお祭を堪能しつつ、屋台のメニューの買い出し班と待ち合わせ場所の広場の場所取り班に分かれることになりました。
待ち合わせ場所の場所取りには私とルクレティア陛下が行い、ベティちゃんとイリアさん、ルリさんが買い出し班になりました。本当なら私とベティちゃんの班はそれぞれ逆だったのですが、場所取りは暇だろうからとルクレティア陛下がベティちゃんを買い出し班に抜擢されたのです。曰く、一年に一度のお祭りを目一杯に楽しんで欲しいとのことでした。
ベティちゃんは最初ルクレティア陛下と離れることを渋られていましたけど、ルクレティア陛下の言葉に最終的には頷かれました。
とはいえ、ルクレティア陛下のような美少女さんをひとりっきりにするのはさすがにまずいため、私がベティちゃんの代わりに護衛兼もうひとりの場所取り班のメンバーになったのです。
ですが、その際、まだ閉店準備を手伝う前のレンさんに「護衛が逆になりそうだな」と言われてしまいました。そして悲しいことに、その言葉に当のルクレティア陛下を除いた他の方々は全員が頷かれることになったのです。なんてこったい。
しかし決まった以上は仕方がありません。頑張って護衛をしようと私はやる気を満ちあふれさせ、ルクレティア陛下とともに場所取りのために待ち合わせ場所の広場へと向かい、そしていまに至るのでした。




