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rev3-21 あなたはそれで幸せですか?

 ──催淫の魔法。


 それは夢魔と呼ばれる魔族が得意とするもの。ただ人族であっても一部の人たちというか、一部の職種の方が用いる魔法でした。ぶっちゃけると、娼婦の方々が用いる魔法ですね。


 もっとも娼婦の中でも、魔法の適性がある人は使うそうですが、詳しいことは私も知らないです。私が知っているのは、男性の冒険者が酒盛りの際に笑い話のひとつで語っていたからです。


 一応言っておきますが、私自身知りたくて聞いていたわけではなく、受付業務の最中にたまたま聞こえてきたので知っているというだけのことです。いわば、知識の一つとして知っているというだけのことです。


 それはさておき。


 その催淫の魔法という単語が、いまお姉ちゃんの口から出たことに、私は少なくない衝撃を受けました。


 もし、これがメイドさん方のどなたかが意中の方に使っていたというのであれば、衝撃を受けなかったと思います。


 せいぜい、そこまでするんだぁとか、積極的だなぁとしか思わなかったでしょうね。


 ただ、今回に限ってはそんな他人事のような感想を抱くことはできません。だって、催淫の魔法を使っていたのは、他ならぬルクレティア陛下だったからです。その対象がレンさんだとお姉ちゃんは言ったのです。


 その一言はまさに衝撃としか言いようのないもので、私は告げる言葉を完全に失ってしまいました。


 そんな私にとお姉ちゃんは、容赦することなく追撃を行いました。


『あの女は、初めて会ったときから、魔法を使っていたよ。それも旦那様に対してだけね。最初から旦那様が標的だったんだろうね。どうせ、旦那様が好きだのなんだのとか抜かしているのも演技だよ。まがりなりにも一国の王をしているのであれば、腹芸のひとつやふたつは行えて当然だもの』


『腹芸って、それはさすがに』


『言い過ぎだと思う? でも、現状を見たら、あの女の言動を腹芸だと言いきるには十分だよ。催淫の魔法を使ったうえで愛しているのなんだのと言ったところで、説得力なんて皆無だものね』

 

 お姉ちゃんは吐き捨てるように言い切りました。その言葉には隠すこともない嫌悪感が込められていました。顔は見えないけれど、いまお姉ちゃんがどんな顔をしているのかはなんとなく想像ができた。きっと、とてもひどい顔をしているはずです。怒りという意味合いで。


『……でも、お姉ちゃん。それだけルクレティア陛下は本気だったってことじゃ』


 催淫の魔法を使うという方法は、たしかに褒められたものではないかもしれません。


 けれど、逆を言えばそれほど、レンさんと結ばれたかったということでもあると思うのです。そもそも、本気でなかったらそんな魔法なんて使わないでしょうし。本気であるからこそ、手段を選ばなかったというだけのこと。


 本気で結ばれたいのであればこそ、多少卑怯な手段であっても用いるというのは恋愛が勝負事であるからこそです。どんな手段であっても勝者が持て囃されるというのは歴史を紐解かずとも事実です。


 ルクレティア陛下の行いは、たしかに正々堂々とは言えないけれど、批難されるような行為とは言えないことでした。


『私だって卑怯者と罵ろうとは思っていないよ。ただ、気にくわないだけ』


『気にくわないって、それはお姉ちゃんの主観じゃ』


『そうだよ、主観だよ。だけど、アンジュだって事情を知ればきっと同じことを思うよ』


『事情?』


 お姉ちゃんの言っていることはいまひとつ理解できないことでした。


 理解を示していても、納得していない。その理由がお姉ちゃんの言う事情のようです。その事情をお姉ちゃんは語りました。


『旦那様はね。以前、同じことをされたんだよ』


『同じことって、催淫の魔法を使われたの?」


『そうだよ。そのときは、催淫の魔法じゃなく、魅了の魔眼を使われていたみたい。私自身はそのときのことを詳しくは知らない。けれど、知っている。それがどういう行為だったのかをね』


『魅了の魔眼って、たしか』


 お姉ちゃんが告げた「魅了の魔眼」という言葉で、お姉ちゃんがどうしてここまで憤っているのかがわかりました。


「魅了の魔眼」というものは、魔眼と呼ばれる特殊能力のひとつで、吸血鬼と呼ばれるヴァンパイアという魔族が行使するもの。その利用方法はその名に、「吸血鬼」という名にふさわしく他者の血を吸うときに行われるものです。


 吸血という行為は、ヴァンパイアにおける食事です。その吸血行為中に、対象に抵抗されないために行使するのが「魅了の魔眼」であり、つまるところ「魅了の魔眼」を使われるということは、ヴァンパイアにとってその対象は捕食相手だと言っているようなものです。


 その「魅了の魔眼」をレンさんは使われていたことがある。お姉ちゃんの口振りからして、そのヴァンパイアの行いを批難しているのは明か。


 ただの捕食行為であれば、相手も生きるために行っていたというのであれば、そこまで批難されることではない。生きようとする意思はなによりも強いのです。であれば、生存するためだけにレンさんを捕食していたというのは決して責められることじゃない。


 それを責めるというのであれば、私たちは食事という行為を行えなくなりますから。他者の血肉を糧にする。それは生きとし生けるものでれば、当たり前の行為。その当たり前を否定するのであれば、事実上の自殺宣言のようなものでしょう。


 けれど、お姉ちゃんの口振りを踏まえるかぎり、その件のヴァンパイアの行いは、捕食のためではなく、レンさんを自分のものにするためのもの。でも、「魅了の魔眼」の本来の使用方法は捕食のためのものです。つまり、相手のヴァンパイアにとってレンさんは伴侶兼餌にするつもりだったということです。


 お姉ちゃんが怒りに震えるのも無理からぬことでした。その行いと同じようなことをルクレティア陛下が行っている。なるほど、たしかにお姉ちゃんの言動を理解できるし、納得さえもできてしまうほどに、非道と言ってもいいことでした。


『……レンさんはそのことを知っているの? そのヴァンパイアの行いを』


『……うん。知っているよ。当時、私はまだ出会っていなかったけれど、その事実を知ったとき、旦那様が傷ついたことは知っている。事実を知ってシリウスに縋り付いて泣いたってことを知っているよ』


『シリウスちゃんに、縋り付いて』


 愛娘であるシリウスちゃんに縋り付いて泣いた。親バカであり、いい格好しいなレンさんがシリウスちゃんに縋り付いて泣いてしまう。言われてもすぐには想像もできないことでした。


 でも、実際に行ってしまうほどに、レンさんにとってそのヴァンパイアは大切な人だったのでしょう。その大切な人に餌という風に見られていた。そんな事実を突きつけられれば、愛娘に縋り付いて泣いてしまうのも無理もないことでした。


『……そっか。それでレンさんは女色に』


『うん? 相手は女だよ? イリアの姉だもの』


『……え? あの、いけ好かない女?』


『うん。だから、私はあの女が嫌い。旦那様をそれだけ傷付けたくせに、自分が正妻だと抜かせるその精神力に脱帽するもの』


『……うん、それは同意見だね』


 霊山の山頂で出会ったあの女が、レンさんを捕食対象にしていた。道理で、あの女とレンさんの間での温度差があるわけですよ。というか、よく捕食対象にしていた相手を、旦那様と公然と抜かせるものです。その精神力にはお姉ちゃんだけでなく、私自身脱帽モノですよ。


 ただ、あの女の言動的には、捕食対象でありつつも、レンさんに本気でぞっこんだというのもわかりますが。だからと言って、いくら恋愛事だからと言って、そこまでしていいというわけではないでしょうに。


 お姉ちゃんがルクレティア陛下の行いに嫌悪感を抱くのも無理もない。まぁ、あの女の行いよりかは数段ましではありますが、同じ穴の狢と言われても否定はできませんね。


『だから、お姉ちゃんはあのルクレティアとかいう女の行いを許さないよ。アレに比べれば幾分かましだけど、それでも事実を知ったら旦那様はまた傷つくと思うもの。そんな行いを平然と行うあの女をお姉ちゃんは嫌いだよ』


 お姉ちゃんははっきりと言い切りました。その言葉に対して、私は反論ができなくなってしまいました。


 イリアさんの姉の行為を知ったいまでは、ルクレティア陛下の行いを認めることはできませんでした。我ながらひどい掌返しと思いますけど、それほどの過去をレンさんが背負っているとわかれば、話は別なのです。


「旦那様、もう一口いかがですか?」


「ん、貰おうか」


「はい、では、どうぞ」


 にこやかに笑いながら、ルクレティア陛下はレンさんに巻き付けたアオエペ(リヴァイアクスのポピュラーなパスタ)を差し出されました。その笑みからは別の算段とかがあるようには見えない。ただ純粋にレンさんへの恋慕を抱いているようにしか見えませんでした。


(……あなたはいったいどうしてそんな手段を用いているんですか?)


 ルクレティア陛下の行いは、レンさんの過去を思えば非道となる。けれど、私の目にはルクレティア陛下の行いを非道と誹ることはできない。本気でレンさんに恋慕しているからこそ、本気で結ばれたいからこその行為としか思えなかった。


 恋愛は勝負事。それは普遍の事実。その事実を否定することはできない。だから、ルクレティア陛下の行いを否定することは私にはできませんし、したくなかった。


 だって、ルクレティア陛下はあんなにも幸せそうなんです。たしかに行いは正々堂々とは言えないけれど、いまのあの人はたしかに幸せの中にいる。その幸せを私が摘み取るようなことはできないし、したくなかった。


 けれど、ルクレティア陛下ご自身はどう思っているのでしょうか?


 自身の行いを省みられたら、その行いが褒められたものではないとわかっているはず。それでも勝負事だからとご自身を納得させているのか。それとも後ろめたさを見ないようにしているだけなのか。


 私にとって他人事です。でも、他人事であるからこそ、気にはなりました。あなたは本当にそれで幸せなのか、と。余計なお世話でしかないのは重々承知してしますが、それでも知りたいと思いました。


(……機を見て聞いてみようかな?)


 そんな機会があるとは思えないけれど、もし機会があれば聞いてみたい。そんなことをなぜか私は思っていました。……それが現状の打破でありつつも、リヴァイアクスという一国を揺るがす結果になるとは知る由もなく、私は呑気にもしょせんは他人事だと思いながら、ルクレティア陛下とレンさんのやり取りを黙って見守っていたのでした。

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