rev3-12 その味と同じ結果になれは
くぐもった声が遠くから聞こえてくる。
だいぶ声を抑えているつもりだろうし、物理的にも押さえているのだろうが、悲しいことにその努力はかなり無駄だ。
もっとも、常人相手であればその努力は報われるが、こと我のような聴覚に優れた者にとってみれば、無駄な努力としかいいようがないことだった。
それでもなお、あの少女王は必死に努力をしているのだろう。決して聞かれまいと必死に頑張っているのだろうが、今回ばかりは相手が悪いとしか言いようがない。生娘の最初の閨の相手にレンは相手が悪すぎる。
我自身はカティを通してしか知らぬことではあるが、あれは戦闘よりもそっちの方が手練れだ。その手練れ相手に生娘の抵抗がしたところで、意味をなすわけもない。
(……まぁ、これで茶番をした理由もわかるというものか)
月を眺めながらグラスを傾ける。少女王がベティに「お土産」と称して持たせた木箱。一抱えはある、それなりに重たいものではあったが、ベティにとってみればなんの問題もなく運べるものであった。
少女王は最初その木箱をベティではなく、護衛役の兵士に運ばせる予定だったそうだが、ベティ曰く「軽かったから持ってきたの」と軽々と運んできた。
ベティが言うには少女王は目を見開いて驚いていたそうだが、我としては特に驚くことではなかった。まぁ、完全に視界を塞がれていたためか、かなり危なっかしい歩き方をしていたようで、結局ベティの背後には護衛役の兵士が詰めていたのだが。その兵士はなんとも言えない様子で、苦笑いしていた。
とはいえ無理もない。ベティは5歳くらいの見た目の幼女だが、その実態はその辺の冒険者では歯が立たない強力な魔物なのだ。人間にしてみれば、重たいものであっても、ベティや我にとっては小石のようなものだ。小石がひとつからふたつに増えたところで体感的にはさほど変化はない。少女王の土産は、重量という点だけでみれば、その程度のものだ。
もっとも重量的にはともかく、中身に関してはその程度とは口が裂けても言えないものである。その中身は緩衝材とともに入った年代ものワインだった。ラベルを見る限り、現在よりも百年前に製造されたワインであり、箱の中にはそれが12本もあった。
ベティは中身が酒だと知ってかなりがっかりとしていたが、そこに一緒に来ていた兵士が自身のアイテムボックスからホールのケーキを取り出し、ベティに渡していた。曰く「ちゃんとお使いができたご褒美に」ということだった。どうやらそれも少女王の土産のようである。
ベティは自分用のケーキが出てきたことで、目をきらきらと輝かせていた。目をきらきらと輝かせながら「さすがはおかーさんなの」と少女王への尊敬を露わにしていた。少女王の手回しの良さには、我もさすがに舌を巻いた。
そんな少女王からのご褒美をベティは、満面の笑みで受け取り、すぐさま備え付けられていたフォークでゆっくりと崩していった。その様子はとても幸せそうで、思わず頭を撫でてしまうほどにかわいらしいものだった。おそらくは少女王がいたら、やはり頭を撫でていたであろうことは間違いないほどに。
そんなベティはお腹いっぱいと言って、いまベッドの上ですやすやと眠っている。眠っているが、時折ベッドの上で手を所在なさげに動かしていた。時折、「おとーさん」と呟いているところを見る限り、レンが恋しいようだ。
考えてみれば、ここ最近のベティはレンと一緒に眠ることが多かった。そのレンが今夜はいないのだから、恋しくなるのも無理からぬことである。
「……やれやれ」
腰掛けていた窓辺からベティの眠るベッドの脇に移動し、そっとベティの手元に我自身の尻尾を伸ばす。すると、ベティは我の尻尾を掴み、やや強めの力で握った。若干痛いが、このくらいでベティが安眠できるのであれば対価としては安かろう。
「おかー、さんといっしょにおよめさん」
えへへへとベティが口元を歪ませていた。どうやら、ベティ的には文句ない状況の夢でも見ているようでだ。なんとも微笑ましいものではあるが、レン本人としては「勘弁してくれ」と言いたくなるようなことであろう。が、我としてはベティが幸せそうなのであれば、それでよい。他人の不幸は蜜の味とも言うし。
「……さて、茶番はどうなるであろうな」
グラスを傾けて、思うことはひとつ。少女王が演じる茶番劇はこれからどういう展開を迎えるかということ。
そう、今回の一連の騒動は、ただの茶番である。
少女王は今朝泣きながら大臣とのやり取りを行っていたが、その内容はてんででたらめである。
レンと一緒に酒を飲んだところまでは真実だが、そこから先は完全に嘘だった。レンは酒を飲んですぐに気を失ったため、少女王が言うような暴行をしたわけではない。そもそもそんなことをあれがするものかよ。あれはその手のことがなによりも嫌いなのだ。
ギルドで指名手配される犯罪者の中でも、そういうことをやらかす輩を見つけると、なによりも優先してその輩を粛正するほどにだ。それほどにあれはその手のことが嫌いだ。
そのあれが酒に酔ったからと言って、少女王に暴行をするわけがない。そもそもそんなことをしていたのであれば、我が耳にしていないわけがない。
だが、我はその手の物音を聞いてはいなかったし、部屋に赴いたときもその手の臭いなどもなかった。
ということは、少女王が言うのは真っ赤な嘘であり、今朝のやり取りはただの茶番であったということ。
ただ、レン自身にそのときの記憶がないので否定ができないのだ。否定ができないゆえに、少女王の言葉を切り捨てることができない。加えて、アンジュ殿とイリアがレンを有罪と言い切ったことがより面倒なことになってしまっている。
普通に考えれば、首筋の痕など行為中でなくてもいくらでもつけようがあるというのに、あやつらと来たら、それを状況証拠などと抜かしてしまっておる。少しは冷静になれと言いたいほどだ。
とはいえ、冷静になって考えたところで、当の少女王がそんなでたらめを口にするメリットがない以上、少女王の発言を真実と捉えてしまうのも無理からぬことではある。
(基本的に言っていることは本心からのものであるからの。すべてを語っていないだけで、本心を語っていることは確かだからのぅ)
あの少女王は、本心を語っている。レンへと恋心を抱いていることは本心だし、ベティを愛おしく思っていることも本心だ。事実、あのふたりへと彼女が向けるまなざしには、たしかな愛情が込められていた。そして同時にアンジュ殿とイリアへと向けられる目には、わずかな嫉妬が込められている。
少女王にしてみれば、アンジュ殿とイリアはレンとこれからも一緒にいられる存在であり、その気になれば自身よりもはるかに親密な関係を築くことができる環境下にいる。現にイリアはレンの愛妾のような存在であるから、少女王にとっては妬ましい存在だろう。
だが、そのイリアよりもアンジュ殿へと向ける視線はより刺々しい。女の勘とでも言うべきなのか、レンとアンジュ殿のなんとも言えない関係を察しているのかもしれぬ。だからこそ、アンジュ殿にはいくら辛辣な態度を彼女は取っているのだが、それが表面化していないのは、彼女の持つ穏やかな雰囲気ゆえだ。
(レンはああいう女には弱いからのぅ)
思えば、レンが嫁とした女たちはみんなどこかしらに彼女のような雰囲気を持っていた。逆に言えば、レンはああいう雰囲気の女に弱いということである。たぶんレン自身は自覚してはいないだろうが、あれの弱点があの手の女であることは端から見れば明らかだった。
ゆえに現在はそこにつけこまれている。加えてどうやら相性もいいようで、レンがかなり熱中していた。反対に少女王はだいぶ切羽詰まっていて、自身の左手に噛みついて声を抑えようと必死になっているのだが、その努力をあっさりとレンは乗り越えてしまっているようだ。
(……意地が悪いのぅ、あいつ。って、待て待て、そんなことをいまのあやつに言えば、余計に、あー)
少女王は墓穴を掘ったようだ。熱中しているレンをそそらせてしまう一言を投げかけてしまった。その結果は言うまでもない。とはいえ、経験がない彼女にしてみれば奮闘したものだ。本当に相手が悪かったとした言いようがない。
(……しかし、妙じゃな)
我には茶番であることはわかっていた。わかっていたがゆえに、あえて泳がせていたが、どうにも様子がおかしい。
(……生娘であるはずなのに、どうも痛がっている様子がないのじゃが?)
そう、彼女は生娘であるはずだ。そして昨晩はその手のことがなかった。なのに、彼女の声に痛みを耐えている様子はない。まぁ、まったく痛くないというわけではないようだが、それ以上の快感に悶えているようだった。
(無理矢理襲われたというのは、完全に嘘であった。かといって、あの年齢の王族にその手の経験があるというのはさすがにない。一般人であればまだしも、彼女は王なのだから余計にその手の経験はないはずなのだが)
彼女の声にはまだ慣れていないがゆえの痛みはあるものの、失った痛みはない。カティを通しての知識によれば、その手の痛みはかなりのものであるはずなのだ。なのに彼女にはその痛みがないようだ。個人差はあるだろうが、それでもかなり痛いことは間違いないはずだ。そのうえ、レンもそのことに気付いた節もない。
(為したとなれば、その証があるはず。だが、レンはその証に気付いていないようじゃな。いくら部屋の中を暗くしていようと、はっきりとわかりそうなものなんじゃが)
失ったとあれば、その証は確実にある。だが、その証にレンは気付いていない。つまり経験があるということ。経験はあるが、痛みをわずかに感じていることを踏まえるとその回数は非常に少ない。もしくは、日が経っていないということでもある。
(……むぅ、どういうことじゃろうな?)
てっきり今夜で馬脚を現すと思っていたのだが、これではますます昨夜レンが彼女を襲ったという風にしか思えない。突破口のひとつだったはずが、その当てが完全に外れてしまったようなものだ。
むしろ、逆に外堀をより埋められてしまったようなものだった。それも気付いたら逃げ道を塞がれているかのように、とても静かにかつ慎重にだ。用意周到というべきだろうが、我には用意周到というよりかは、音もなく捕食者が近付いてくるかのように感じられた。
(……七の策か? しかしなんの意味がある?)
考えるとすれば、彼女にとって逆らうことのできない存在である七の──神獣リヴァイアサンの命令というところだろうが、その意味がなんであるのかがわからない。
時間稼ぎとしか思えないが、そもそもなぜ時間稼ぎなどする必要があるのか。考えれば考えるほど意味がわからなくなってくる。
ただ、ひとつ言えるとすれば、彼女の背後にはリヴァイアサンが控えているということだ。その狙いがなんであるのかはわからない。わからないが、いまは状況がどう進むのかを見守ることしかできぬ。
(……今回に限っては、レンさえも役に立たぬ。七のは完全にレンを狙っているからのぅ。彼女を使ったのも、彼女がレンの弱点になると踏んだ上か。……まったくあやつらしい)
普段であれば、レンと相談して事を運ぶのだが、そのレンが今回は完全に役に立たない。アンジュ殿とベティは論外であるし、イリアも今回はレン以上に役に立たない。となると、今回は我ひとりで事を運ぶ必要がある。
ただ、そのためにはまだ静観している必要がある。なにせ影は見えても、七のは尻尾をそう容易く掴ませはしないだろう。
だが、七のがこんな回りくどいことをしているということは、なにかしらの大事を狙っているということだ。その大事の全容を七のはその寸前まで隠し通すだろう。あれはそういう奴だ。
しかし、その寸前にになってわかってしまっても、意味はない。止める手立てなどそのときにはなくなっているだろう。
そうなる前に奴の狙いを暴く必要がある。その内容が笑えるものであればまだいいが、今回はおそらく笑えない結果になりそうだ。根拠はない。ただ、どうにも得体のしれない気持ち悪さがある。それが理由と言えば理由だ。つまりはただの勘だ。
だが、時に勘はこれ以上とない結果を導き出すこともある。その勘が今回はまずいと囁いているのだ。相手の行動を見定めようと構えていると、足下を掬われかねぬ。
(……やはりひとりで動くしかないか)
わかりきっていたことではあったが、そのわかりきったことを改めて確認したことで、小さなため息が出た。面倒ではあるが、面倒だったからと放っておいたら、カティになにを言われるのかわかったものじゃない。
カティのお小言を貰わないためにも、ここは我ひとりで動くしかあるまい。
「……人の気も知らんで、まったく呑気なものじゃ」
面倒事に巻き込まれているというのに、その渦中にある当人はそのことに気づきもせずに、渦中に追いやろうとしている相手に夢中になっている始末だ。事実上の孤軍奮闘。その事実にまたため息を吐きながらも、大切な孫娘が守りたい者のために身を粉にするとしよう。そんな決意を抱きながら、真っ赤なワインを喉の奥へと流し込んでいく。
(……この味のような結果であればいいんじゃがなぁ)
口いっぱいに広がる果実の味。その芳醇さと同じような結果になってくれればとありえない未来を思いながら、我はひとりで今回の件を調べる決意を抱くのだった。




