rev3-11 一夜
なんだってこんなことになったのやら。
この国に来て間もないというのに、もう何度そう思っただろうか。正確には今日一日だけで何度思ったことか。
今日もそろそろ終わりを迎える。本当に大変な一日だった。今朝から始まった、いや、次から次へと押し寄せてくる厄介事に俺は為す術もなく打ちのめされ続けた。その一日もようやく終わりを告げてくれる。
ベッドの軋む音を聞きながら、今日という日の終わりを迎えられたことに安堵していた。
昨日と今日では、まさに千差万別と言うべきくらいに、あまりにも違いがありすぎていた。ただの客人であったはずだったのに、気付いたら王配になっていたんだ。たった一晩明けただけでめまぐるしいほどの変化の波に襲われてしまっていた。
正直言って、俺がなにをしたと言いたいくらいだ。布の擦れる音ともに、しみじみと思う。
でも、そんなことを口にしたところで聞いてくれる人は誰もいないわけなのだけど。
俺がなにをしたと言っても、その返答はひとつ。酒の席での暴挙のあげく、ルクレティア陛下の純潔を強引に奪い取ったという鬼畜な所業だと言われるだけ。
その際の記憶なんて欠片も残っていないっていうのに、状況証拠は積み重なっていた。まぁ、状況証拠と言ってもあくまでもルクレティア陛下の発言が主であるため、確たる証拠にはならない。ならないはずなのだけど、そこに俺の首筋にできたいくつものキスマークがその信憑性を向上させてしまっていた。
加えて、ルクレティア陛下の発言であることが、より俺の立場を危うくさせてくれた。
俺が思うにルクレティア陛下は、嘘が苦手なタイプだと思う。正確には人を騙すのがあまり好きではないタイプの人だと思う。
王として在るためにいくらでも嘘を吐くだろうが、その嘘のせいで他人の身を滅ぼすことをよしとはしない。あくまでも嘘を吐くのは、ルクレティア陛下自身の利益ではなく、国益のため、自分よりも大切なもののためであれば、どんな悪辣にも身を染められる人だ。
ただ、その反面自己嫌悪に陥ってしまいそうでもある。王としての在位期間が長ければ、いや、人として長く生きていれば、対処法は身につくだろうけれど、彼女はまだ若い。話を聞けば、今年で15歳になる少女だった。王としても、10歳の頃に先王である母親から王位を受け継いだらしいので、今年でようやく5年。人としても、王としてもまだ長い時を生きたわけじゃなかった。
そんなルクレティア陛下だから、俺を騙したら相応のなにかはにじみ出てしまうはずだ。でも、いまのところ、ルクレティア陛下はそういう態度を見せていない。いや、それどころか、俺たちの前に現れたときから、彼女は常に笑顔を浮かべていた。プーレにそっくりな笑顔をずっと彼女は浮かべている。その笑顔はいまも目の前にあるようだった。
だからなのかな。どうにも彼女の真意が読めなかった。読もうとしても、脳裏に浮かぶのはプーレと過ごした一年もない日々のこと。その思い出が鮮やかに蘇ってしまって、ルクレティア陛下の真意を読もうという気が起きなくなってしまう。
もし、これが真剣勝負の場であったら、俺は敗北間際というところだろう。相手の行動に対処が追いつけていないということは、一方的に攻め込まれているということだった。まぁ、今回は真剣勝負の場でもなんでもないから、そこまで考えなくてもいいのかもしれない。彼女はいつものように、にこやかに笑うだけだろう。薄暗い部屋の中でも陰らないと言うかのように。
それでもいまの状況を踏まえたら、一方的に攻め込まれ続けているというのは、どういうものかと思わなくもない。力量差があるのであれば、一方的になるのも無理もない。
だけど、ルクレティア陛下との間に、そんな力量差があるとは思えない。ただ、ひとつだけ確実にあると思うのは、覚悟の差くらいだろうか。王として国に忠を尽くす。その覚悟が彼女からは見て取れた。
この国の中で彼女よりも権威を持つものはいない。海王や神獣という特例はあるけれど、本来ならこの国で一番の権威を持つのはルクレティア陛下になる。それでも彼女はこの国に対して忠を尽くしている。
それは連綿と続いた国をこれからも続かせるために。先祖たちが為してきた営みを守るために。そのために王として、この国を存続させる。王としてこの国を愛しているがこその姿だ。
その覚悟は15歳の少女が抱くには早すぎるほどのもの。
それこそ、レアを始めとした七王たちが抱いていた覚悟と遜色ないものだった。その覚悟を彼女はその身に宿していた。覚悟を乗せた視線をまっすぐに、射抜くようにまっすぐにこちらへと向けながら。
俺もこの世界を壊すという決意を抱いている。けれど、ルクレティア陛下の覚悟と比べたら、ずいぶんと頼りないもののように思えてならない。
俺の決意は奪いに奪われたために生じたもの。憎悪から来る決意。
対して、ルクレティア陛下のそれは、何百年もの間続いた国を存続させるためのもの。自分自身はもちろん、周囲の人たちと言った、この国に住まうすべての者の明日を背負うためのものだ。
ひとりの怨念と数え切れない人たちの明日を守るという覚悟。それが俺と彼女においての圧倒的な差となっている。
その覚悟が芯にあるからこそ、彼女の笑顔は美しかった。その美しいものを穢したと言われれば、擁護者がいないのも無理からぬ話だ。たとえ、穢したという発言自体が嘘だったとしても、美しいものを穢したということがでっちあげられた罪だったとしても、その罪を受け止めざるをえないほどに。
とはいえ、それを直接尋ねることはできない。
記憶がないということは、彼女を暴行したという確たるものがないということでもなるけれど、彼女を暴行していないと言い切れないということでもある。非常にあやふやな状況にあるということだった。
そのあやふやな状況の最中で、俺は一方的に攻め込まれている。
被害者側の発言しかない現状において、圧倒的な有利な立場に被害者として彼女はいる。その圧倒的な優位性を覆す手札が俺にはない。だからこそ、攻め込まれてしまっている。非常に厄介な状況だ。距離を取って対策を取ろうにも距離を取った分だけ、距離を詰めて攻め込まれているかと思うほどに厄介な状況だった。
そのうえ、困ったことに彼女に対しての嫌悪感が一切生じていない。むしろ、彼女と言葉を交わせば交わすほど、彼女に惹かれそうになる。プーレを重ねているということもあるのだろうけれど、プーレに似ているということ以上に、彼女自身に俺は惹かれているみたいだ。拒絶しようという気がどうしても起きないほどに。それくらいに俺は彼女に惹かれているようだった。
謁見の間でのプロポーズは、ああするしかなかったという状況でもあったけれど、少なからず彼女に対して思うことがあったということかもしれない。……自分のことであるのに、言い切れないところが実に俺らしいと思う。
「どうされましたか?」
くすり、と静かに笑う声が耳朶を震わせる。逸らしていた目を正面に戻すと、すぐ目の前にルクレティア陛下がいた。産まれたままの姿のルクレティア陛下がすぐ目の前にまで迫っていた。
……どうやら現実逃避の時間は終わりのようです。
「いや、あの、そのですね?」
真っ暗な部屋の中で、白い彼女の体がぼぅと浮かび上がる。謁見の間でも、それ以外のときにも身に付けていた真っ白な軍服姿ではなく、昨日の夜に見たバスローブ姿でもない。今朝起きたときに見た、なにも身に付けていない産まれたままの姿の彼女がいま目の前にいた。
しなやかで目を惹く体は、真っ暗な部屋の中でも輝きを放っているかのようだった。窓の外から差し込む月の光がその輝きをより顕著にしていた。
「緊張されているのですか?」
ふふふ、と口元に手を当てながら彼女は笑っていた。笑いながら、ぎしりとベッドを軋ませて彼女は俺のすぐ目の前に迫っている。
「い、いや、別に緊張とか、そういうことではなくですね。ルレクティア陛下──」
ベッドを軋ませて迫る彼女を止めようと両手を突き出すも、その手の間を縫うようにして彼女は近づき、そっと俺の唇に人差し指を当てた。
「……陛下はやめて? いま私はルクレティア・フォン・リヴァイアクスではないのです。いまの私はあなたの女のルクレなのです。だからルクレとお呼びください、旦那様」
そう言ってルクレティア陛下は俺に抱きついてきた。服越しに感じる彼女のぬくもり。俺の平坦な胸に押しつけられるのは、少々小ぶりな膨らみ。膨らみこしに彼女の鼓動が聞こえてくる。少しだけ早めに刻みつけられる鼓動。その鼓動は緊張しているのは彼女の方だと雄弁に物語っている。
「……緊張しているのは、陛下の方では?」
「……陛下はやめてってお願いしたのに。旦那様は意地悪さんですね」
くすくすと彼女は笑う。笑いながらも少しだけ身が固くなるのがわかる。……その反応がどこか愛おしく感じられた。
「でも、その、陛下は陛下ですし」
「いまはこの場に私とあなたしかいないのに?」
「それは」
痛いところを突かれてしまう。
いまこの部屋──ルクレティア陛下の私室には、俺と陛下しかいない。本来ならベティもいるはずだったのだけど、ルクレティア陛下がベティに「おとーさんとおかーさんだけでお話があるのです。だからベティちゃんはルリ様のところにお泊まりに行ってくださいますか?」とお願いしたからだ。
ベティは最初渋っていたが、「おかーさんからのお願いなら仕方がないの」と最終的に頷いてしまった。なお、その際、ベティの正面には旬のフルーツを使ったケーキや見事な造詣のショコラケーキなどがこれでもかと置かれていた。それらのケーキを口元を汚しながらベティは美味しそうに食べていた。要は買収である。
そんな買収劇が行われた後、現在俺はルクレティア陛下とふたりっきりで彼女の私室で一夜を供にすることになってしまっていた。
俺の立場は王配。王配であれば、部屋を供にするのは当然のこと。そんな流れを止めることはできず、結果俺はこうしてルクレティア陛下に迫られてしまっている。
「夫婦であれば、閨を供にするのは当然のこと。そして閨ですることはひとつだけ。……昨日の今日ですが、今日は思い出に残るようにしてくださいますよね?」
期待の込められた目で俺を見つめるルクレティア陛下。記憶なんて欠片も残っていないし、彼女が言うには俺が乱暴を働いてしまって、一生に一度だけのものが悲惨なことになってしまった。
でもそれは酒が入っていたが故のもの。今日は酒が入っていないからこそ、もしかしたらという想いがあるのかもしれない。だけど、もしかしたら酒が入っていてもいなくても変わらないのかもしれないとも思っているのかもしれない。
俺に抱きつく彼女の体は小さく震えていた。
普段の彼女とはまるで違う。
俺とさほど変わらない、小さな体を震わせる姿は、とても愛おしかった。大切にしたい。大切にしてあげたいという想いを抱かせるには十分すぎるほどに。芳しい甘い花の香りの中にいる彼女が愛おしかった。
「……わかった」
俺はただ一言だけで答えていた。
そっと彼女をベッドに寝かせた。
真っ白なシーツに水色の髪がふわりと広がっていく。湖水を思わせる瞳が俺を見上げていた。その目には期待と不安が入り混じった光を宿していた。その瞳を見ていると、歯止めが効かなくなってしまった。
陛下の首筋に顔を埋めた。小さく彼女の口から声が漏れる。むず痒そうな、それでいてどこか満ち足りたような声。さきほどまでとは違った震えが一瞬彼女の体に走る。
「……できる限り、優しくする」
「……お願いします」
首筋から顔を上げると、そこには紅い痕が刻まれていた。彼女が昨夜俺に刻み込んだというものと同じ痕が真っ白な喉元に咲き誇る。その痕をそっと指でなぞりながら、彼女は嬉しそうに笑っていた。
その笑顔を焼き付けるようにじっくりと眺めながら、彼女の体に触れる。刻んだときと同じ震えが走るけれど、今度はもう止まることはしなかった。なぞるように触れながら、手を上の方にと走らせ、そのまま震える彼女の頬を撫でた。
「始めようか、ルクレ」
「……はい」
小さく、だが、静かに頷くルクレ。俺は仮面を外して、彼女にゆっくりと顔を近づけていった。
若干アダルティーすぎた←




