rev3-9 婚姻
ただっ広い謁見の間。
数百人は入れるんじゃないかと思えるほどに、大きな一室はひどく静まりかえっていた。沈痛という言葉がこれほどまでに似合う状況はそうそうないだろうと思うほどに。
そんな沈痛な謁見の間では、ルクレティア陛下が訥々と今朝、いや、昨夜からの出来事についてを語っていた。その内容はあまりにも惨たらしい内容だった。……あくまでも他人事であれば、だけど。
その惨たらしい内容を聞くのは、大臣さんを始めとしたお歴々の方に加えて、俺の仲間であるアンジュたちなのだけど、その反応は誰もが同じだった。誰もが沈痛な表情を浮かべながらも、その目には澱んだ憎悪が込められていた。その憎悪が向けられる先にいるのは、他ならぬ俺自身だった。
どうしてこうなったのか。
そんなことばかりを考えながら、俺はルクレティア陛下の前で正座しながら周囲からの視線に耐え忍んでいた。
「──というわけで、レン様にいろいろと奪われてしまったのです」
「……なんという、ことか。まさか陛下の純潔が」
「……どうせ奪われるのであれば、もっと優しくして欲しかったのですが、こればかりはレン様のお心次第ですから」
「もしや陛下」
「……実は、その、一目お見かけしたときから、でした。ですが、まさかこんなことになるなんて」
「あぁ、お労しき陛下。一生に一度だけのものを、こんな無残なことになるなどとは」
「いいのです。どういう形であるにせよ、貰っていただけただけで、私は、わたし、は」
「……陛下」
痛ましい雰囲気が漂う謁見の間。その謁見の間では、大臣さんとルクレティア陛下による涙ぐましいやり取りが行われている。
ルクレティア陛下は、気にしていないと気丈に振る舞いつつも、目尻には大きな光るものが見えていた。その小さな体は静かに震えている。
そんなルクレティア陛下の姿に、大臣さんは唇を噛み締めながら項垂れていた。大臣さんはその体を大きく震わせながら、どこか憎悪に満ちた瞳で俺を睨み付けていた。正直怖いです。
でも、無理もないのか。
いまの俺の立場を思えば、大臣さんの態度も無理からぬ話だ。
なにせいまの俺は──。
「アレクセイ卿、落ちついてください」
「しかし、陛下! その者、いえ、レン殿は!」
「……先ほども言いましたが、私はどんな形であっても嬉しかったのです。……できるならば、もっと思い出に残るような、望む形であれば、よかったのですが。でも、仕方がなかったのです。だから、私は。わたし、は」
気丈に笑っていたルクレティア陛下だったけど、ついには耐えきれなくなったようで、顔を両手で覆って泣き崩れてしまった。そんなルクレティア陛下の姿に、大臣さんは両膝を突いてやはり泣き崩れた。泣き崩れながらも、俺へと向けられる目は、とても鋭い。
大臣さんはだいぶお歳をめいた方で、髪も髭も真っ白だった。見た目から言えば、ルクレティア陛下の祖父と言っても不思議ではないくらいに。そんな大臣さんからしてみれば、ルクレティア陛下は主君であると同時に、孫娘のようにも思っていたのかもしれない。
孫娘の純潔を無惨に奪った相手を目の前にしたら、そりゃ怒るわなと理解できる。理解できるけれど納得はできない。そもそも、現状自体が俺には理解不能な状況であるのだけど。
もっともそれを口にしたところで、誰も頷いてくれそうにはない。
むしろ、大臣さんはより一層鋭い目つきかつ、憎悪に満ちあふれた目で俺を睨み付けてくるだろう。
ルクレティア陛下に至っては、きっといま以上に泣き崩れるに決まっている。いまでさえ、泣き崩れているというのに、それに拍車がかかるであろうことは間違いない。
ただ、それでもあえて言いたい。
(俺、無実なんですけど)
そう、俺は無実だ。
ルクレティア陛下に乱暴を働いた記憶などない。
まぁ、たしかにルクレティア陛下は美少女だけども、だからと言って会って当日に手を出すとかありえないでしょうに。
そもそも相手はただの美少女ではなく、相手は女王様ですよ?
その女王様を会った日に抱くとかありえないでしょうに。
というか、俺はルクレティア陛下をそういう目で見たこともないのだから、ルクレティア陛下が語る内容なことをするわけがない。
するわけがないのだけど、困ったことに、記憶がない。
正確に言えば、ルクレティア陛下が部屋に訪ねてこられて、乾杯をした後から記憶がないんだ。
個人的にはありえないんだけど、でもルクレティア陛下がこんな嘘を吐く理由なんてないわけで。でも、さすがにルクレティア陛下の語る内容の中の俺の所業は、まさに鬼畜同然だった。そんな鬼畜な趣味など俺にはない。
そう、そんな趣味なんてないわけなのだけど、今日起きたときの状況と、ルクレティア陛下の語る内容を踏まえる限り、俺が手を出したとしか思えなかった。
だけど、手を出したという記憶なんてなかった。
そう、記憶なんてない。ないのに、状況証拠はこれでもかと揃ってしまっていた。
そしてなによりも──。
「……レン様は気にされなくてもいいんですよ。私が勝手にお慕いし、そして不本意な形でしたが、たしかに貰っていただけたのです。だからレン様は気にされないでください。きれいな思い出にはなりませんでしたが、それでも私は満足、ですから」
「あぁ、あぁ、陛下。陛下ぁぁぁぁぁぁ!」
大臣さんことアレクセイ卿が今日一番の叫び声をあげた。
その声はひどく痛ましくて、聞いていられなかった。
そう、他人事であれば聞いていられない。
だけど、他人事でなければそういうわけにはいかない。
現にいたたまれなさのまっただ中に俺はいる。
これがまだ記憶にあるというのであれば、覚悟やらなにやらも抱けていたのだけど、残念なことに記憶がないため、覚悟なんてものは一切なかった。
(これ、どうすればいいの?)
とんとん拍子で話が進んでいくというのであれば、それはそれでどうしようもない。
だけど、まるで話が進まないというのもまた、どうすればいいのかがわからなくなってしまう。
実際、謁見の間に詰めてから、かれこれ一時間は経っているわけだけど、話は進んでいるようで進んでいなかった。
ただただ、胸への痛みが込み上がってくるだけだ。
その胸の痛みをどう扱えばいいのかがわからなかった。
わからないけれど、謁見の間の雰囲気はただひとつに集束している。
それは「どう責任取ってくれるんだ?」というもの。
……うん、わかるよ?
だって、ルクレティア陛下はどう見ても箱入り娘で、すれているという感じは一切ない美少女だ。
そんな美少女の純潔を散らしたというのであれば、ルクレティア陛下側の人にとってみれば、怒りはするし憎悪を向けはする。だが、それ以上にその責任をどう取るんだと思うのは当然のことだ。
俺も同じ立場であれば、どう責任を取るんだと迫っていたはずだ。だからこそ、アレクセイ卿を始めとした、いま謁見の間にいるお歴々の態度は当然だった。
当然なのだけど、こうして加害者に仕立てられた現状だと、どうしていいのかわからなくなってしまう。
「レン殿。ルクレティア陛下はこう仰っておられるが、よもやそのお言葉に甘えるおつもりではありますまいな?」
「アレクセイ卿、レン様はなにも」
「なにを仰られる!? 陛下は、陛下は御身に起こったことを理解されておいでか!?」
「……わかっています。私が誰よりも」
「……であればこそ、です。この責は取っていただかなければならないのです。でなければ、リヴァイアクス王家が軽んじられることになります。いえ、すでに軽んじられているからこその暴挙だったということでしょうが」
「アレクセイ卿、言い過ぎですよ!」
「言い過ぎであるものですか! 此度の件についてなにも責を問われないというのは、国際問題になる大問題ですぞ! まだ御身が王女としてであれば、いくらかはましだったかもしれませぬが、あなたは王なのです。その王の純潔を無理矢理奪い取ったとあらば、それがどれほどの問題であるのかなど、考えるまでもありますまい! そしてそれを酒の席とはいえ、あなたは行ったのです、レン殿。さぁ、どう責を取られるべきか、答えていただきましょうか!」
アレクセイ卿は、一切の澱みもなく、はっきりと突きつけてくる。どう責任を取るのかということを。その言葉にほかのお歴々の方々も言葉にはしないけれど、同意見であるようで、その視線は同じく鋭かった。
「……レン様。アレクセイ卿はああ言っていますが、決して気になさらずに。此度の件は雪解けの夜が見せた夢のようなもの。決してきれいではないけれど、あなたの熱を感じられた昨夜は私にとっては夢のようなものでした。だからこそ、お互いに夢であったとしても構わないのです。だから深く考えられずに」
「いいえ! そのようなことは決して許されません! レン殿にはみなが納得するような形で責任を取っていただかねばなりません!」
「アレクセイ卿! 私自身が構わぬと言っているのです! これ以上レン様を苦しめるのはやめて!」
「それでもこればかりは肯んずる訳にはいかぬのです!」
ルクレティア陛下とアレクセイ卿が言い合いを始める。
その有様を眺めながら、徐々に追い込まれていくのがわかる。
この場を納めるには、鶴の一声とでも言うべきか。俺が一言告げればいい。
それで丸く収まる。収まるのだけど、どうしてこうなったのかがまるで理解できない現状でそれを言うのは憚れた。憚れるのだけど、考えている時間はない。なにせルクレティア陛下とアレクセイ卿の言い合いは徐々に白熱し始めていた。
ルクレティア陛下はあくまでも俺の身を重んじて、俺に責任を負う必要はないと言うのだけど、アレクセイ卿は今日までのルクレティア陛下を支え続けてきた日々とその間に抱き続けてきたルクレティア陛下への親愛を語っていく。
その物語りに、お歴々の方々は涙を流し始めていた。いたたまれなさがどんどんと増していく。加えて、その視線が徐々に鋭さを増してもいた。
もう逃げ場はなかった。
たとえ記憶になかったとしても、ここまでなったらもう腹をくくるしかない。
「……責任を取らせていただきます」
言い合いを続けるふたりに向かって、俺は押し殺した声で言った。その声でふたりの言い合いはぴたりと止まった。そしてそれぞれに異なる感情が籠もった視線を投げかけてくる。その視線を浴びながら俺ははっきりと告げた。
「……ルクレティア陛下と婚姻を結ばせて貰います! それを以て責任としていただきたい!」
俺はやけくそとばかりに叫んだ。その瞬間、まばらな拍手が響く。その拍手は少しずつ数を増やし、やがて謁見の間を震わす大歓声となった。
その間に、ルクレティア陛下は俺のそばによると、正面から抱きついて、「……これからよろしくお願い致します、旦那様」と囁かれた。
どうしてこうなったと思いながらも、「……はい」と頷くだけで俺は精一杯だった。
(本当にどうしてこうなったんだろう)
そう何度も何度も思いながら、俺は数多の拍手と大歓声に包まれながら、ルクレティア陛下のぬくもりを感じていた。




