rev3-7 夜中の訪問客
「おとー、さん」
むにゃむにゃとかわいらしく口を動かしながら、ベティが眠っている。
完全に眠ったことを確認してから、俺は横になっていたベッドから起き上がった。用意された部屋の中はいまとても静かだった。
普段であれば、もっと賑やかなのだけど、今日は俺とベティだけだから、とても静かだった。
いつもであれば、ルリとイリアも同じ部屋なのだけど、4人が泊まれるような大部屋は空いていなかったようで、アンジュを含めた俺たち5人は3組に分かれて、王城にと泊まることになった。
部屋の内訳は、俺とベティ、イリアとアンジュ、そしてルリだ。最初は俺がひとり部屋になるそうだったのだけど、ベティが「おとーさんといっしょがいい」と言ったため、ルリがひとり部屋になった。
その際、アンジュがまたたわけたことを抜かしていたけれど、イリアに昏倒させられ、部屋にまで引きずられていった。
普段であれば、アンジュがひとり部屋ということが多いのだけど、前回に引き続き今回もまた国家元首相手にやらかしてしまっていたことが理由のようだ。イリア曰く「その手のことを徹底的に教えますので」と言っていた。
知識を教えることはいいのだけど、アンジュに対してだんだんと加減がなくなっている気がしてならない。以前であれば、連行するだけだったのに、いまや昏倒させて引きずるという、なんとも言えないことをしでしかしていたイリアが少し怖かった。
とはいえ、今回はアンジュが「べ、ベティちゃんと一緒にお泊まり、でゅふふふ」とか言い出したのが原因なので、今回に限って言えばアンジュの自業自得だった。
普段から、ベティに対してわりと気持ち悪いことを言い募るアンジュだけど、今夜はいつも以上にひどかった。
だからこそ、イリアは強行したわけなのかもしれないが。
でも、アンジュがそんな状態になるのも仕方がないのかもしれない。なにせ、アンジュは悪酔いしていたんだ。
コサージュ村では乳酒を大人から子供まで飲んでいた。そして乳酒はそこまで酒精が強いものではない。地球で言う甘酒のようなもので、酒精なんてものとはほぼ無縁なものだった。
アンジュが口にしたことがある酒というのは、その乳酒がほとんどで、まともな酒はほぼ飲んだことがなかった。
だというのに、アンジュは今回の歓迎パーティーで酒を浴びるほどに飲んでしまい、結果悪酔いし、最終的にイリアに昏倒させられるということになった。
本人としてはルクレティア陛下への無礼を忘れようとしたのだろうけれど、そこに宴席での酒による失敗という黒歴史が追加されることになってしまった。
あいつ、この国ではいいことがないよなと逢われまずにはいられなかった。
そのパーティーもしばらく前に終わった。
宴もたけなわだったが、夜が深まったところで、お開きになった。
俺たちとルクレティア陛下の他に参加していた、この国の上層部に位置する貴族などのお歴々は、王城の一室を借りて泊まられているそうだ。そのことを考えると、明日の朝を迎えることが少し憂鬱だった。
「また勧誘合戦かなぁ」
明日の朝に行われるであろうことを考えると、気が重かった。
本来は食事をしながら、ルクレティア陛下からの話をされるはずと思っていたのだけど、パーティーの最中でも話なんてものは一切されなかった。された話というのは、せいぜい歓談という程度だ。重要な話なんてものは一切されることもなかった。
その歓談にしても、ほとんどがお歴々からの、「ぜひお抱えの冒険者に」という勧誘ばかり。その勧誘もたしかに重要な話ということになるのかもしれないが、どうにもルクレティア陛下の言う「話」とは若干乖離があった。
そもそもルクレティア陛下の話とお歴々からの勧誘をイコールに結ぶには、どうにも頷けないものがある。
むしろ、個人的な勧誘を、公の場面で行うのはいかがなものかと思う。そういうことは私的な場面で行うものであり、公的な場面で行うものじゃない気がする。
加えて個人的な勧誘のために歓迎パーティーを開き、そのためだけに女王陛下みずからが一介の冒険者を迎えに行ったというのは、頷けないどころか不可解だ。なにかしらの話があったからこそ、女王陛下みずからというのであればわかる。
だというのに、ルクレティア陛下はご自身で俺たちを迎えに行ったというのに、「話」とやらを一切しなかった。陛下がされたことと言えば、お歴々に俺たちを紹介したことだ。女王みずからが橋渡しをしていたということだ。
それでは、ルクレティア陛下公認で「勧誘してもいいですよ」と言ったようなものだ。となれば、お歴々の反応も頷ける。頷けるのだけど、それだけのことで俺たちと女王陛下が迎えに行ったというのは、どうにもおかしかった。
おかしかったけど、実際に話というものは勧誘だけであり、ルクレティア陛下からの重要な話は一切なかった。
あれでは、まるでそのためだけに俺たちを迎えに来たと言っているようなものだ。普通に考えれば、それは明らかにおかしいことだった。
でも、そのおかしなことをルクレティア陛下は行っていた。
(……なにか弱みでも握られているのかな?)
ルクレティア陛下の行動の意味。考えられるとすれば、お歴々になにかしらの弱みを握られていることくらいだが、それにしてはお歴々の顔にはルクレティア陛下への侮蔑は感じられなかったどころか、その逆のように思えた。お歴々はルクレティア陛下にたしかな敬意とそれ以上の忠誠を抱いているように感じられた。
それとなく、お歴々の方々にも話を聞いてみたが、誰も彼もがルクレティア陛下を絶賛していた。曰く若年ではあるが、歴代屈指の王だとか、そんな名君を支えられるのは光栄などなど。
ルクレティア陛下は今年で15歳の少女。その少女に対して、その倍どころか、3倍、4倍くらいの年齢を重ねたお歴々が心の底から忠誠を誓っていた。ルクレティア陛下の器がそれほどのものであるという証拠だった。
だというのに、その名君たるルクレティア陛下は歓迎パーティーという名の勧誘会を、みずから主催で行った。
その理由がなんであるのかは、いまのところ見えてこない。唯一の可能性があった弱みを握られているということも、お歴々のルクレティア陛下への態度を見る限りではありえないという答えになる。
では、なんでルクレティア陛下は、歓迎パーティーという名ばかりのものをみずから主催されたのか。
(……あと考えられるとすれば、海王絡みか)
モルガンさんから聞いた話では、リヴァイアクス王は海王に玉座を明け渡したということだ。つまり、ルクレティア陛下は海王に降ったということだ。となれば、今回の不可解な行動も海王からの指示ということになる。
ならば、海王はなぜそんなことを指示したのかということになるけれど、その理由はさっぱり見えてこないし、海王がどんな人物なのかもわからなかった。わかるのは、海王がプーレに酷似しているということくらいか。
「……わからないことばかりだな」
ベティが眠るベッドから離れ、備え付けのサイドテーブルに腰掛けながらひとりため息を吐く。サイドテーブルには「夜食にどうぞ」とパーティーで出されたごちそうの一部が盛られたプレートとそこそこ値が張りそうな酒が一瓶置かれていた。
なお、ごちそうにはベティ用の数種類のケーキも含まれていたが、その当のベティはお開きになる頃には、船を漕いでいたため、このまま手をつけることはない。だが、そうなると困ったことになる。プレートに盛られたごちそうは、俺ひとりで食べるには量が多すぎた。ケーキを除いてもその量はどう見ても二人分はあった。
「……大食いに見られたかな?」
大食いと思われるほどに食べたつもりはなかった。それどころか、自分では小食だと思っているのだけど、どうやらルクレティア陛下にはそう思われなかったようだった。
「どうするかなぁ」
酒は飲もうと思えば、一晩で飲める。アンジュは悪酔いしてしまったが、そうなるのも無理がないほどにはいい酒だ。飲みきれなければルリに渡せばいいが、ごちそうに関してはどうしようもない。かといって残すのも悪い、というか、もったいなかった。
「……どうするかなぁ」
なんでこんな量をわたされてしまったかなと思いながらも、目の前にあるごちそうをどう処分するかを考えていた、そのときだった。
──コンコンコン
ドアがノックされた。
来客のようだが、すっかりと夜は更けている。
イリアかなと思ったが、イリアはアンジュを徹底的に絞るようだが、来るはずもない。かと言ってルリはルリで渡された酒に舌鼓を打っている頃だろうから、やはり来るはずもない。あるとすれば、勧誘の続きだろうが、さすがに夜更けに行うには不躾すぎる。
となると、余計に来客者がわからなかった。
いったい誰だろうかと思いながら、ドアを開くとそこには──。
「こんばんは、レン様」
──穏やかに笑うルクレティア陛下がいた。
しかもなぜかバスローブ姿でだ。
服装や髪や肌の濡れ方からして風呂上がりなのは明らかなのだけど、なぜ俺のところに来たのかがいまいち理解できない。
理解できないけれど、いまのルクレティア陛下はやけに色っぽく、直視するのは憚れた。とはいえ、露骨に視線を逸らすのもそれはそれで失礼だったが、視線のやり場に困ることもたしかだった。
「……どうかされましたか?」
ルクレティア陛下ではなく、その背後の壁を見るようにして尋ねると、ルクレティア陛下は「少しお話がありますの」と言われた。
どうやらこれからが「話」の本番のようだった。
つまり、パーティー内では語れないような内容だということだ。
「……どうぞ」
部屋の中に招くように、半身をずらすと、ルクレティア陛下は「失礼致します」と一礼して部屋の中に入ってこられた。その際に、彼女の体からは花の香りがした。甘い花の香り。気が遠くなりそうなほどに甘ったるい香りだった。
「あら、ベティちゃんはおねむなのですね」
「……はい。部屋に着いたら、すぐに」
「そうですか。もう少しお話がしたかったのですが、仕方がありませんね」
残念そうに笑いながら、ルクレティア陛下は備え付けのサイドテーブルに向かい、備え付けの椅子のひとつに腰掛けた。
「レン様、お相手してくださいます?」
そう言って、もともと俺が座っていた側を指差す陛下。そこでふと気づいた。
「……元からこうするつもりだったので?」
「はい。そうですよ」
夜食は、もともとルクレティア陛下の分も含まれていたということだ。道理で二人分もあるわけだ。抜け目ない人だなと思いつつも、残すのはもったいないと思っていたものの処分を手伝ってくださるのであれば、その好意を無碍にすることもない。
「せっかくですし、こちらのお酒も飲みながらにしましょうか。あまり愉快な話ではありませんが、お酒の力を借りてであればいくらからましになりますし」
そう言ってルクレティア陛下は酒を開けると、アイテムボックスからグラスを二脚取り出し、そのうちのひとつに酒を注ぎ、「どうぞ」と俺が座っていた側にと置いてくれた。無碍にはやはりできない。
「……いただきます」
そう言って俺は元々座っていた席に腰掛け、ルクレティア陛下の注がれたグラスを取る。すると、ルクレティア陛下もご自身のグラスにと注ぎ終えていた。それから軽い音を立てて「乾杯」と言い合って俺とルクレティア陛下はそれぞれのグラスを傾けていった。
次回から修羅場です←




