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rev3-5 虎穴へと踏み出して

 なんて言うべきなのか、いまいちわからなかった。


 いまの内心を口にするのは、どうにも難しい。


 アンジュという前例があったから、冷静ではいられた。


 それでも、思うところはどうしてもあった。


(……悲しいほどに、似ている。まさか、短期間で二度も同じ気持ちを抱くことになるなんてな)


 そう、俺が思うのはそれだ。


 あまりにも似ていた。


 アンジュのときは、あまりにも似すぎていて、それがかえって苛立ちを募らせた。まるでカルディアを冒涜されているみたいで、ひどく腹が立ったんだ。


 姉妹、いや、双子かなにかかと思うほどに、アンジュはカルディアによく似ていた。それが俺の神経を逆撫ででいた。まぁ、結局の所、アンジュはカルディアの妹だったので、似ているのも当然だった。


 でも、今回は違う。


 あまりにも似ているというのは同じだけど、違うところを探そうと思えば、いくらでも探すことができるくらいには似ていない部分もある。


 それでも思ってしまうんだ。


 重ねてしまう。


 ルクレティア陛下にプーレの姿を重ねてしまうんだ。


 髪の色はプーレよりも色素が薄い水色。


 瞳の色もやはり同じ。


 髪はプーレよりもだいぶ長い。プーレはボブカットというには若干長めではあったけれど、その髪はわりと短めだった。対してルクレティア陛下の髪はかなり長く、後髪を束ねて、それを肩に掛け流しているが、それでも掛け流した髪は彼女の腹部にまで達しそうなほどだ。


 体つきはだいたい同じくらいだろうけれど、プーレの方が発育は良さそうだ。もっとも俺なんかと比べようもないほどに、ふたりとも発育はいいのだけど。


 名前もよく似ている。正確には名前の響きが、陛下が口にした「ルクレ」という愛称はプーレの名前と響きが似ている。


 差異はそのくらいだが、そのくらいの差異があれば、別人だと思うことは簡単にできた。


 ただ、それ以外の部分は悲しくなるほどに、胸が締め付けられるくらいに似てしまっていた。特にその顔立ちは、プーレそのもので、一瞬言葉を失った。


 でも、どんなに顔立ちが似ていても、ルクレティア陛下とプーレが別人であることは俺が一番よくわかっている。プーレはあの日死んだんだ。俺の腕の中で息を引き取った。だから知っている。いや、わかる。この人はプーレじゃないんだということが。


 だからなのかな。


 アンジュのときとはまるで違っていた。


 アンジュのときは、ただ苛立った。


 けれど、いまは違う。


 ルクレティア陛下を見ても苛立ちはない。ただ、悲しくなるだけで、怒りという感情が沸き起こることはなかった。


 そんなルクレティア陛下は、どういうわけか、ベティを思いのほか気に入られたみたいだ。

 ニコニコと笑いつつも、いまやベティを抱っこして居城の中を、案内がてらに練り歩かれていた。その後を俺たちは続いている。


 話があるということだったのだけど、陛下は城の案内を始められてしまった。


 この城が初めてではないのだけど、ベティはふたつ目の城である「リヴァイアス城」をきらきらと目を輝かせながら見学している。その様子にルクレティア陛下は非常に気をよくしているようだった。だからなのかな、時折ベティに対して、「おかーさんと呼んでくれませんか?」と尋ねている。ベティはそのたびに「うーん」と悩んでいるようだった。……お願いだから、下手な発言はやめてね、と悩むベティに言いたくなってしまった。


 そんなふたりとは裏腹に、アンジュとイリアはそれぞれに顔を青くして、お腹を痛そうに抑えていた。ちなみにふたりの腹痛の原因はそれぞれに異なる。大まかに言えば、理由は同じだ。不敬罪を言い渡されないかでハラハラしているからだ。ただしベクトルはそれぞれに異なる。アンジュは自分に、イリアはベティにとそれぞれベクトルが異なるものの、不敬罪に値しそうな状況に顔を真っ青にしていた。


 そしてそんなふたりとは違って、俺、いや、俺とルリはというと──。


『……落ちついたか?』


『……落ちついているよ、さっきからずっと』


『ふん。そんな風には見えんがなぁ』


『……うるせえよ』


『は、そっちの方がおまえらしいな』


 ──ルリからの小言を受け流すというやり取りを行っていた。


 ルリはさっきからずっと「落ち着いているか」と尋ねてきていた。


 落ちついていないわけじゃなかった。動揺してもいない。怒っているわけでもない。


 ただ、泣きたくなるほどに悲しいだけだ。


 それだけだから、別に何度も尋ねられることじゃなかった。


 けれど、当のルリは、というか、今日のルリはどうにも心配性のようだ。俺が暴れ出したり、怒り出したりしないかが心配なようだ。


『何度も言うけれど、俺は平静としているよ。別に暴れようとしているわけじゃない』


『そんなことはわかっておる。そもそも我自身は心配などしておらぬ』


 はっきりと言い切るルリに、はてと少し首を傾げたくなった。心配じゃなかったのであれば、なんでことあるごとに「落ちついているのか」なんて聞いてくるんだろうか。聞いてきた理由がどうにも理解できなかった。


『心配してくれていたんじゃないのか?』


『はん。バカなことを言うな。なんで我がわざわざおまえを心配せねばならぬ? このくらいのことでおまえがどうにかなるなんて思うわけがなかろう。それに今回は二度目だ。一度目とは状況がまるで違う。一度目はまだ傷が塞がってもおらんときだった。……まぁ、いまも傷は塞がっておらぬが、当時よりはましになっているからな。だから心配をする理由が我にはない』


『……じゃあ、なんで』


 一度目と二度目。その言葉の意味は言われずともわかる。俺自身同じことを考えていたし、ルリが言う通り、一度目はまだ傷が塞がっていなかった。それどころか、傷を抉られた上にそこに塩を塗りつけられていたというべきか、傷ついた痛みをより増幅させられていたということもある。


 だからアンジュにはひどいことをしてしまったといまでは思う。……いまだからこそ、そう言えるというだけのことではあるのだけど。


 とはいえ、それはいい。


 アンジュからしてみれば、「よくないんですけど」と言われそうだけど、いまはアンジュのことはいい。


 大事なのは、ルリの言葉の真意を尋ねるということだ。


 ルリ自身は心配などしていなかった。


 その言葉が意味することがなんであるのか。そのやり取りだけじゃ、いまいち理解できなかった。


(まるでルリ以外の誰かが、という風に聞こえるけれど)


 その誰かが誰なのかはよくわからない。


 少なくとも、ルリのことはもちろん、俺のこともわかっている誰か。


 それも俺を大切に想ってくれている誰か。


 さて、誰だろうかと考えていると──。


『──パパは強がりさんだけど、泣き虫さんでもあるから、心配はどれだけしても当たり前だもん、とのことだよ』


 ──ルリは不意打ちをしてくれた。


 その言葉に俺はその場で立ち止まってしまった。


 そのことにルクレティア陛下は目ざとく気づかれると、「どうかされましたか?」と尋ねられた。俺は慌てて「なんでもありません」とだけ答えた。それ以上は答えられなかったと言う方が正しいかな。それだけいまのルリの言葉は不意打ちだった。不意打ちにもほどがあった。


『……それって』


『……カティが心配している』


『カティは、いま起きているのか?』


『いいや、起きておらぬよ。ただ、あの子の言葉がゆっくりと浮かび上がってきたのだ。まるで気泡のようにあの子の想いとともにな。その気泡は弾けて、中の空気が広がるように、我の中であの子の言葉がありありと広がっていったのだ』


『……そっか』


『だから心配しているのは我ではない。心配しているのは、カティだ』


 それだけ言ってルリは黙ってしまった。


 でも、すぐに「まったく娘に心配を掛けさせるではないわ』とお小言をしてくれた。そのお小言には苦笑いしかできなかった。


『……うん、大丈夫。大丈夫だよ。だから安心していいって伝えてくれ』


『……もう我から何度も伝えておる。まぁ、気泡が弾けてからはまったく声が聞こえんが、気持ちは間違いなく伝わったであろうよ』


『そうか。なら、いいかな』


 心配を掛けさせてしまった娘のことを思うと、胸の奥が温かくなる。


 そんな俺を見て、ルリは小さくため息を吐くと、「本当に仕方がない奴だ」と呟いていた。


「悪いな」とだけ返事をすると、「気にしなくていい」とだけ返事をされた。


 気兼ねしない関係。それが俺とルリ。でも、そのルリの体は俺の娘であるカティのものだ。


 そのカティの意識はすでにない。


 なのに、カティは俺を心配してくれていた。


 パパとしてはなんとも申し訳ない気分だけど、同時にとても嬉しかった。


 もう触れ合えるかどうかもわからない。


 それでも、あの子は俺をパパとして愛してくれている。それがあの短い言葉の中ではっきりと籠もっていた。


 それがとても嬉しかった。


「さぁ、皆さん。そろそろ準備もできた頃合いですし、こちらへどうぞ」


 ルクレティア陛下は懐中時計を取り出し、時間を確認すると、案内を打ち切ってどこかへと向かっていく。言葉尻から考えると歓迎会でもしてくれるのだろう。


 陛下の本心はいまのところよくわからないけれど、その言葉からいろいろと察したのかベティは、尻尾をぶんぶんと振ってはしゃいでいる。どうやら美味しいものを食べられそうだと思ったのだろう。


 偏食ではあるけれど、結構な食いしん坊であるベティらしい姿だった。


 そんなベティの姿にアンジュはいつも通りに、気持ち悪い反応をし、そんなアンジュをイリアが窘めていた。そんなふたりを見て、ルクレティア陛下は笑っている。でも、その笑顔が本心のものとは思えない。なにか隠しているように感じられた。


 けれど、それを口にする気はない。


 この先になにがあるのかはわからないけれど、いまはその流れに身を任せる。もちろん警戒を緩めることはしない。


 ここが敵地のようなものであることは、変わらない。


 海王リヴァイアサンと名乗る少女が、何者であるのかがわからないいま、ここは事実上敵地のようなもの。


 その敵地で隙を晒し出すつもりはない。


 それでも、いまはあえて危地へと踏み出さなければならない。


(この先なにが待っていることやら)


 この先になにが待ち受けるのかはわからない。


 それでも俺は迷うことなく、一歩を踏み出す。


 もうふがいないところを見せないためにも。


 あの子のパパらしいところを見せるためにも。


 俺は虎穴へと足を向けるのだった。

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