rev2-Ex-3 母親である前に
「──すっかりと当てられちゃったなぁ」
やれやれとため息を吐きながら、クリスティナはひとり廊下を歩いていた。
当代の陛下とシスター・アルカの年の差ロマンスというなんとも言えない空間から、ひとり静かに抜け出したクリスティナ。
年の差はあるものの、その空気は非常に甘ったるく、わりと居心地が悪かったのだ。だからこそなにも言わずに抜け出させて貰ったのだ。
言うなれば、あとはお若いふたりでごゆっくりというところ。
ただ、そうなるとクリスティナの居場所はひとつしかなくなる。いまクリスティナが向かっているの寝泊まりしている部屋──パーティーリーダーのアルクの部屋だ。
そのアルク自身が、いまどうなっているのかはカレン、いや、レンにもわからないようだ。
レンと出会った「ラース」の裏手の山の中で分かれたっきりらしい。それは同じパーティーメンバーであり、シスター・アルカの実弟であるアスラも同じようだ。
ふたりが戦っていたという相手は、見たこともない醜悪な化け物ということだったが、あえてはぐらかしたのだろうということはなんとなく覗えた。
レンは嘘を吐くのが下手だった。
正確には上手な嘘の吐き方はするけれど、嘘を吐くことが下手なのだ。
真実を織り交ぜた嘘を吐きはするけれど、嘘を吐く際、わずかに挙動がおかしくなるので、嘘を吐いているというのが見る人が見ればわかってしまうのだ。
この孤児院で再会したときも、「レン・アルカトラ」と名乗るようになるまでの日々を語られていたときも、やはりわずかに挙動がおかしくなっていた。その内容が「見たこともない醜悪な化け物とふたりが戦った」ということだった。
この場合で嘘を吐いているとすれば、それは「見たこともない」という部分だろう。醜悪な化け物であることは、おそらく事実だろうとは思う。それ以外で嘘を吐く理由もない。もしくは、ふたりがそんな化け物と戦ったことが嘘という可能性もなくはないだろうが、それこそなんでそんな嘘を吐くのかがわからなくなってしまう。となると、「見たこともない」というもが嘘になるはずだ。
しかし、もし仮に「見たこともない醜悪な化け物」という言葉自体が嘘だったとしたら、考えられる可能性はひとつだけある。
それはふたりが戦った相手というのが、クリスティナもよく知る人物だったということ。
その人物の名を出さないようにするために、「醜悪な化け物」という表現を使ったということ。
そうなると、だ。考えられる可能性、いや、導き出される答えはひとつだけになってしまう。
「……おやっさん、か」
そう、ふたりが戦ったという相手は、まず間違いなくおやっさんこと、パーティーメンバーのひとりだったクラウディウス卿だろう。クリスティナの現状を踏まえたら、レンがあえてはぐらかしたのもわかる人物だった。
「……本当に気遣い上手だよね」
お嫁さんがいっぱいできるはずだ、とクリスティナはつい笑ってしまう。笑いながらも、その笑い声がひどく空虚であることをクリスティナ自身理解していたが、笑っていないと自分がおかしくなってしまいそうで、自分自身を抑えきれなくなってしまいそうだった。
「……とりあえず、お茶でも飲もうかな」
顔を上げると、突き当たりのアルクの部屋の前だった。
すっかりと没頭してしまっていたようだと、苦笑いしつつ部屋の扉を開けた。
部屋に備え付けられたベッドに目を向けつつも、まずはお湯を沸かそうと手身近なポッドに手を掛け、簡単な火の魔法を使おうとした。
『──クリスティナ、避けろ!』
不意にあのときのことを、アルゴの最期を思い出してしまった。
真っ赤な大きな口に飲み込まれていくアルゴを、まるで轟々と燃える炎の中へと吸い込まれていくようだったアルゴの姿を思い出してしまった。
「っ!」
とっさに右手を引いて、左手で握りしめる。呼吸はほんのわずかな間ですっかりと乱れていた。
「……アルゴ」
ぽつりと呟いたのは、お腹の子供たちの父親にして、最愛の夫となるはずだった人の名前。
同じパーティーメンバーとして、お互いに尊敬し合っているうちに、気づいたら恋仲になり、どうにか既成事実を作れるところまで持っていくことができた。
アルクたちからは「さっさと子供作れ」と何度も言われてしまっていたが、実際に子供ができると、アルクたちは一瞬唖然としつつも、喜んでくれた。喜びながらも「新しい壁役と魔術師を探さないとなぁ」とぼやかれてしまった。ただ、ぼやきつつもその顔はアルゴとクリスティナの幸福を祈っているようでもあった。
アルクとアスラからは子供ができたら、パーティーから外すと言われていた。それはやっかみから来るものではなく、純粋に孤児を作らないための処置である。ふたりが孤児院育ちであることは知っていた。アルクは少し特殊ではあるらしいが、アスラは両親の顔をよく憶えていないそうだ。ふたり曰く「両親のことをまったく憶えていないという孤児は珍しくない」ということらしい。
両親を喪う理由は、孤児ひとりひとりで異なる。大まかに分けると、人の手に掛かるか魔物の手に掛かるかのどちらかである。中には流行病でということもあるし、口減らしのためにということもある。流行病や口減らしの場合は、両親のことを憶えている孤児になってまた別のようだ。
とはいえ、両親がいなければ不幸になるということではない。両親がいなくても、大勢の家族に囲まれて生きていける分、かえって幸福になるということもあるといえばあるらしい。
が、やはり両親の元で愛情を受けて育つのが一番いいというのがふたりの考えだった。だから子供ができたら、仲間からは外すとパーティーを組んだときに最初に言われていた。
「冒険者なんて、いつ死ぬかもわからない仕事なんだ。子供優先で廃業させるのは当然のことだ」というのがアルクの意見であり、アスラも同じようなことを言っていた。
それはそれで収入に困るとは思うが、子供ができた時点でアルゴもクリスティナもそれなりの蓄えがあったし、当代の勇者のパーティーメンバーだったという実績があるため、潰しはいくらでも利いた。
だから冒険者を廃業したところで、収入に困ることはなかった。実際、アルクの伝手を使って、この国で仕事を用意して貰えるはずだったのだ。「魔大陸」で仕事を探すのもありだとは思ったが、アルクはこの「アヴァンシア」をなぜか推していたのだ。
その理由は当時わからなかったけれど、いまならわかる。「魔大陸」は、いや、「七王」の手が伸びる先に安寧など存在しないからだろう。だからこそ、孤児院のある「アヴァンシア」を推したのだろう。
その判断は正しかったとしか言いようがない。
だが、その判断はいくらか遅かった。いや、遅すぎた。アルクの想定とは違うものの、クリスティナには安寧という言葉はもうないのだ。
正確には安寧を供に生きていきたいと思っていた人は、もういなくなってしまっている。
この孤児院にいる間は、安寧ではあるだろう。
だが、いつまでもここにいるつもりはなかった。
いるとすれば、子供を産むまでの間である。
産んだあとは、すぐに旅立つつもりである。
それも産み落とした子供たちを置いて、だ。
「……生かしておけないものね」
そう、旅立つ理由はそれだ。
クラウディウス卿を殺す。
そのためだけにクリスティナは旅立つことを決めていた。
アルクとアスラがいたら止められていたことだろう。
いや、ふたりだけじゃない。
レンがまだ残ってくれているのであれば、確実に止められていたはずだ。
子供がいるのに、アルゴが生きていた証である子供がいるというのに、その子供たちを置いて死地に赴くなんて、普通は止める。
クリスティナも自分の身に起きていなければ、他人事であれば止めていただろう。
しかし自分のことである以上、止めることはできない。いや、止めるという発想自体がなくなってしまっていた。
だが、いまの体では、身重の体では旅立てない。
旅立つには子供を産み落としてからではないと話にならない。
なにせ、相手はあのアルゴに、勇者の盾と謳われたアルゴに防御さえも許さずに一飲みした化け物だ。
そんな化け物相手に、後衛である魔術師のクリスティナが単独で戦いを挑んだところで、返り討ちになるのは目に見えていた。
魔術師は盾となる前衛がいてこそだ。
その盾はもういない。
盾はすでに食われたのだ。
であれば、もう守りは捨てて攻撃にすべてを懸けるしかない。
だが、子供たちが胎内にいる間は、そんな捨て身はできない。
守るべき子供たちがいたら、戦うことはできないのだ。
ゆえに旅立ちは子供たちを、アルスとアリスを産んでからだ。
「……アルス、アリス」
お腹の中のアルスとアリスを撫でる。
魔法で調べた結果、どうやら子供は双子。しかも男の子と女の子の双子らしい。かなり珍しいらしいが、そんなことはどうでもいいことだ。大事なのはこの子たちがアルゴとの間の子供たちであるということだ。
アルスとアリスという名前は、レンが考えてくれたものだ。アルゴとクリスティナの名前を合わせてくれたようだ。アルゴとクリスティナの子供であることがわかるようにと考えてくれたらしい。
最初は参考にする程度のつもりだったが、レンが考えてくれた名前をクリスティナは気に入ったのだ。おそらくアルゴがまだ生きていたら同じ事を言っていただろうと思う。
だから、子供たちの名前はアルスとアリスに決めたのだ。
その子供たちと一緒にいられる時間は、もうほとんど残っていない。
ふたりを産んですぐにシスターに預けていく。
それはもう決めたことである。
だからもう迷いはなかった。
「……お父さんの仇を討つまで、待っていてね」
エゴと言われれば、否定はしない。
無謀だと言われても、同じである。
だが、エゴでも無謀でも、この怒りだけはどうしようもなかった。
怒りの矛を収めることはできない。
この憎悪を止めることはできなかった。
「……ごめんね、お馬鹿なお母さんで。でも、あなたたちのお母さんである前に、私はお父さんの、アルゴの女なの。だから愛する人を殺された恨みを晴らさずにはいられないんだ」
母親であることはたしかだ。だが、母親である前に女でもある。愛する人を殺された恨みを晴らさずにはいられなかった。
「待っていなさい、化け物。必ず、この手で息の根を止めてやる」
沸き起こる怒りと恨み。その黒い感情を抱きながらも、クリスティナは笑う。その笑みはひどく暗く澱んだものだった。そのことにクリスティナ自身で理解しつつも、自分を抑えることはせずに、ただ笑っていた。壊れた笑みを浮かべながら、ただただ笑い続けた。




