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rev2-113 名付け親

 よく晴れた空が見えた。


 木枠の窓から覗く空はいつものように、きれいな青に染まっている。


 その青空の下では、窓の外から見える中庭では、ベティが子供たちと一緒に駆け回っていた。


 見た目だけで言えば、ベティは子供たちの中でも年少の部類に入る。実年齢でも、駆け回っている子たちの中でも年下に入る。


 だが、たとえ実年齢でも見た目でも年下だったとしても、ベティの身体能力はここの子供たちを大きく上回っている。というか、子供どころか、下手な冒険者では太刀打ちできないほどの能力の持ち主だ。


 そんなベティと子供たち。普通に考えれば、どうやっても同じステージで遊ぶことは叶わない。


 が、そこはこの世界の子供たちだ。日本の子供たちとは違って、外で遊ぶことが基本となっている子たちにとってみれば、身体能力の差など大したことではなかったようだ。


 同じ駆け回るであっても、鬼ごっこのような遊びをしていてもやりようはあるようだ。見たところ、逃げるベティを、全員で捕まえるルールで行っているようだ。ベティが鬼役になるという方式だと、あっという間に終わってしまうがゆえの工夫のようだ。


 それでもベティがだいぶ有利なのだけど、ベティはさらなるルールとして、一定の範囲内しか動けないという枷をみずから課したようだ。現にベティはみずから引いた線、円内に引いた線の中だけで動いている。加えてまぶたを閉じてさえいる。


 さすがのベティでも、それだけのハンデを負うとかなり厳しいようだ。おかげで子供たちとベティの遊びはかなり拮抗し、だいぶ白熱としている。


 そんな騒がしくも微笑ましい光景を眺めながら、俺は──。


「……嘘でしょう?」


 ──孤児院の室内で、アルクの部屋で生活しているクリスティナさんと対面していた。当のクリスティナさんは震える手で、その手にある羊皮紙を見つめている。言葉通りに、その顔は信じられないものを見ているかのようだった。


「……どうして? レンさんの話だと」


「……ええ、死んでいます。この腕の中でぬくもりを失った彼女を俺は憶えている。だから彼女であるわけがないんです」


「……レンさんが言うのであれば、そうなんだろうね。でも、私の目にはどう見ても、この海王という子は、プーレちゃんにしか見えない」


 俺の様子を見つめながら、クリスティナさんは手に持っていた羊皮紙を、海王リヴァイアサンと名乗る少女の人相書きへと再び目を落としていた。


 モルガンさんから借りた人相書きを手に、俺はベティたちと一緒にシスター・アルカの孤児院に来た。建前はもうじきこの国を出立するから、その挨拶だ。が、実際は海王リヴァイアサンの人相書きをクリスティナさんにも確認して貰うためだ。


 クリスティナさんはアルクのパーティーメンバーだった。その関係で、俺のギルドを「魔大陸」にいるときの拠点として使っていたこともあり、「エンヴィー」からプーレを連れ帰ってからは度々親交があったとプーレもクリスティナさん本人も言っていた。


 クリスティナさんもご多分に漏れず、甘いものに目がない人だったこともあり、パティシエであるプーレとはそれなりに親しかった。だから海王の人相書きを見て貰い、海王がプーレと同一人物であるかどうかの確認をしてもらった。


 結果は言わずもがなになってしまった。


 モルガンさんの執務室を出てから、イリアとルリにも話を聞いたけれど、ふたりから見ても海王はプーレにしか見えないと言っていた。だが、海王がプーレであるわけがなかった。


 だって、プーレはもう死んだんだ。そのことを俺は誰よりも知っている。彼女は俺の腕の中で事切れた。だから生きているわけがない。俺の腕の中でぬくもりを失った彼女を俺はいまでも鮮明に憶えている。


 海王がプーレであるわけがなかった。


 ならなんで海王はプーレそのものとしか思えない姿をしているのか。


 プーレからは妹がいるなんて話を聞いたこともない。


 プーレの姉代わりだったレアからも聞いたことがない。


 そもそもいくら姉妹だったからと言って、ここまで似ているものだろうか?


 アンジュという先例はあるけれど、いくらなんでもプーレもまた双子として生まれたというのは都合がよすぎる。


 もしプラムさんがいれば、話を聞くこともできるのだけど、いまプラムさんがどこにいるのかはわからなかった。


 プラムさんの所在がわからない以上、いくつもの仮定は浮かび上がるけれど、決定的なものはない。


 わかるのはこの海王とやらは、プーレとなにかしらの関係があるという、見ればわかるくらいだ。


「……レンさんは「リヴァイアス」に向かうんだよね?」


「ええ。とはいえ、今日明日というわけじゃないですけど、先王陛下方が書面を認めてからとなりますね」


「でも、もうそんなには掛からないんだよね?」


「ええ、そうですね。遅くても今週中には」


「そっか」


 クリスティナさんは動揺したまま、今後の予定を聞いてきた。クリスティナさんも冷静になりたかったということもあるのだろうけれど、まさか、最初部屋に訪れたときに言ったことを聞き返されるとは思ってもいなかった。


 もっとも、聞き返されたことで俺もいくらか冷静になれた。


 なんだかんだで死んだ嫁そっくりな女の人相書きを見て、俺も冷静ではなかったようだ。それも自分で思っていた以上に、だ。


「……どう言えばいいのかな」


「……俺もわからないです」


「だよね。私も信じられないよ。でも、たしかにこの子は」


 それ以上はあえてクリスティナさんは言わなかった。けれど、飲み込んだ答えがさきほども口にした内容であることは間違いなかった。


「……プーレにしか見えませんよね」


「うん。何度も言うのは申し訳ないのだけど、私にはどう見てもプーレちゃんにしか見えない」


 クリスティナさんは頭を抱えながら、「どうなっているの?」と理解できないとその顔にありありと浮かばせていた。


 俺自身理解できていない。


 でも、これから向かうことになる「リヴァイアス」にはその答えがある。


 まだ先王陛下方の準備は整っていなかった。


 水面下には動いていたようだけど、さすがに公では崩御されていたこともあり、主だって先王陛下が動くわけには行かなかったようで、「対ルシフェニア連合軍」に関する事柄は、国の上層部でも極一部の人しか知らないことだったようだ。


 だが、王国祭襲撃事件をきっかけにして、水面下から一気に浮上して、事態は大きく動いている。動いてはいるけれど、まだ足下は完璧とはいかない。いまはその足下を整えるための行動中だった。


 でも、それも遅くても今週中にはどうにかなるようだ。その足下を整え終えれば、俺たちは首都から出立することになる。


 だから首都にいられるのは今週までだ。


 来週には首都を出て、一番近くの港町にまで向かっている予定だ。


「……なら、ひとつお願いがあるの」


「お願い?」


「正直どうかとは思うのだけど、でも、任せられるのはレンさんだけだから」


「なにがですか?」


 クリスティナさんの言葉は要領をえなかった。


 でも、なにか大切なことを任せたいというのがわかった。


「……実は、この子たちの名前を考えて欲しいんだ」


「この子、たち?」


「うん、実は双子みたいでね」


 クリスティナさんはまた一段と大きくなった下腹部を撫でた。ひとりだけだと思っていた赤ん坊はどうやら双子だったそうだ。


「ひとりだけならまだしも、双子だとね。まだ時間はあるけれど、いい名前が思いつかないんだ。だから、レンさんに名付け親になって貰いたいな、って。あいつもレンさんであれば、「協力して欲しい」ってお願いしただろうし」


 あははは、と力なく笑うクリスティナさん。たしかにアルゴさんならそう言ったかもしれない。アルゴさんの性格を踏まえたら、俺にも協力を請うたことは十分に考えられた。


「……俺でいいのであれば」


「うん、お願いしたいな」


「……わかりました。じゃあ、数日中に決めますよ」


「うん、ありがとうね。……レンさんもいろいろと大変なのに、ごめんね」


「いえ、気にしないでください。……気を紛らせるのにはちょうどいいです。って、あ、いや、別に片手間に考えるというわけではなくて」


「あははは、気にしないでいいよ。あくまでも参考にするって程度だしね。まぁ、よかったらそのまま使うけれど、そこまで重く考えなくてもいいからね」


 クリスティナさんは笑っていた。


 でも、その笑みの中にはどこか荒廃さがあった。


 その荒廃をどうすることも俺にはできない。


 ただ、思った。


 せめてこの人の救いになるような名前を考えようと。


 気を紛らせるという理由もあるけれど、それ以上に荒廃を抱えたこの人をどうにかしたいという想いがたしかにあった。


「……どんな名前がいいですかね?」


「うーん。なにがいいかなぁ」


 クリスティナさんは笑う。


 その笑顔を眺めながらも、俺の視線はクリスティナさんが持つ羊皮紙を、海王と名乗る謎の女の羊皮紙を捉えていた。


(……この女はいったい誰なんだろう)


 正体はわからない。


 わからないけれど、「リヴァイアス」に答えはある。


 その答えが明らかになるとき、俺は一体どんな想いで、その答えを眺めているんだろう。


 そんなことをぼんやりと考えつつ、俺はクリスティナさんとそのお腹にいる双子の名前についての話し合いを進めていった。

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