rev2-101 原初の神
その扉は真っ白でした。
汚れ一つさえない純白の扉。まるで降り積もる雪のようです。それも地に落ち、踏み固められた雪ではなく、天から降り注ぐ新雪のように、とても白くきれいではありました。
そう、ぱっと見ただけであれば、遠くから一見しただけであれば、真っ白なきれいな扉だなとしか思えない。でも、よく観察すれば、「きれいな扉」という感想を真っ先に否定することでしょう。
(話には聞いていたけど、本当に骨なんだ)
その扉は真っ白ではあったけど、その材質は白木ではなかった。かといって石でもない。その材質はどう見ても骨。人間の骨でできているのか、それとも動物や魔物の骨なのかはわからない。でも、骸骨でできた扉であることは間違いなかった。骸骨でできた真っ白な扉を、「きれいだなぁ」と思える人なんているわけもなく、最初の感想を真っ先に否定するというのはそういう意味です。
私自身、話に聞いてはいたけれど、一点の汚れもない真っ白な扉だけを見ると、「きれいだな」とは思いました。
でも、その材質がなんであるのかを改めて、みずからの目で確認したら、とてもではないけれど、「きれいだな」なんて思えるわけもなかった。
いまのは感想はただただ悍ましいとしか言えない。その材料となった持ち主たちは、この扉を作るためだけに犠牲になったのか、それとももともと死体だったものから抜き出したのかはわからないけれど、その扉からは怨念のようなものを感じられる。生者を呪うような、「おまえも仲間になれ」と語りかけてくるような、そんな怨念が感じられた。
(「原初の神」という存在の住居へと続く道の扉って話だったけれど、これが本当に神様の住居に繋がる扉だっていうの?)
「原初の神」とやらが本当に実在するかはしらない。ただ、この扉だけを見ていると、たしかにそう呼ばれる存在はいるのかもしれない。でも、その存在は決して讃えられるような存在ではないことだけはたしかです。もっと言えば、神は神でも邪神とか、魔神とかそういう存在ではないのかと思えてなりません。決して母神様のように敬われる存在ではない。世界中で信仰されるような立派な神様であるわけが──。
「ふふふ、そうはっきりと言われると傷ついちゃう」
「……え?」
──立派な神様であるわけがない。そう断じようとした私のすぐそばから、聞いたことのない声が不意に聞こえてきました。
「ふぅん? こうして見ると、本当にそっくりねぇ。アルの血筋の子っていうのは、彼女同様にたしかみたい。そっちの子もたしかにレスティの血筋であるようね。ふたりともそっくりだもの。まぁ、ゼスティの血筋の子や、レイアの血筋の子もそれぞれそっくりだったものねぇ。無理もないかしら?」
くすくすと笑いながら、声の主は私の頬をゆっくりと後ろから撫で始める。慌てて振り返るとそこには、真っ黒な髪で真っ黒な瞳をした、レンさんの着ている服に似た見慣れない装束を身につけた背の高い女性が立っていました。
「あなたは?」
「あら? 私が見えるの? いや、それどころか、私がこうして顕現しても動くことができるんだ? へぇ、すごい。「刻の世界」で動ける者も「この世界」ではまともに動けないはずなのだけどねぇ」
女性は感心したかのようにくすくすと楽しげに笑っている。笑っているのだけど、どうしてか怖いと思えました。女性がなにを言っているのかわからないということもあるけれど、それ以上に得体の知れなさがただただ怖かった。
「ふふふ、安心してちょうだい、アンジュちゃん。別に取って喰らおうとしているわけじゃないの。そんなことをしたら、かわいいカレンに嫌われてしまうもの」
「カレン?」
「うん? あぁ、そっか、あなたから見れば、「カレン」ではなく、「レン」と言った方がわかりやすいかな? あなたが一目惚れをしたレンと言った方がいいかしら? それとも「死んだお姉ちゃんの代わりでいいから抱いて欲しい」って願っている想い人のレンと言った方がいい?」
「っ!」
女性の一言に私は言葉を失い、声を呑んだ。なにを言っているですか、と言うことは容易かったし、そんなことを私は一度も考えたこともないとはっきりと言い切れるはずなのに、なぜか私はなにも言えなかった。
「ふふふ、当てずっぽうで言ったのだけど、どうも本心だったみたいね? それとも本心を心の奥底にしまい込み、あえて自分で見ないようにしているのかしら?」
私がなにも言えない間も女性は、淡々と続けていく。まるで朗読するかのように、その声は躊躇もなく、一度もつかえることもなく、続けられていく。耳を塞いでしまいたいとさえ思うのに、その声は耳を塞ぐことを許してくれないような、不思議な響きを孕んでいた。
「ダメよ? 人はもっと自分の欲望に忠実でいないといけないの。欲しいものがあるのであれば、それこそ力尽くで奪い取らないとね? じゃないと、欲しいものなんて手に入らないの。欲しければ奪うの。奪って奪い尽くさないと、すぐに他人のものになってしまうのよ?」
「たにんのもの?」
「ええ、そうよ。だって、あなたは何度か見たでしょう? 夜、みんなが寝静まっているときに、あなたのすぐそばで、イリアちゃんがレンに抱かれているところを」
また声が出なくなった。
たしかに、たしかに私は何度か見てしまった。
イリアさんがレンさんに抱かれるところを、何度か見てしまった。陶酔して声をうわずらせながら、レンさんに抱かれるイリアさんを。
わざと見ていたわけでもないし、盗み見していたわけでもない。
夜不意に目覚めると、いつもすぐそばでレンさんはイリアさんを抱いていたのです。レンさんがわざとそうしているわけじゃない。わざとしているのはイリアさんの方。イリアさんはレンさんに抱かれながら、念話でずっと私に語りかけるのです。耳を塞いでも聞こえるように、うわずった嬌声を聞かせてくれるのです。
うわずった声でイリアさんはいつも言います。「これはあなたにはしてもらえないこと」だと。「これは私だからしてもらえること」だと。「あなたはこの人の女ではないの。この人の女は私なのだから」だと。行為が終わるまでずっと、私を寝かせないために何度も何度も私の頭の中でそんな声を響かせ続けるのです。
行為が終わってもイリアさんが寝るまで、その行為の余韻がどれほどのものであるのかを、イリアさんは念話で語りかけてくる。「愛おしい人に抱かれるのは、とても幸せ」だとそう何度も語るのです。まるで私にすりこみをするのかのように、何度も何度も。
「知っていて、アンジュちゃん。イリアちゃんの役目は本当ならあなたがするべきことだったのよ?」
「……え?」
「本当ならあなたがレンに抱いて貰えていたの。ううん、本当にレンが抱きたいのはイリアちゃんじゃなく、あなたなの。あの子をあなたを抱きたくて仕方がないのよ? あなたを自分の女にしたくてたまらないのよ。でも、あなたを抱けないの。あなたを抱くということは、カルディアちゃんを捨てるのと同意義になってしまうから。だからあなたは抱かれないの。もういもしないカルディアちゃんのせいで、あなたは自分の役目をイリアちゃんに奪われてしまっているの。レンの女としての立場を、あなたがいるべき場所を奪われてしまっているの。でも仕方がないよね? だって、あなたはただ指を咥えていることしかできないもの。大好きな人が、別の女を抱くのを横目で見ているこしかできないんだものね」
否定するべきはずなのに、その言葉は、その声は私の奥底にまでしみこんでいくようでした。私はレンさんをそんな目で見ていないと言いたいのに。そんなふしだらなことをしたいと思ったことは一度もないと言いたいのに、私の口はそれを告げるように動いてはくれない。ただ噤むという形でしか動いてくれなかった。
「少し虐めすぎちゃったかしらね。ごめんなさいね? 自分でも趣味が悪いとは思っているけれど、家に続く扉を見て邪神だの魔神だのと言われて、ちょーっと腹が立っちゃったの。だけど、これでイーブンってことにしてあげる」
ふふふ、と女性が笑う。これでイーブンなんてどうして言えるのかと言いたくなったけれど、私はなにも言えなかった。なにかを言おうという気力さえもう失っていた。
「あらあら、本当に虐めすぎちゃった? ごめんなさい。カルディアちゃんなら平然としていられるから、あの子の妹さんならこのくらい簡単に聞き流せると思ったのだけど。ちょっと買いかぶりだったかしら。いえ、単純に自分で認めてないからかしら? まぁ、どっちでもいいけどね」
女性はそう言って私の頬を撫でていた手を引っ込める。すると、女性の姿は少しずつ薄れていった。
「あぁ、そうだ。自己紹介を忘れていた。私はそこのレスティの血筋の子の話に出てきた「原初の神」と呼ばれる存在よ。名前は、現世風に言えばクラウディアってところかしら?」
「クラウ、ディア?」
「えぇ。あなたたちの言う母神様たちのお母さんで、そしてあなたの大好きなレンのおばあちゃんなの」
「……え?」
いままで一番の衝撃のある言葉でした。誰が誰の娘だと、この人は言ったのか。それを私の頭は理解することができなかった。
「いいわぁ、アンジュちゃんのその顔。カルディアちゃんとそっくり。あの子も最初はそんな顔をしていたなぁ。いまでは、すっかりと慣れちゃっているけれど」
「お姉ちゃん? お姉ちゃんを知っているの?」
「ええ、もちろん。だって一緒に住んでいるもの。私の家でね」
「あなたの家」
「ええ、「カタコンベ」の先にある家で一緒に住んでいるの。会いたくなったらいつでも会いに来ていいわよ? まぁ、くぐり抜けられるかは運次第だけどねぇ」
女性はまた笑う。でも、その笑顔はそれまでのものとは違い、ひどく歪んでいて、邪悪という言葉がこれ以上に似合う笑顔はないと言い切れるものだった。
「そろそろ門番ちゃんが着く頃ね。感動の再会になれればいいけど、まぁ、どちらでもいいか。せいぜい私を楽しませてね、アンジュちゃん。あなたにレンの、カレンの隣に立てる資格があるかどうかを私に見せてちょうだい」
一方的に言い切って女性の姿は消えていった。それこそ幻だったかのように、忽然と。
「どうかしたか、アンジュ殿?」
「え?」
女性の姿が消えると同時に先王様がお声を掛けてくださいました。が、どうかしたかではなく、いまいろいろと起こっていたというのに、なにを仰っているのやら。
「どうかしたもなにも、いまそこに」
「そこになにいたのかね? 急にそなたは立ち止まったゆえに声を掛けたのだが」
「立ち止まった?」
「あぁ」
先王様は怪訝そうなお顔で私を見つめている。
その表情を見る限り、嘘を吐いているようには見えない。
ということは先王様にとっては、おかしなことをしていたのは私の方だったということになる。
でも、とてもではないけれど、頷けなかった。頷けなかったけれど、それを言うよりも早く事が起きてしまう。それまでなんの異常もなかったはずの扉が内側からきしみ始めたのです。いや、きしみ始めたというよりかは、なにかがぶつかるような音を立て始めたのです。
「いかん、トゥーリアか!」
先王様は焦られた顔で扉へと向かっていく。その後を私も追いかける。追いかけながら、女性の言った言葉が何度も反芻していた。
「母神様のお母さんで、レンさんの」
祖母。そう女性は言っていた。
それはつまり、レンさんは母神様の娘ということになる。
ルリさんが巫女どころではないと言っていた意味は、こういうことだったのかと。
でも、それはとてもではないけれど、信じられなかった。
それこそ、その言葉こそが嘘だとしか思えなかった。思えないけれど、それを否定することもできない。
(いったいなにが本当なんだろう?)
わからないことが多い。
多いけれど、いまは目先の問題について、現世に舞い戻られようとするトゥーリア殿下への対処が先決です。
私になにができるのかはわからない。
わからないけれど、いまは私にできることがあると信じて前に進むしかなかった。
ただ、ひたすらに前へと進むしかいまの私にできることはなかった。
前に進むための一歩をそうして私は踏み出すのでした。




