rev2-98 贄
体が軽かった。
いつも鈍重というわけではない。
でも、今日はとても軽かった。
いや、今日はというか、いまはとても軽い。
体に翼が生えたよう、という表現はある。
けれど、実際に翼が生えたわけじゃない。
そもそも翼なんて、人の体に生えることなどあるわけがない。
でも、そう思ってしまうほどに、いまの体は軽やかに動いてくれる。
いや、これが本来の自分の姿なんだとさえ思えてくる。
地面を蹴る足にいつもよりも力が込められる。
普段の最高速度がほんの少しの力で到達できてしまう。
いつも以上の速さで景色が後ろへと流れていく。
その景色の中には、安堵の表情を浮かべる人々や塵と消えていく腐肉共の姿が映っていた。
けれど、その姿は一瞬で消えていく。
目の端に映るけれど、その姿を留めることなく、駆け抜けていく。
目指す場所は特に決めていない。
ただ、目に映った腐肉共を斬り捨てる。
それだけを淡々とこなしてく。
黒い腐肉を見つけたら、駆け寄って斬り捨てる。
機械的にそれだけをこなしていた。
首都の中にどれほどの腐肉共がばらまかれているのかはわからない。
少し前までだったら絶望的としか思えなかった。
でも、いまはいくらでも来ればいいと思えた。
いくらでも出てくればいい。
そのたびに斬り捨てるだけ。
少し前までは考えることもできなかったけれど、いまならできるという確信があった。その確信を胸に抱いて駆け抜ける。
一陣の風に、いや、一条の雷になって駆け抜けていく。
それは「エターナルカイザーオンライン」というゲームであれば、当たり前に行っていたことだ。
俺のアバターである「レン」は、戦闘中にいつも黒雷を纏っていた。
けれど、それができるのはゲーム内世界でだけ。
現実で雷を纏うことなんてできるわけがない。そんなことは子供でもわかることだ。
だというのに、いま俺は実際に雷を纏って駆け抜けていた。
そもそも「レン」が雷を纏えていたのは、「レン」専用の武器があったからだ。「ミカヅチ」という名の長刀があればこそだった。
でも、「ミカヅチ」が存在するのはゲーム内だけ。現実には実在しない武器だった。
そう、実在するはずのない武器。その実在しないはずの武器である「ミカヅチ」は、いま俺の手の中にあった。もともと存在していた魔鋼の刀は姿を消していた。いや、違うか。魔鋼の刀だったものが、ミカヅチにと変化していた。
実際に俺はその変化を目で見ていた。見慣れた魔鋼の刀がゆっくりと変化していく様を。
ベティに言われて気づいた右手に帯電していた黒い雷。
その黒い雷が魔鋼の刀を覆ったと思ったときには、黒い雷は刀身へと入り込んでいった。そのとたん、魔鋼の刀からいままで感じたことのない鼓動を感じた。
鼓動のたびに、魔鋼の刀は変化していった。
まずは刀身の色が変化し、その次に刀身の長さが変わり、刀身が帯電していった。
それまで魔鋼の刀は帯電することはなかった。
時折属性を付与させることはあったけれど、俺は少なくとも今回付与させてはいなかった。なのにそのときには魔鋼の刀は帯電をしていた。
帯電する黒い刀身の長刀。
そんな代物、俺は現実で一度も見たことはなかった。
ただ、現実では見たことはないけれど、ゲームであれば、それこそ何度も見た。いや、数え切れないくらいに振るい続けてきた。
その振るい続けてきた刀こそがミカヅチだった。
そう、魔鋼の刀はミカヅチに変化した。
そこからはあっという間だった。
ゲーム内でしていた戦法をなぞる。ただそれだけでよかった。
それだけしかしていないのに、腐肉共は次々に消滅していく。
それはいままでの俺であれば、決してできなかったこと。
ゲーム内であれば、ゲーム内にもし腐肉共がいたら、容易くできたことだった。
けれど、ゲーム内には腐肉共はいない。腐肉共がいるのは現実でだけだった。その現実では決してなしえなかったことを、いま俺はなしえていた。
足りなかったピース。
よくある例えではあるけれど、いままでの俺には足りなかったもの。
その足りなかったものが、いまぴたりとはまった。
いつも通りに剣を振るっているはずなのに、振るう速度さえも違う。
ただ速くなっただけ。
自分ではそう思う。
でも、端から見れば決してそれだけではないのかもしれない。
帯電するいまの姿を見て、助けた人たちがなにか呟いているのが見えていた。唇の動きを読むことはできたけれど、最後まで読まずに次の腐肉共を潰しに掛かった。
(めが、とか言っている気がするけれど、どうでもいっか)
いま大事なのはそういうことじゃないんだ。
いま大事なのは、これで目的達成にひとつ近づけたってことだから。
この世界を壊す。
このくそったれな世界を灰燼に帰する。
その目的に一歩だけ近づけた。
そのためには、目に映るすべてを救う。
いや、救ってみせる。
そうして初めて本当の一歩を踏み出すことができるのだから。
(さぁ、俺の目的のための贄になれ)
悍ましい腐肉共を見つめながら、俺はわずかに口元を歪ませていく。
その笑みが狂気じみていることを自覚しながら、ただ俺は自分の目的のために剣を振るっていった。




