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rev2-90 自由にはなれない

「──トトリ」


 アーサーの傷ついた声が聞こえていた。


 だが、トトリの視界に映るのはアーサーではない。敬愛する主であるトゥーリアだけ。


 そのトゥーリアは嬉しそうに笑いつつも、どこか申し訳なさそうだった。どうしてそんな顔を浮かべるのか、トトリには理解できなかった。


 トゥーリアはたしかに変わってしまった。


 アーサーはトゥーリアを「醜き魔物」と呼び、トゥーリアは自身を「リッチという魔物」になったと言っていた。ふたりの言葉から察するに、いや、アーサーが放ったミストルティンの力で露わになった姿を見る限り、トゥーリアは本当に人ではなくなってしまっているのだろう。


 人と骸骨。その両方の顔を見せたトゥーリアは、たしかに悍ましくはあったが、美しくもあった。……常人では決して出し得ない感想であることは、トトリ自身理解していた。それでも美しさと悍ましさの両方があのときのトゥーリアにはあったのだと思った。


「トトリ、なぜ?」


「えっと」


 アーサーはまるで詰問するかのような口調でトトリに問いかけていた。どう答えればいいのか。どう答えるべきなのかがトトリにはわからなかった。そもそもなぜ詰問されているのかもトトリには理解できないことだった。


「言ったでしょう、アーサー。これは私のものなの。あなたのものじゃない、と」


 困惑するトトリをよそにトゥーリアはトトリを腕の中に閉じ込めた。それだけでアーサーの視線に殺意が宿るのがはっきりとわかった。 


「……姉だった身としてひとつ忠告してあげる。自分の気持ちを一方的に向けるだけじゃ、女は靡かないよ。ううん、女だけじゃない。一方通行の気持ちじゃ人は決して靡いてはくれない。押しつけるだけの気持ちなんて、誰が受け取ってくれるものか」


「っ、うるさい!」


 アーサーが顔を真っ赤にして叫ぶ。その叫び声とともに廊下から人の声と足音が聞こえてきた。


「……そろそろ好き勝手できるのも終わりかな。じゃあね、アーサー」


 トゥーリアはそう言うと、バルコニーに向かって駆け出した。腕の中にいたトトリを強く抱きしめたまま。


「トトリ。掴まっていてね」


 トトリを見下ろしながら、トゥーリアは笑う。その笑顔はやはりトトリの見知ったトゥーリアのものだった。


「……はい、姫様」


 トトリはトゥーリアの言葉に頷いて、しっかりと抱きついた。それだけでトゥーリアはとても嬉しそうに笑ってくれた。


「行くよ、トトリ」


 トゥーリアの腕の力が強まる。少しだけ痛みを感じつつも、トトリは半ばしがみつく形でトゥーリアに抱きついた。それを確認してから、トゥーリアはバルコニーの柵を飛び越えた。

 落ちる、と思ったが、不思議なことにトゥーリアは空をそのまま駆け出していく。まるで見えない地面がトゥーリアの前方に伸びているかのようだった。


「これは」


「魔法だね。空を飛ぶ魔法。リッチになったら使えるって聞いていたけれど、本当に使えるんだ。すごいよね」


 トゥーリアは淡々と答えたが、その目はきらきらと輝いていた。その輝きは実にトゥーリアらしかった。知らないもの、見たことがないものをトゥーリアは好んでいる。絵本に出てくるような、おとぎ話を描く絵本に出てくるような、活発なお姫様を体現しているのがトゥーリアだった。


 そんなトゥーリアが実際に空を飛んでいた。それだけでトゥーリアがどれほどにいまを楽しんでいるのかは言うまでもないことだ。


 年齢相応な姿でトゥーリアは楽しそうに笑っている。その笑顔を見て、トトリは頬を綻ばせた。トゥーリアが楽しんでいる姿を見ているだけで、トトリ自身とても楽しかった。いつまでもその横顔を見ていられる気さえした。


「どこまで行けるんだろう。どこまででも行ってみよう、トトリ」


「はい、姫様」


 鳥がすぐ近くを飛んでいく。鳥と同じ高度で空を行くことに、トゥーリアは興奮を隠しきれずにいた。そんなトゥーリアとどこまででもともに行ってみたいとトトリは思った。トゥーリアの腕に抱かれながらどこまででも。どこまででも飛んでいきたい。そう思っていた。


 だが、その願いは決して叶うことはなかった。


「あら、ダメよ、トゥーリア。ちゃんと契約通りにしてくれないと」


 くすくすと笑う声がどこからか聞こえてきた。


 どこからと思ったときには、目の前に見たこともない女性が立っていた。真っ白な髪に真っ赤な瞳を持った美しい女性。それこそトゥーリアでさえも翳んでしまうほどに、その女性はとても美しい人だった。

 

 だが、トゥーリアとは違い、その女性の目には温かさはかけらもなかった。どこまでも冷たい目をしている。それこそこの国特有の吹雪を思わせるような、そんな冷たい目を女性は向けてきていた。


「……これはこれは、ご機嫌麗しゅう」


 トゥーリアはそれまでの興奮を一気に沈静化させて、トトリを腕に抱いたまま仰々しくお辞儀をしていた。その流れは明らかに目上に対するもの。トトリにとっては信じられないやりとりだった。


 トゥーリアはこの国の姫だ。たとえリッチという魔物と化したとしてもトゥーリアの血筋までは変わらない。


 この国でもっとも高貴な血を受け継いでいるのだ。そのトゥーリアが自身よりも目上とする者などこの国においては、国王かほとんど会うことのない兄姉くらい。しかしトトリはトゥーリアに目の前の女性のような兄姉がいることなど知らない。


 そもそも仮にトゥーリアの兄姉だったとしても、なぜトゥーリア同様に空を飛んでいるのかがわからない。


 トゥーリアは「リッチになったら空を飛ぶ魔法が使えるようになる」と言っていた。となれば、目の前の女性もリッチということになるが、トトリには目の前の女性はトゥーリアとはまるで別種の存在のように思えてならなかった。いや、別種というよりかはリッチよりもはるかに、それこそ比べること自体がおこがましいほどに雲の上の存在のように思えてならなかった。


「挨拶はいいから。役目を果たしなさい、トゥーリア。あなたがこの国を滅ぼすの。この忌々しい国を。あのくそったれな国を受けつぐこの国を。あの子を殺めた国の系譜を、あなた自身の手で終わらしなさい」


 女性はよくわからないことを言う。その言葉にトゥーリアは「承知しました」とだけ頷いた。


「ごめんね、トトリ。せっかく空を飛べたのに。私は自由ではないみたい」


 トゥーリアはなぜかそんなことを言った。近くを飛んでいく鳥を、どこか羨ましそうに見やってから、女性を見つめた。


「それでもあなただけは守るからね」


 ぎゅっとトトリを抱きしめてから、トゥーリアは小さくなにかを口ずさみ、そして──。


「落ちよ、絶望の果てに。プレイグ」


 トゥーリアが最後に口にした一言ともに真っ黒な塊が、可視化した真っ黒な空気の塊のようなものが、街へ、いや、国全体を覆うかのような勢いで広がっていく。その有り様を見やりながらトトリはただトゥーリアにしがみつくことしかできなかった。

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