rev2-89 ぬくもりと冷たさ
「──目覚めよ、ミストルティン」
アーサーが発した一言で、国宝である聖剣ミストルティンから、眩い光が放たれていく。その光はとても強かったが、それでいてどこか安心できるものだった。とても温かい光。その光にトトリはなぜか涙を流した。
どうしてかはわからないが、光に包まれただけで、心中にあった不安はすべてなくなったのだ。不安が消えたと同時に目尻からは幾重もの涙がこぼれ落ちていった。
泣いてしまうようなことはなにもなかったはずだったのに、なんで泣くのか。それがトトリには理解できなかった。
理解できないまま、トトリは聖剣が発する光をただぼんやりと眺め続けていた。
やがて剣から発された光が止むと、そこには膝を突いたトゥーリアがいた。握っていたミストルティンを手放し、両手で顔を覆ったトゥーリアが膝を突いていた。
「ひ、姫様!」
トトリは慌てて、トゥーリアに手を差し伸べようとした。だが、アーサーが「触れるな!」と叫んだことで、伸ばした手を引いてしまった。
「トトリ。触れてはならない」
「殿下。ですが」
「ですがもなにもない。触れるな。これは命令だ」
有無を言わさぬ口調で、アーサーはトトリを見やる。が、すぐに顔を逸らしてしまった。それもなぜか頬を染めてだった。どうしたのだろうと思ったが、トトリは自分の姿がいまどうなっているのかを思い出し、慌てて近くにあったシーツで体を包んだ。……正直いまさらかもしれないと思いはしたが、それでも乙女としては隠すべきものは隠しておくべきであった。
「……あー、その、すまない」
「い、いえ。お気になさらずに。つまらないものを、お見せしてしまい、申し訳ございません」
「い、いや、別にそういうわけじゃ。その、えっと、きれいだったし」
「え?」
「え、あ、いや、これは、その、言葉の綾、いや、そういうわけじゃなくて、えっと、その、あー、うー」
状況が状況であるというのに、アーサーは狼狽え、最終的には頭を抱えてしまっていた。どうしてアーサーがそこまで狼狽えているのかはいまひとつトトリには理解できなかった。
トトリとしては、自分の体は孤児院時代よりかはましにはなったが、それでも年相応、いや、年相応よりもいくらか貧相だとしか思っていなかったのだ。それをきれいと言われても、いまひとつ理解できなかった。
だが、アーサーにとってはトトリの体は、トトリ本人の評価とは若干異なるようだが、その理由はよくわからない。トトリは首を傾げながら、頬どころか顔まで真っ赤にして未だに俯くアーサーを見つめていた。妙な空気が流れていくのをトトリは感じ取っていたが、どう反応すればいいのかわからず、ただアーサーを見つめることしかできなかった。
「……やってくれたね、アーサー」
不意にトゥーリアが呟いたことで、流れていた空気が止まった。顔を覆っていた両手の隙間からトゥーリアが金色の瞳を覗かせていた。青い瞳も美しかったが、金色の瞳もまた美しくはあったのだ。しかし、そのときの瞳はひどく血走っており、怒りに打ち震えているというのがよくわかった。
それ以外の変化としては、美しかった金髪が大きく乱れていたり、肩を大きく上気させているところだろうか。
だが、それ以上の変化があった。顔を覆う両手。その指先が白く変色していた。いや、変色というよりかは──。
「……ようやく正体を現しましたか、姉上。いえ、醜き魔物よ」
アーサーは俯かせていた顔を上げた。……まだ若干頬が赤くはあるが、その目はとても鋭かった。その視線の先にいたトゥーリアは顔を覆っていた手を下ろし、その顔を露わにした。露わになった顔を見て、トトリは言葉を失った。
「醜き魔物、ね。たしかにこれだとそう言われても仕方がないかもしれないね」
トゥーリアは笑っていた。笑いながら殺気立っていた。その顔の半分は見知ったトゥーリアの美しいもの。だが、もう半分は肉が削げたもの、いや、骸骨そのものだった。半分は美しく、もう半分は悍ましい。たしかにアーサーが醜いというのもわかるし、トゥーリアが若干自嘲気味に頷くのもわかってしまう。
しかし、トトリにとっては醜いと言う気にはなれなかった。どんな姿になろうと、そこにいるのはトゥーリアなのだ。トトリが尊敬する最愛の主なのだ。そのトゥーリアを悪く言うことはトトリにはどうしてもできなかった。
そんなトトリの心境を察したのか、トゥーリアは嬉しそうに、でも、どこか申し訳なさそうに笑っていた。その笑顔は時折、トゥーリアが見せてくれたもの。トトリが決して浮かべさせまいと決めていた笑顔。その笑顔を見て、トトリは堪らなくなってしまった。
「で、殿下! もうおやめください!」
トトリはアーサーの前に立った。
トゥーリアとアーサーの間に、いや、トゥーリアを守るためにその身を盾にするつもりで立ちはだかった。
そんなトトリにアーサーは理解できないと顔に書いていた。
「……なぜ、守るんだ、トトリ」
「姫様のお世話をするのが私の役目です。そのお役目の中には、姫様の身辺警護も含まれております。……ただあくまでも私ができるのは、一度きりの警護です。姫様を狙う凶刃に対して一度っきりの、頼りない盾になること。それが私なりの警護です。そしてその警護を行うべきはいまだと思いました。だからこそ、私は姫様の盾になります。それが私の役目です」
「それはもう姉上では」
「いえ、この方は姫様です。私の敬愛するトゥーリア姫様です!」
「……トトリ、君は」
アーサーは呆然とした様子でトトリを見つめていた。その表情はひどく傷ついたように見えた。
なぜそこまで傷ついているのかは、トトリにはわからなかった。わからないまま、トトリとアーサーの視線は絡み合うも、その意見は平行線を辿るだけだった。
「……ふふふ、無様だね、アーサー」
平行線を辿っていると、トトリの視界が回転した。そう思ったときには、トトリはアーサーではなく、トゥーリアを見上げていた。トゥーリアの顔はまだ半分骸骨のままだったが、徐々に元通りに戻りつつあった。血走っていた目はもう元の金色に戻っており、トトリを見下ろす目はとても穏やかだった。アーサーに放っていた殺気はトトリには向けておらず、むしろトトリを決して傷つけまいという決意を感じ取れた。
「あなたにとってのお姫様は、あなたのものじゃないんだよ。これは私のものだもの」
くすりと笑いつつも、トゥーリアが顔を近づけてくる。どうしていいかわからなかったが、嫌ではなかった。トトリはそっとまぶたを閉じた。すぐに唇にぬくもりと冷たさの両方を感じた。
ぬくもりは慣れ親しんだトゥーリアのもの。が、冷たさもまたいまのトゥーリアのもの。そのどちらもトトリはとても愛おしく感じられ、トトリは両腕をトゥーリアの背中にと回していた。
触れるだけだったのが、少しずつ深く繋がっていくのがわかった。それもまた決して嫌ではなかった。トトリは完全にトゥーリアに身を任せていた。
やがて息苦しさを感じた頃、トゥーリアが離れていく。名残惜しみながらトトリがまぶたを開くと、そこには元通りになったトゥーリアがいた。美しさを取り戻したトゥーリアがいた。それがとても嬉しくて、思わず頬を綻ばせてトトリは笑った。
そんなトトリを見てトゥーリアは目尻からわずかに涙をこぼしながら「ありがとう、トトリ」と笑いかけてくれた。その笑顔を見てトトリは心の底からの幸せを感じたのだった。




