rev2-88 国宝
扉の向こう側にいたのは、トゥーリアの双子の弟であり、王位継承者であるアーサーだった。その手にはアーサーの体と釣り合う大きさの小ぶりの剣が握られていた。
「あら? アーサー、どうしたの?」
トゥーリアは笑顔を浮かべて、アーサーへと向き合う。
だが、当のアーサーはどこか痛ましそうな顔で、トゥーリアを見つめていた。
「……姉上」
「うん?」
「おいたわしいです」
アーサーはそれだけ言って、ほろりと涙をこぼした。
涙をこぼしながら、手の内にある剣をゆっくりと構えた。切っ先はトゥーリアの喉元へと向けられており、涙を流している姿からは不釣り合いと言えるほどに剣呑な雰囲気をかもち出していた。
「なにが?」
それでもトゥーリアは余裕を崩さなかった。にこにこと笑いながら、双子の弟を見つめている。そんな姉の視線にアーサーは顔を俯かせながら言った。
「……なぜ。堕ちたのですか?」
「堕ちる?」
「なぜ、魔物になど身をやつしてしまったのかと聞いているのです」
アーサーが構えた剣を握りしめていく。剣呑さの中に悲壮さが加わっていくものの、当のトゥーリアはそんなアーサーを見ても表情ひとつ変えさえしなかった。
むしろ、アーサーの行為を「無駄なことを」といまにも口にしてしまいそうなほどに、その笑顔には蔑みの色が露わになっていた。
「私が魔物? いきなりなにを言い出すの?」
「……ごまかさないでいただきたい」
「ごまかすもなにも、私は魔物じゃないのだけど?」
「では、魔物でないのであれば、いまのあなたはなんですか?」
アーサーがゆっくりと部屋に一歩足を踏み入れた。アーサーの履いていた靴底に、絨毯を染色した「赤」が付着していく。
その「赤」にアーサーは不快げに顔を顰めた。が、すぐに顔を引き締めてトゥーリアを見つめた。いや、見つめるというよりも睨み付けるという方が正しい。その視線はどこまでも鋭く、そして悲しみに満ちていた。
「いまの私がなにになっているかって? そんなの決まっているじゃない」
にこやかにトゥーリアは笑い、そしてふっと音もなく姿を消した。アーサーが目を見開きながら、周囲を見回すもトゥーリアの姿を捉えることができないでいた。だが、トトリからすればその姿はあまりにも滑稽に見えた。
トトリからはトゥーリアがどこにいるのかは見えていたからだ。むしろなぜアーサーがわからないのかがかえって理解できないほどだった。それほどまでに至近距離にトゥーリアはいた。そう、トゥーリアがいたのは──。
「私がなにになったかって? そんなの私は私に決まっているじゃない。本当にあなたはお馬鹿な玩具ね、アーサー」
──くすくすと笑いながら、トゥーリアは背後からアーサーが構えていた剣を奪い取った。アーサーは慌てて振り返るも、すでにトゥーリアはアーサーのそばから離れ、トトリの元へと戻っていた。
その移動速度はあまりにも速すぎた。しかも音もなく、動いていたのだ。速く動くのであれば、どうしたって音は出る。いや、移動しようとすれば、どうあっても音はする。その音もなく高速に移動する。
それはどう考えても生身の人間にできることではなかった。仮にできたとしても、それは何年、何十年にも渡る厳しい鍛錬の果てにようやくというところだろう。
少なくともトトリの知るトゥーリアは、そんなことはできなかったはずだ。そもそも10年も生きていないトゥーリアにそんな芸当ができるわけがない。
だが、現にトゥーリアはそんな特殊な移動を行えていた。トトリの知っているトゥーリアとはまるで別物になっている。わかっていたことではあるが、それを改めて突きつけられた気分にトトリは駆られた。
「い、いまのは」
アーサーは困惑の最中にあった。アーサーにしてみれば、いきなり背後を取られ、振り返ればすでにその姿は跡形もなく消えていたのだ。困惑するのも無理もない。
「ただ後ろに立って、おいたができないように刃物を取り上げたんだけど?」
トゥーリアは不思議そうに首を傾げる。
アーサーがなぜ困惑しているのかを理解できないとその顔には書いてあった。
実際はただアーサーで遊んでいるだけなのは明らかで、当のアーサーもそのことに気づいているようで、憎たらしげにトゥーリアを見つめている。
「それにしても、こんな危ないものを持ち出しちゃダメだよ、アーサー。ただの剣でも問題なのに、国宝を持ち出すなんてね」
やれやれと肩を竦めながらトゥーリアは、アーサーから奪い取った剣を眺めていた。トゥーリアの言葉でアーサーが持ち出した剣のことをようやくトトリは思い出した。アーサーが持っていたのは小ぶりの剣だ。短剣にしては長く、大剣、いや、通常の剣よりもいくらか短めな、これといった装飾も施されていない無骨な両刃剣だった。
だが、その剣はとても美しかった。まるで材料に星金でも使っているかのように、とてもきれいに煌めいていた。
その剣をトトリは一度だけ見たことがある。王宮の行事で国王が一度だけ用いた剣。邪悪なるものを払うとされる国宝の剣にして、鍛冶王ヴァンが打ったとされる剣。その名も──。
「──聖剣ミストルティン。まさかこんなものを出してくるとは思ってもいなかったよ」
トゥーリアは忌々しそうにミストルティンを見つめていた。リッチとなったトゥーリアにとって、ミストルティンの能力がどれほど有効的なのかはわからないが、トゥーリアの表情を見る限りそれなりに有効的であるのは明らかであった。
「おいたをするにしても少しばかりやりすぎだよ、アーサー? お姉ちゃんとして少しオシオキをしてあげないとダメかな?」
にやりと口元を歪めるトゥーリア。そんなトゥーリアにアーサーはまぶたを閉じながら言った。
「それはこちらのセリフです、姉上。それを手に取った瞬間、あなたの負けは決まったのです」
「なにを言っているの?」
「目覚めよ、ミストルティン」
トゥーリアの問いかけに答えることなく、アーサーが呟くとミストルティンは目も眩むほどの光を放ち始めたのだった。




