rev2-80 事実
トゥーリア殿下だと思っていた方は、トゥーリア殿下ではなかった。
そんなとんちのような現実を私は目の当たりにしていた。
トゥーリア殿下だと思っていた方は、実のところはトゥーリア殿下ではなく、トゥーリア殿下のお付きのメイドさんだったトトリさんだった。
そう、私がお風呂で会った、あのトトリさん──とはだいぶ違っている。でも、宰相様、あぁ、いえ、先王様が仰るには目の前にいる少女こそがトトリさんだということです。
では私がお風呂で会ったトトリさんはいったいどなたなんですかね? 考えられるとすれば、あのとき出会ったトトリさんがトゥーリア殿下というところですか。考えてみれば、彼の時点では、国王陛下=トゥーリア殿下がアーサー様の代わりをしているという事実は知らなかった。
おそらくあのとき、浴場にいらっしゃったトゥーリア殿下は、素顔で湯浴みをされていたのでしょう。そんなときに私がたまたま運悪く浴場に来てしまったがため、トゥーリア殿下はお付きのメイドさんだったトトリさんと名乗ることにした。そう考えれば、あのときのトトリさんと目の前にいるトトリさんがまるで別人であることも説明がつきます。
実際には別人ではなく、あのとき目の前にいたトトリさんも、いまこうして目の前にいるトトリさんもどちらも同一人物であるわけなので、どちらにしろ、あのとき私の髪を洗うのを手伝ってくださったのがこちらのトトリさんであることには変わらない。
(……整理しようとしたのに、余計にこんがらがりますね、これ)
情報量の多さに一度情報を整理しようとしたのですが、余計に頭が混乱してしまいそうです。
(とりあえず、目の前にいるのがトトリさんであり、そのトトリさんはいままで国王陛下に扮していたトゥーリア殿下に扮していたということですか)
改めて確認しても、やはり混乱してしまいそうなことでした。
そこに拍車を掛けるのが配下として国王様を支えていた宰相様が、まさか先王様だったという事実。
先王様がお隠れになられたことは辺境出身の私でも知っていることです。でも、その先王様がいま目の前で生きて、トトリさんを抱き起こしている。
もし首都の住人方に、先王様が宰相様として生きていると伝えたとしても、「頭は大丈夫か」と言われるだけでしょうね。私も同じ立場であれば、同じことを言うでしょうからね。
でも、その他人に聞いても頭がおかしくなっているかどうかを聞かれるような現実が、いま目の前で起こっているのです。
しかも問題はそれだけではない。
トトリさんがトゥーリア殿下に扮していた。それもトトリさん自身は、自分がトトリという人物ではなく、トゥーリア殿下であると思い込んでいた。対象を催眠状態にするという魔法もありますから、おそらくはその魔法をトトリさんは掛けられていたのでしょう。そしてそのことを先王様は知っていた。
知ったうえでトトリさんがトゥーリア殿下としてありつつ、政の補佐をしていたのです。
いったいどうしてそうなのか。
その理由は、すべてある疑問に収束します。
トトリさんがトゥーリア殿下に扮していたというのであれば、そのトゥーリア殿下ご本人はいったいどちらにおわすのかという疑問にです。
その疑問に対する答えをトトリさんは口にされました。でも、その内容はあまりにも突拍子もないものでした。
「……トゥーリア様は城の地下におられます」
「お城の地下、ですか?」
「ええ。お城の地下でひとり漂っておられるのです」
「漂う?」
トトリさんの仰る意味がよくわからなかった。
城の地下にいるというのはわかります。
なんでお姫様がひとりで地下にいるのかという疑問はありますが、地下にいるということはわかりました。
ただ、「漂う」というのはどういうことなのかがわからない。
漂うという言葉の意味は、水中や空中とかにぷかぷかと浮かんでいるということです。あとはさまよい歩くということもありますが、この場合はおそらくさまよい歩いているということなのでしょうね。大国の姫君がひとり城の地下でさまよい歩く。うん、余計に意味がわかりません。
「えっと、どういうことですか?」
「……そのままの意味です。トゥーリア様はいまも城の地下でひとりさまよい歩いておられるのです」
「どうして、ですか?」
「……それは、いまのトゥーリア様はトゥーリア様ではないからです」
「はい?」
また意味のわからないことを言われてしまいました。
トゥーリア様がトゥーリア様ではない。でも、トゥーリア様はトゥーリア様である。うん、やっぱりわからない。
でも、徐々に輪郭のようなものは見えてきました。
トトリさんがトゥーリア殿下の代わりをしていたのは、トゥーリア殿下になにかしらの異常があり、その結果だということ。その異常のせいでトゥーリア殿下は城の地下をひとりさまよい歩いているということ。
そこまではわかりました。でも、ひとつまたわからないことがある。それは「アロン熱」の正体です。
トトリさんは言いました。「「アロン熱」の正体とトゥーリア殿下の居場所を教える」と。いまトトリさんはトゥーリア殿下の現状と居場所を教えてくださいましたが、「アロン熱」のことはまだなにも仰っていないのです。
いまはトゥーリア殿下のことを話しているだけで、これから「アロン熱」のことを言うのかもしれませんが、ひとつ思うこともあるのです。
なぜトトリさんは、トゥーリア殿下とアロン熱のことを話すと仰ったのかということ。
トゥーリア殿下も、アロン熱も、どちらも関係のないことです。
まったく無関係ではないでしょうが、そこまでの関係性はないでしょう。せいぜいがアロン熱の流行した国のお姫様ということくらいで、トゥーリア様とアロン熱にはそこまで深い関係はないはずで──。
(あれ? じゃあ、なんでトトリさんは、トゥーリア殿下とアロン熱のことを話すなんて言ったんだろう?)
──トゥーリア殿下とアロン熱のふたつにはそこまでの関係性はない。なのに、なぜこの場でそのふたつの話をするとトトリさんは言ったのでしょうか?
その言い方ではまるで、そのふたつには切っても切れない関係性があると言っているようなもので──。
「……あの、突拍子もないことを言ってもいいですか?」
「なんでしょう?」
荒くなっていた呼吸を徐々に整えさせながら、トトリさんは私を見つめている。いえ、私を見ているようで、その視線は私ではなく、私の背後にあるお城を見つめていた。なんでお城を見つめているのか。考えれる理由があるとすれば、それは──。
「……トゥーリア殿下がアロン熱の温床とか、言いませんよね?」
──お城の地下にいるトゥーリア様を見つめているのかもしれません。そう、トゥーリア様ではなくなっているトゥーリア様を、アロン熱の温床と化したトゥーリア様を見つめているのかもしれません。
もっともトゥーリア殿下がアロン熱の温床になっているというのは私の勝手な想像です。いえ、妄想と言ってもいいでしょう。大国の姫がその大国を震わせた伝染病の温床になっているなんてありえないでしょう。でも、ならなんでトゥーリア殿下とアロン熱の話題をこの場で揃って話すのかという疑問に帰ることになる。
「……それは」
「……その通りだ、アンジュ殿。我が娘は、トゥーリアはいまや美姫として称されていた姿ではなくなっておる。いまのあの子は、トゥーリアは」
先王様がトトリさんの言葉を遮る形で答えてくださいましたが、要領を得ないものでした。いや、わかるんです。わかるんですが、それはあまりにも残酷なものです。
「……トゥーリア様はもう人ではなくなっておられるのです。トゥーリア様は、いまのトゥーリア様は自我を失った魔物となり、その余波でアロン熱は生じたのです。アロン熱とは、あの方から発する魔力が原因で起こる病なのですから」
トトリさんが先王様の言葉を引き継いで仰った内容は、やはりとても残酷すぎるものでした。その残酷な内容をトトリさんは語って行かれました。それは二年前、アロン熱が流行する少し前のことでした。




