rev2-72 費用対効果
『──トゥーリア殿下はそうしていま国王陛下として振る舞っているんだよ。……自分の体を売ったうえで、ね』
お姉ちゃんが告げた内容はどう言えばいいのかわからないものでした。
国王様が、当代の「アルトリウス」陛下となられているのが、先王様の末のご子息であるアーサー様であるというのが周知の事実ですが、実際はアーサー様の双子の姉君であるトゥーリア殿下が当代の「アルトリウス」陛下となれている。
世間的にはトゥーリア殿下は病床の身にあるはずなのに、その病床の身にあるはずのトゥーリア殿下がなぜ「アルトリウス」陛下として政務を取り仕切っているのか。それが本来陛下として即位されるはずだったアーサー様こそが病床の身にあるから。つまり「アロン熱」に罹ったのはトゥーリア殿下ではなく、アーサー様だったということです。
どうしてそうなったのか。お姉ちゃんが言うには、すべてはトゥーリア様が行った些細な悪戯が原因だった。その悪戯は二次性徴を向かえる前だったからこそできたこと。おふたりが双子であったからこそ行えた、入れ替わりを行ったから。
アーサー様とトゥーリア殿下は双子であるから、とてもそっくりな外見をされている。それこそそれぞれに女装と男装をされれば、どちらがどちらであるのかは、先王様でも見抜けなかったほどにおふたりはとてもよく似ていたのです。
それを逆手にとってトゥーリア殿下は度々アーサー様と入れ替わっていたそうです。その入れ替わりを、本来トゥーリア殿下が行うはずだったスピーチの際にも行ってしまった。その結果、アーサー様が「アロン熱」に罹るという一大事が起きてしまった。
とはいえ、アーサー様が「アロン熱」に罹ってしまったのは、不幸な偶然。仮にトゥーリア殿下が入れ替わらずにスピーチを行っても、アーサー様が「アロン熱」に罹ってしまったかもしれない。
しかしそれをトゥーリア殿下に言ったところで意味はないでしょう。
いや、トゥーリア殿下だってきっとおわかりのはず。たらればを言ったところで意味はないことは。それでも思ってしまうのでしょうね。「あの日入れ替わらなければ」と。
その悔恨と、アーサー様を助けたいという思いが合わさり、トゥーリア殿下はまだ幼少の身であるというのに、その身を犠牲にしているのです。
悲劇という言葉はありますが、これほどその言葉が似合うものもそうはないでしょう。
そんなトゥーリア殿下を文字通りに食い物にしている奴は、その悲劇を知ってなお嬲っているのです。怒りに囚われるのも無理もないことですが、残念ながら私にはどうすることもできません。
私は王族でもなければ、神様でもない。
なんの力もない、ただの平民にしかすぎません。
その平民が知ってはならない国家のタブーを知ってしまった。
もし私になにかしらの後ろ盾があり、私がトゥーリア殿下を食い物にしている奴同様の悪い人間であれば、トゥーリア殿下に対してなにかしらの要求を行っていたことでしょう。
しかし私はただの平民で、なんの後ろ盾もありません。
そんな私がなにかしらの要求なんてできるわけもない。
かといって、トゥーリア様のためになにかをしてあげることもできない。
何度も言いますが、私はただの平民。なんの力もないのです。魔物と戦う力も、現状に影響を及ぼせる権力もない。せいぜいが半ば滅んだ辺境の村にある小さな冒険者ギルドの出張所のマスターだということ。
もし私がモルガンさんのようなギルドマスターであれば。いえ、ギルドマスターであっても、私にはどうすることもできなかったでしょう。
なにせ、お姉ちゃんが言うにはアーサー様を助けるためには、特級のエリキシルで生成した特別な薬がいるということ。
エリキシル自体が特別なものだというのに、そのエリキシルの特級というのはどういうことなのか。そもそもそんなものどこにあるというのか。
なにからなにまでわからないことばかりです。
わからないけれど、エリシキルは用意できなくはないのです。
『エリシキルは用意できるよね?』
『……そうだね、でも、特級のエリシキルというのがどういうことなのかはわからないけれど』
そう、エリシキルであれば、用意はできなくないのです。
レンさんが教えてくれたことですが、エリシキルは魔力を大量に注ぎ込めば、そこらの雑草からでもエリシキルに進化することができるということ。つまりエリシキルという存在はあるけれど、自然界にはエリシキルという植物は本来存在しない。
でも、自然界には本来存在しなくても、エリシキルは実在する。実在するのであれば、造り出すことも可能なのです。
大量の魔力を注ぎ込む。
どれくらいの量の魔力を注ぎ込めばいいのかはわかりませんが、少なくともこの街の住民に協力して貰えば。でも、それは同時に「どうやってエリシキルを造り出す方法を知ったのか」という当然の疑問を生むことになる。
その疑問に答えられるのはレンさんだけ。そしてレンさんがそのことを知っていると言うことは──。
『レンさんの正体をさらけ出すようなもの、だよね』
『……そうだね。この大陸で言うエリシキルは「魔大陸」で言うエリキサのこと。そのエリキサを栽培して、流通に乗せていたのは「カレン・ズッキー」だけ。つまり「カレン・ズッキー」だけがエリキサの栽培方法を知っていると言うことなんだから、旦那様が誰なのかを知らせているようなものだもの』
お姉ちゃんの言葉に私は反論できなかった。
お姉ちゃんの言うとおりだから。
人の命が掛かっているとはいえ、レンさんの正体を無闇にさらけ出すのは得策ではなかった。
『それでもやるしかないんじゃ?』
『……それで特級のエリシキルとやらが用意できればね。でも、普通のエリシキルだけだったら目も当てられないことになるよ。なにせ旦那様は指名手配されている賞金首だもの。トゥーリア殿下を助けるためとはいえ、あまりにもリスクが高すぎるよ』
お姉ちゃんの言うとおり、あまりにもリスクが高すぎた。トゥーリア殿下を助けたいと思うのは私も同じ。だけど、そのためにはレンさんの正体が知られることになる。それで助けられればいいけれど、助けられなければいたずらにレンさんの正体を知らせることになる。費用対効果があまりにもつり合わなかった。
『でも、だったらどうすれば?』
『……私が言えるのは、旦那様次第ってことかな?』
『レンさん次第?』
『うん。旦那様がどうするのか。それに尽きるよ。私はただ旦那様の行動を見守るだけ。それ以上に私ができることはなにもないもの』
お姉ちゃんの言葉は聞きようによっては白状とも言えた。でも、実際は違う。お姉ちゃんは心の底からレンさんを信じている。信じているからこそすべての判断をレンさんに任せた。強いなぁと思うし、やっぱりこんなお姉ちゃんの代わりなんてできないと改めて思う。
その一方でレンさんはどうするつもりなんだろうとも思う。
この人の行動ひとつですべてが決まる。
レンさんがなにをなし、なにをなさないのか。
そのすべてを私はただお姉ちゃん同様に見ていることしかできない。
そんな自分に歯がゆさを覚えながら、私はただレンさんを見つめ続けた。
どこか茫洋としつつも、真剣に現状を見やるあの人をただ見つめ続けた。




