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rev2-68 過去と大切なもの

 頭の中がひどくぼんやりとしていた。


 考えるべきことはいろんなことがあるようで、ほとんどなかった。


 いまさらやれることなんてほとんどない。それでも考えてしまう。いや、正確には思い出してしまう。目の前でプーレを喪ったときのことを。


『大好きなのです』


 プーレはそう言って笑っていた。


 笑いながら彼女は旅立った。


 その笑顔はとてもきれいなのに、かわいらしく、そして幸せそうなものだった。


 それらすべては俺がプーレに抱いていた印象そのもの。いわば、プーレらしい笑顔だったといまでも思える。


 だからなんだろう。


 あのとき、すでに彼女が息を引き取っていたことを、俺はすぐに気づくことができなかった。


 一眠りをして目を覚ましたときには、彼女の体はとても冷たくなっていた。


 彼女らしい笑顔を浮かべたまま、プーレは永遠に覚めることのない眠りに落ちていた。


 どうして、と最初は思った。


 どうしてこんなことばかりが起こるんだと。


 どうして俺ばかりが喪うんだと。


 当時の俺にはもう大切なものはなにひとつ残っていなかった。


 悉くすべて奪い尽くされてしまっていた。


 いまはたったひとつだけ。そう、ひとつだけ大切なものをまた得られた。この子だけは守ると、もう二度と大切なものを奪われはしないと決めていた。奪おうとする奴がいるのであれば、そのときは誰であろうと容赦する気はない。たとえそれが神だろうとなんだろうと知ったことか。


 そう思っていた。


 たったひとつだけになってしまった大切なものにすべてを注ぎ込みたいと思っているのに、どうして現実はいつも俺に厳しいんだろうか?


 どうして過去はいまだに俺に縋り寄ってくるのか。


 プクレの屋台。


 その一言だけでも、胸を抉られる。腕の中で息を引き取ったプーレの最期を思い出してしまう。


 だというのに、まさかその屋台の店主に当のプーレのことで話があると言われてしまった。


 国王陛下の話では、あのプクレの屋台は「エンヴィー」で老舗のプクレの屋台の味に感化されたという話だった。


 感化されたのであれば、当然その屋台の味を学ぼうとするだろう。そして「エンヴィー」で老舗のプクレの屋台と言えば、プーレの実家の屋台くらいしか思い当たる店はない。となればあの店主さんはプーレにとっての兄弟弟子のような存在だということになる。


 プーレの師匠は父親であるゼーレさんだ。そのゼーレさんの元で同じように修行した間柄となれば、プーレのことを「お嬢さん」と呼ぶのもわかるし、プーレのことを聞きたがるというのもわかるんだ。


 でも、あの店主さんは「話を聞かせて欲しい」とは言っていなかった。「話がしたい」と言っていた。


 つまり俺にプーレのことでなにかしらの伝えるべきことがあるということなのだろう。


 俺を「カレン」だと見抜いたうえで、そう言っていたんだろう。


 正直どうやって俺の正体を見破ったのかはわからない。


 単純に当てずっぽうということなのかもしれないけど、また別の理由があるのかもしれない。


 右目だけを露わにした仮面を着けた俺をどうやって「カレン」と断定したのかはわからない。わからないけれど、あの店主さんが俺を「カレン」だと認識していることは明らかだ。


 でなければ、わざわざ俺にまた後で会いたいとは言わないはず。


 いったい彼はなにを考えているのか。


 そもそもプーレの話とはなんなのか。


 考えても仕方がないことだというのに、その仕方がないことをついついと考えてこんでしまっていた。


 おかげで何度もベティに怒られてしまった。


 守ると決めた対象だというのに、そのベティを傷つけさせかねないことをしてしまっている。


 その理由がかつての大切な存在のことを引き合いに出されたからというのは、なんとも皮肉じみていた。


「おとーさん? どうしたの?」


 腕の中でベティがこてんと首を傾げながら俺を見上げている。それもそれまでは真っ正面を向いていたのに、俺を見上げるためだけに腕の中でくるりと向きを変えたうえでだ。それも俺に負担を掛けないように気を付けてくれていた。


(……本当にベティは優しい子だな)


 うちの愛娘たちはみな優しい子だ。中でもベティは上の娘たちよりも優しいと思う。……その分二人よも甘えん坊なのが玉に瑕ではあるが、それもまた俺には愛おしい。


「……なんでもないよ」


「そーなの?」


「あぁ。そうだよ」


 ベティと向き合いながら、頬をそっと撫でた。


 いつもなら頭を撫でてあげるのだけど、今回は頬を撫でてあげた。


 子供特有のすべすべの肌がなんとも心地よく、ベティ自身もいつもよりも嬉しそうに笑ってくれている。


「おとーさん。プクレのおみせにまたいくの?」


「……そうだねぇ。おとーさんに話があるみたいだからね。お話を聞きに行ってあげないとなぁと思っているよ」


「ベティもいっしょにいってもいーい?」


「ベティも?」


「うん。だめ?」


 じっとベティは俺を見上げている。きれいな赤い瞳が俺をじっと見つめている。もともとひとりで行くつもりだったけれど、いまのベティに言っても聞いてはくれないだろう。


「……ベティにとっては退屈なお話になるかもしれないよ?」


「それでもいいの。だって」


「だって?」


「おとーさん、きっとないちゃうもん。ベティがいっぱい「いーこいーこ」してあげないといけないの」


 ふんすと気合いを発しながら、なんともおかしなことを言ってくれているベティ。


 俺が泣いてしまうから、頭を撫でてあげないとなんて。それは子供が親にすることじゃない。親が子供にすることだ。でも、そのことをベティはわかっていないみたいで、自分がされて嬉しいことを俺にしてあげようとしてくれているのだろう。あの店主さんの話がどんな内容であるにせよ、俺が泣いてしまうとわかっているからだ。


 本当にベティは優しい子だと思う。そんな優しい子の父親になれて本当に幸せだ。


 だからこそ思う。


 この子だけは、この子だけでも幸せにしたいと。


 そのためなら俺はなんだってやってみせる。


 どんなことだってしよう。


 それがたとえこの手をこれ以上汚すことになろうとも。


「……ダメだって言ってもベティは聞いてくれないからね」


「ばぅん! とーぜんなの! ベティはがんこなおとーさんのむすめだもん!」


「そっか。そうだね。じゃあ、仕方がないかぁ~」


「そうなの、しかたがないの」


 ふふふんと胸を張るベティ。そんなベティを愛おしく思う。


(どんなことがあっても、ベティがいてくれればそれでいい)


 ベティさえいてくれれば、俺は以前のような俺のままでいられる。ベティの大好きなおとーさんのままでいられる。だからというわけではないけれど、できるだけベティにはそばにいてほしい。たとえそれがエゴでしかなかったとしても。


「ばぅばぅ、おとーさんはベティがまもってあげるの!」


「あぁ、頼むね、ベティ」


「ばぅん!」


 力強く頷くベティ。


 そんなベティを俺はまた頬を撫でてあげた。


 ベティは嬉しそうに笑う。


 その笑顔に救われるという思いの一方で、絶対に守らなきゃいけないと俺は強い覚悟を改めて抱くのだった。

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