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rev2-67 欠けた名前

 レンさんがぼんやりとしていた。


 腕の中にいるベティちゃんの声にもほぼ無反応で、時折ベティちゃんが「おとーさん!」と不機嫌そうなお声を出すことでようやく我に返られる。そんなやりとりをふたりは何度も行われていました。


「おとーさん! またぼーっとしていたの! ぼーっとしていたらあぶないの!」


 ふさふさの尻尾をピンと立てながらご立腹を隠さないベティちゃんにレンさんは「ごめん、ごめん」と謝られるのですが、それでもベティちゃんはなかなか落ち着いてくださりません。

 とはいえ、ベティちゃんが怒るのも致し方ないことで、レンさんってば、先ほどから何度も人にぶつかったり、ぶつかりかけたりしているのです。


 そうなれば腕の中にいるベティちゃんもぶつかってしまうことになるわけで、ベティちゃんのかわいいお鼻も赤くなってしまうの無理ないわけです。現にベティちゃんのお鼻はすっかりと赤くなっていますね。まぁ、鼻血は出されていないだけましと言えばましですが、それでもレンさんの不注意はいくらか目に余ります。


「あの、レンさん。ベティちゃんは私が預かって」


「……おまえに預けるとか、絶対にないわ」


「ベティはきょうおとーさんにだっこしてもらうの!」


 レンさんがベティちゃんを抱っこしているのは危ないと思ったからこそだったのですが、親子揃っての否定をされてしまいました。


 やはり仲良し親子さんなだけあって、息はぴったりのようですね。とても羨まけしからんです、はい。


「でも、さっきから何度もぶつかったり、ぶつかりかけたりしていますよ?」


「……それは」


「それはベティがちゃんとちゅーいするからだいじょーぶなの」


 でも、どんなに息がぴったりでも今日のレンさんはどこか様子がおかしいのですから、このままだとベティちゃんが大けがをする可能性もありえる。だからこそ、私も引くに引けなかったし、レンさんも苦々しそうに目を細められましたが、当のベティちゃんが自分が気を付けるから大丈夫だと一点張りしてしまったのです。


 ベティちゃんは普段聞き分けのいい子ではあるんですが、こういうときは「おとーさん」であるレンさんに似て非常に頑固になってしまいます。……そういうところもとってもかーいいのですが。えへへへ。


「……やっぱりおまえに預けるとかなしだわ」


「ベティはおとーさんにだっこしてもらうの!」


「……うん、わかっているよ。ごめんな、ベティ」


「ベティはこころがひろいから、ゆるしてあげるの!」


 ふふんと胸を張るベティちゃんとそんなベティちゃんの頭を優しく撫でるレンさん。羨まけしからん光景ではありますが、それ以上になんとも侵しがたい光景でもありました。軽々と触れてはいけないもの。それがいま目の前にある光景なのかもしれません。


『むぅ、私もベティを抱っこしてあげたいなぁ。ベティもシリウスやカティと同じで、すごっく懐いてくれると思うし』


 不意に頭の中に久しぶりにお姉ちゃんの声が響いた。


 ただ、いきなりすぎて、体を大きく震わせてしまいましたけど。


「……なんだ、おまえ? どうかしたのか?」


「アンジュおねーちゃん、かぜさんなの?」


「いや、そんなことはないですよ? はい」


 あははは、と苦笑いしつつも、いまだに頭の中で「ベティを抱っこして、おでこやほっぺにキスしてあげたいなぁ。きっと喜んでくれるよねぇ。だって私はベティのママだもんね」とあからさまなマウント発言を取られるお姉ちゃん。本当にいい度胸していますよね、この姉は。そもそもなんですか、その非常に羨ましけしからん内容は? 私だってベティちゃんのほっぺやおでこに、ききききききき、きしゅをぉぉぉぉぉ──。


『……やだ、この妹気持ち悪い」


「おまえ、気持ち悪いな」


「アンジュおねえちゃん、ばっちぃの」


「親子揃って同じ反応しないでください! そういう反応をされると傷つくということを知っていますか、あなたたちは!?」


 この親子は本当に! 3人揃って同じ反応をしてくださりましたよ! なんですか? なんなんですか!? 私は汚物かなにかだって言うんですか! ええっ!?


『え?』


「え?」


「え?」


「だーかーらー! 同じ反応するなって言っているでしょぉぉぉぉぉぉっ!?」


 今度は異口同音ですよ、異口同音! 同じ言葉を3人それぞれに言ってくださりましたよ! その内容は私を汚物と言っているも同然! こう見えてもねぇ! 私はそれなりに調った容姿をしているんですよ! む、胸は若干小さめですけどぉ、それでもそれなりには美人系な顔をですねぇ!


『若干?』


「若干ってレベルじゃないだろう?」


「ぜんぜんのまちがいだとおもうの」


「かーっ! この親子はぁぁぁぁぁぁ!」


 なんですか、この親子の中では同じ反応をして私を虐めるというのが流行っているんですか!? そしてなによりもベティちゃんはもっとオブラートに包んでください! ぜんぜんないわけじゃないです! す、少しくらいはあるもん! 本当だもん!


『……そうだね、そういうことにしておくね、ごめんね、アンジュ。お姉ちゃんがアンジュの分まで持って行っちゃったから』


「……あー、まぁ、その、なんだ? そういう需要もあるよ」


「アンジュおねーちゃんのおむねがすきなひとも、どっかにはいるとおもうの!」


 レンさんとベティちゃんは親指を立ててサムズアップ。姿を見ることはできないけど、それはお姉ちゃんも同じでしょうね。……本当にこの親子は。どうして今日は私をとことん虐められるんでしょうかね!?


「……まぁ、うん。これからは気を付けて歩くからね、ベティ」


「ばぅ、よろしくなの、おとーさん」


 そう言ってレンさんとベティちゃんはすたすたと先を歩いて行かれます。その後を国王様やルリさんとイリアさんは続かれました。国王様たちのお顔はなんとも言えないというか、なにやら哀れみが満ち満ちた雰囲気を醸し出されておられました。私は哀れられる存在だと言うのでしょうか?


『仕方ないよ。アンジュの胸、本当にまったく、いや、ちっとも、ううん、ぜんぜんないもん』


『オブラートに包むことを覚えろ! この姉は! なんで言葉を変えながら私を虐めるのか!?』


『私の胸を少しでも分けてあげられればいいんだけどねぇ。でも、私の胸は旦那様専用だから、分けてあげることはできないし』


『く、こ、この持てる者はよぉぉぉ!』


 持てる者がゆえの発言に私はその場で膝を突きたくなりましたが、ぐっと堪えました。なお、周囲の通行人の方々の視線がなんとも生暖かいものになっていくのが非常に辛いです。みんな、みんななんだっていうんですか。そんなに哀れまないでくださいよ、本当にさ!


『さぁて、本題と行こうかな?』


 散々私の精神を痛めつけて満足したのか、お姉ちゃんはどこか真剣な声色でそう言われました。


『本題ってなんですか? また私の胸が小さいとか言うんですか!?』


『被害妄想だよ。それに覆しようのない事実をこれ以上言う必要はないよ』


『くぅっ!』


『とにかく、アンジュの胸板のことは脇に置いておくよ』


『胸板ちゃうわっ! れっきとしたお胸様だもん! 他の人よりもちょっぴり小さいだけだもん!』


『それで、旦那様のことだけど、さっきのプクレのおじさんのことが気に掛かっているんだよ』


 私の指摘を見事にスルーしてお姉ちゃんは、淡々と本題について話されましたが、その内容はやはり先ほどのプクレの屋台のことでした。


『……あのご店主は「プーレお嬢さんのことについて」と仰っていましたけど』


『うん。そのことが旦那様は気に掛かっているんだよ。大切な嫁のひとりだったからね、プーレも』


 しみじみとお姉ちゃんは頷かれました。


 でも、その言葉はある事実を浮き彫りにすることでした。


『……お姉ちゃん。あの、レンさんってやっぱり』


『……それは旦那様本人に聞いてみたら? 私にとって旦那様は旦那様だもの。本来の名前でも、いまの()()()()()であっても、私にとってあの人が旦那様であることにはなんの変わりもない。私が世界で一番愛している人であることは変わらないもの』


 はっきりとお姉ちゃんは答えてくれなかったけれど、お姉ちゃんは「いまの欠けた名前」と言いました。その前には「本来の名前」とも。それはつまりレンさんにはふたつの名前があるということ。いまの名前は「()()()()()」から欠けたもの。それで「レン」と名乗っている。であれば、レンさんの本来の名前はいま名乗られている「レン」に加えたものであるということ。そしてレンさんにはかつて「プーレ」という名前のお嫁さんがいたということ。お姉ちゃんと同じように、その「プーレ」さんもレンさんのお嫁さんだったということ。


 それらの情報を繋ぎ合わせると、答えはひとつに収束する。私の想像していた通りの答え。レンさんの正体はかつて「才媛」と謳われた史上最年少の冒険者ギルドのマスターだった「カレン・ズッキー」だという答えにたどり着いてしまう。


 でも、噂では「カレン・ズッキー」はお嫁さんのひとりである「プーレ女史」をみずからの手で殺したとなっている。いや、それどころか、「カレン・ズッキー」は国家転覆を狙う凶悪なテロリストという話で──。


『……それは違う』


 お姉ちゃんの声がやけに低くなった。いままで聞いたこともないくらいにドスの利いたお姉ちゃんの声。普段のお姉ちゃんらしからぬ声に、私は驚いてしまった。でも、お姉ちゃんはそんな私のことを見ていないようで、淡々と、でもはっきりと否定をしていく。


『旦那様はそんなことをしてはいない。あの人がそんなことをするはずがない。あの人はただそういう風にでっち上げられただけ。あの人は誰も、私たちの中の誰も殺してなんかいない。あの人はただ私たちを守ろうとしてくれていたんだよ。誰よりも優しくて温かい人なの。そうじゃなかったら、血のつながりもない赤の他人の子供を引き取って娘として育てることなんかしないよ。あの人は、私の旦那様は命を奪ってもそれは必要なときにしかしない。それ以外であの人は血を浴びることはしない。命を奪うたびに夜寝れなくなる人なんだ。そんなあの人が凶悪犯なわけがない。お尋ね者になるような人なんかじゃない!』


 お姉ちゃんは私の考えを真っ向から否定していた。


 お姉ちゃんらしからぬ強い物言いだった。


 それだけお姉ちゃんにとって、レンさんがどれほどまでに大切な人であるのかがわかりました。


(……やっぱり私じゃお姉ちゃんの代わりなんて無理だよ)


 お姉ちゃんは前に言っていた。お姉ちゃんの代わりになってほしい、と。お姉ちゃんの代わりになってレンさんを支えて欲しい、と。


 でも、私にはそんなことはできない。


 お姉ちゃんのように、レンさんを心の底から信じることはできない。


 信用はしているし、信頼もしている。


 でも、お姉ちゃんのようにはできない。


 私にはお姉ちゃんのような繋がりをレンさんとの間に持てていない。


 だからお姉ちゃんのようにはできなかった。


 お姉ちゃんのようにレンさんを信じ続けることはできない。


 だから私にはお姉ちゃんの代わりなんて無理だった。


 それでもお姉ちゃんはきっと私の話を聞いてはくれない。


 直に会ったことはないけれど、姉妹だから、双子の姉妹だからなんとなくわかるのです。私も同じくお姉ちゃんの話を聞かないから。だからわかる。


『……そもそも、なんでレンさんはお尋ね者になったんですか?』


『それは』


 お姉ちゃんが口を開き掛けたとき、不意に衝撃が走りました。見れば、通行人の女性と肩がぶつかってしまったのです。


「ご、ごめんなさい」


「あー、いいですよぉ~。気にしないでくださいねぇ~。いやぁ、美味しそうなのばっかりだから、目移りしちゃってぇ~」


 女性は真っ白な髪を靡かせながら手をひらひらと振っていました。どうやら屋台のメニューに気を取られてしまっていたみたいです。とはいえ、私もちゃんと周囲の確認をしていなかったので、お互い様ではあるのですが。


「あらぁ~? あなたも美味しそうな匂いがしますねぇ」


「え? あぁ、さっきまでプクレっていうスイーツを食べていましたから」


「あら? それはどこにありますかぁ~?」


「そうですね。中央広場のそばの屋台です。「魔大陸名物」っていう幟が掲げられているのですぐに見つかるかと」


「そうですかぁ~。それはどうもぉ~。じゃあ私はこれでぇ~」


 その女性はひらひらとまた手を振って人混みの中に消えて行かれました。なんとも不思議な女性です。つかみ所がなかったし、それにちょっとだけイリアさんと似ている気もしました。ただ。


(……なんだろう、なにか臭った気がする)


 そう、なにか鼻につくような、ひどい臭いがした気がしました。


 でも、ほんの一瞬だったから気のせいかもしれないし、別の通行人の方の臭いということもありえた。ぶつかってしまうくらいに人が多いんだから、そういう臭いを発している人だっていてもおかしくはないでしょう。


「……気にする必要はないかな?」


 それにもう会うこともないでしょうし。こんな大きな都市の中で、たまたますれ違った誰かとまた出会うなんてことはそうそうありえない。


 なら気にするだけ無駄でした。


 そう思い直して、少し距離が離れてしまったレンさんたちの後を追いかけるべく、歩き始めると──。


「アンジュちゃんもおいしそーだなぁ。あー、たべたいなぁー。()()()()()()でもぉ~」


 ──立ち止まってしまうくらいの悪寒が背筋に走った。


 慌てて振り返るも、そこには誰もいません。


 でも、いまたしか誰の声が聞こえた気がした。


「……なんだったんだろう?」


『アンジュ。いまは旦那様と合流する方が先決だよ』


『そ、そうだね』


 お姉ちゃんの言うとおり、いまはレンさんたちに追いつくのが先決でした。すでにだいぶ先まで行かれているので、いくら早歩きで行かないと追いつけそうにはありません。


「レンさん、待ってくださいよぉ!」


 私は遠く離れたレンさんたちに声を掛けつつ、駆け出した。


 駆け出しながらも、背筋には冷たい汗が流れ続けていた。その冷たい汗を感じながらもどうにか表情を繕って、私はレンさんたちを追いかけるのでした。

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