rev2-66 胸のざわめき
注文したプクレの味は、あの日、「魔竜バアル」との戦い以後でプーレが作ってくれたプクレの味によく似ていた。
プーレのお父さんであるゼーレさんのプクレよりかはいくらか落ちる味。でも、ゼーレさんの味を目指そうという探究心を、店主さんのプクレに懸ける情熱を感じられた。
それはプーレがあの日作ってくれたプクレとよく似ていた。
プーレのプクレは、ゼーレさんを越えようとする情熱と亡きゼーレさんへの想いがそれぞれに籠もっていたようで、食べると胸が温かくなる一方で、どうしようもない悲しみも感じられた。
ただ、悲しみはいつしか消えてくれた。
俺の所に来たからだ、と思うのは少し傲慢だとは思う。
でも、俺の所に来てからのプーレはよく笑うようになってくれた。
とても楽しそうに、とても幸せそうに笑ってくれていた。
……プーレと触れ合えた時間はそう多くはなかったはずなのだけど、プーレはそれでも幸せだと思ってくれていた。
だって、死に際のプーレは、もう体の感覚なんてなにひとつもなくなっていた彼女は、最期に笑ってくれていた。
幸せそうに、とても満ち足りた笑顔で旅立ってくれた。
あのときにはもうプクレを作ることはできなかった。
いや、いつからかプクレ作りに専念することもなくなっていた。
プクレはパティシエとしての才能はあったけれど、その才能と同じくらいに治療師としての才能を持っていた。
うちのギルドにいるときは調理場かララおばあさんの治療室のどちらかにいた。両方の才能をそれぞれに伸ばしながらも、シリウスたちのママのひとりとして日々を過ごしてくれていた。
だからだろうか。
それともリヴァイアサン様に前以て宣告されていたからなのか。
プーレは徐々にプクレ作りをしなくなっていった。
最初はどうしたのだろうと思っていたし、実際に尋ねたこともあった。そのとき彼女が言ったのは──。
「シリウスちゃんとカティちゃんともっといろいろと過ごしたいのですよ」
──とのことだった。
残り少ない自分の時間を、愛娘たちと過ごすことで費やすことを決めてくれていたんだ。
でも、そのときの俺はそんな彼女の事情をまったく知らなかった。
過ごそうと思えば、これからいくらでも過ごせるだろうにとは思ったけれど、不思議と言わない方がいいかと思った。
いま思えば、それは正解だった。
もし口にしていたら、きっとプーレは後でひとり泣いていただろうから。
だから言わなくて正解だった。
彼女を泣かせるようなことを口にしなくてよかったっていまでは思える。
そんな彼女が作ってくれたプクレの味は、彼女の作ってくれたプクレの味を俺はすべて覚えている。
どれもとても美味しかったということもあるけれど、なによりも心底惚れぬいた女が愛情をこれでもかと込めてくれたものの味を忘れることなんてできるわけがなかった。
心底惚れぬいた女と言えば聞こえはいいけれど、俺にはその対象が何人もいた。でも、プーレにとっては惚れぬいた相手は俺だけだった。いや、プーレだけじゃない。俺の嫁たちにとって、惚れぬいた相手は俺だけだった。
何人かいる中のひとりでもあるけれど、ひとりしかいない人。それが俺にとっての嫁たち。そのうちのひとりだったプーレ。そのプーレの作ったプクレ。忘れられない味。忘れていいわけがない味。その味とよく似た味がいま俺の口の中いっぱいに広がっていた。
「おとーさん、おいしいね」
ニコニコとベティが笑っている。
「そうだなぁ」
俺にはたったそれだけしか返す余裕がなかった。
それだけしか返事ができない。
それだけ、このプクレの味は、鮮明にプーレを思い出せてくれていた。
(……あぁ、本当によく似ている)
ゼーレさんの味には及ばない。
けれど、とても美味しい甘酸っぱい味。
その甘酸っぱさは胸のうちを温かくしてくれる。
それでいて、胸を締め付けるような悲しみがあった。
それは店主さんがなにかしらの想いを抱え込んでいるということなのかもしれない。
でも、それを尋ねる気はない。
いま初めて会ったばかりの人に、「あなたには悩みがあるんですか」と尋ねられるわけもないし、そもそもそんなことを尋ねる義理も義務もない。はっきりと言えば、俺にとってこの店主さんは、道ばたですれ違う赤の他人だ。
そんな赤の他人に対して、いちいち親身に付き合ってあげる理由なんてない。
この人の作るプクレが、当時のプーレの作ってくれたプクレの味に似ていたから感傷に浸っているだけ。
それ以上にもそれ以下にもなりえない。
だから余計なことは聞かないし、聞くつもりもなかった。
プクレを食べ終え、その包み紙を備え付けられてるゴミ箱に捨てれば、それで終わりだ。それ以上の関わり合いが生じることもない。そう思いながら、プクレを食べ進めていると──。
「あの、ひとつよろしいですか?」
──店主さんは最後に作った通常クリームのプクレをルリに手渡すと、俺をじっと見つめながら言った。
「なんでしょう?」
「あの、その、ですね。さきほどそちらのかわいいお嬢さんが「まま」と仰っていたのですが」
「それがなにか?」
ベティくらいの子が「ママ」と言うのは別に珍しいことではない。俺の周囲にいる女性ふたりのうち、どちらかが「ママ」に当たると思われるだろうけれど、あいにくとベティはイリアにもアンジュにも「ママ」と呼んではいない。そのことが不思議だったのだろうか。でもそのくらいのことでわざわざ尋ねるはずもない。ならなにが気に掛かっているんだろうか。
「その「まま」という方は、もしかしたらプーレお嬢さんのことですか?」
「……え?」
思わぬ名前が耳に入ってきた。
店主さんの口から発せられると思いもしなかったプーレの名を耳にした。
否定することは普段ならできただろう。
でも、いまの俺にはできなかった。
できたのは、「なんでプーレのことを」と逆に聞き返すことだけ。
そんな俺に店主さんは「やっぱり」となぜか納得していた。
その理由が俺にはわからない。
いや、そもそもなんでこの人がプーレの名前をこんなところで口にしたのかもわからない。
わからないことだらけで、頭の中が混乱し始めていた。
そんな俺を無視するようにして、店主さんは続けた。
「少しお話をさせてもらってもよろしいでしょうか? プーレお嬢さんのことでお話ししたいことがあるのです」
「いや、その、なんで俺に?」
「それは」
店主さんが重い口を開いた、そのとき。
「おぉ、やはりここにいたのか」
聞き覚えのある声が、国王陛下の声が聞こえてきた。
振り返ると、国王陛下はいつものようにお忍び用の服を身につけていた。
少し待って貰うことも考えたけれど、国王陛下が訪れるのと同時に屋台の方にも別のお客さんが来てしまった。
話をするにしてもいまは具合が悪すぎるようだった。
「……また後ほど寄っていただけますか?」
「……わかりました」
いったいどんな話をするのかはわからない。わからないが、少なくともプーレのことでなにかしらの話があるということはわかった。
その内容はなんだろうか。
プーレの話について思いを馳せつつも、俺はみんなを連れて屋台を離れていく。
国王陛下はすでにアンジュに王国祭のおすすめについてを語っていた。アンジュは両手のプクレを交互にかじりながらも、興味深そうに話を聞いていた。
なんとも色気のない光景。
でも、その光景がいまは胸のざわめきを抑え込んでくれていた。
それでもざわめきは消えない。
消えないざわめきを胸に俺はプクレの屋台を後にした。




