rev2-63 スカウト
お日様がずいぶんと高くなりました。
この国では晴れの日よりも曇りの日が多い傾向なのですが、今日はその少ない晴れの日のです。
まさに絶好のお祭り日和と言うべきでしょう。
そんなお祭り日和な今日、私はいま──。
「……ふむ」
──直接の上司であるモルガンさんと対峙しています。
王国祭のためにお城にお越しになられたモルガンさんと出くわしたので、ちょうどいいということで報告書を受け取って貰うことにしたんです。
まぁ、ちょうどいいと言ったのは私ではなく、モルガンさんの方なんですけどね。
「わざわざギルドまで来て貰うのもなんですからね。どうせならいま渡して貰えた方がありがたいです。ところで報告書は仕上がっていますよね?」
モルガンさんは報告書が仕上がっていれば渡して欲しいと仰られたのです。レンさんにも最終確認をして貰い、問題はないというGOサインは貰っていた矢先でしたので、モルガンさんだけではなく私の方もちょうどいい状況だったのです。
そうして私は報告書をモルガンさんにお渡し、その報告書をモルガンさんはいま目を通されているのです。
ちなみに私たちがいるのは、レンさんたちの部屋です。レンさんに報告書の確認をしてもらってすぐにモルガンさんがレンさんたちの部屋にお越しになったので、そのまま報告書をお渡しする流れになりました。
そうして渡した報告書をモルガンさんは隅から隅まで目を通してくださっています。コサージュ村の先代マスターは、報告書を認めてもすぐには目を通してくれなかったのに対して、モルガンさんはすぐ報告書に目を通してくれました。それだけでも私の中では先代よりもモルガンさんの方が評価は高いですね。
まぁ、そもそも先代マスターはわりと好色家な男性で、若い女性職員には大抵粉を掛けるような方でしたから、まともな評価なんてできるわけもなかったわけですけどね。
それでも冒険者ギルドのマスターになれるくらいには優秀な人ではあったそうです。その優秀な人も戦場ではあっさりと戦死してしまうのですから、戦場というのは怖いものだといまさらながらに思います。
まぁ、ここはそんな戦場とは縁遠い場所ですから、いまさらな感想だとは思うんですけどね。
「……なるほど。そういうことですか」
おっと、感慨に更けている間に、モルガンさんが報告書を読み終えられたようですね。捲っていた報告書を閉じられ、報告書を読むために掛けられていた眼鏡も外されました。美人さんというのはなにをしても絵になるものだなとしみじみと思います。なにを食べたらそんなに美人さんになれるのかと小一時間ほど問いただしたい気分ですね、はい。
「コサージュ村の出張所、いえ、コサージュ村を始めとした「霊山」麓の辺境の村々の現状とそうなった原因。すべて承知しました。簡潔かつ非常にわかりやすくまとめられていました」
「あ、ありがとうございます」
お褒めの言葉を貰ったので、素直に頭を下げるとその途中で「当然」とも言わんばかりに腕組みをして胸を張ったレンさんの姿がかすかに見えました。お世話になったことはたしかなので、あなたの功績ではないですよ、とはとてもではないが言えませんでした。
そもそもモルガンさんが目の前にいる状態でそんなことを言えば、ひとりで報告書を仕上げたわけじゃないとみずから言うようなもの。私にできるのはなにも言わずに頭を下げることだけです。……若干イラッとはしますけど、こればかりは我慢するしかありませんね、はい。
「……生まれ故郷が事実上壊滅になったという話は、わりと耳にすることではあるんですけどね。その報告書を認めて貰うと、大抵は報告書の中身はほぼ精査されていないものになりやすい。理由はわかりますか、アンジュさん?」
いきなりのモルガンさんの問いかけ。いきなりの問いかけに若干戸惑いつつも思いつく、私なりの答えを口にしました。……合っているかどうかは別としてですけど。
「え? あ、えっと、思い出などの影響でしょうか?」
「ええ、概ね正解です。もう少し正確に言えば、当事者になってしまうからなんですよ」
外された眼鏡を真っ白な布で拭きながらモルガンさんが語られました。ただ、なんでそんな話をいきなりされているのかがよくわからなかった。
「生まれ故郷というのは、誰にもあるものです。そこで生まれ育った日々。それはどんな内容であろうと、深く刻み込まれるもの。それゆえにでしょうね。普段どんなに的確な内容の報告書を認められる者であっても、こと生まれ故郷の惨状を報告するとなると、その筆はどうしても鈍ってしまうのです。それが衰退であればまだましですが、あなたのように壊滅したとなれば、とても読めたものではない内容になってしまうものです」
「は、はぁ。えっと私のそれは」
「ええ、読めないとはとてもではないが言えませんね。非常によくできた素晴らしい報告書でした。一切の筆の鈍りも感じられない、それこそ冷徹とも言えるほどに淡々と認められていました。ご苦労様でした」
「あ、いえ、そんなことは」
「ふふふ、謙遜なさらなくてもいいですよ。あなたの報告書は先ほども言いましたが、素晴らしかったです。まるでこの被害に遭ったのは自分とは縁もゆかりもない土地だったかのように、どこか冷徹ささえ感じられるほど、淡々と書かれていました」
眼鏡を拭き終えるとモルガンさんは服の胸ポケットにそのまま仕舞われました。それでは拭いた意味はあまりないのではないかなと思いましたけど、眼鏡を外し、それを拭くのはある意味この人にとってルーティンのようなものなのかもしれません。そこまでが一連の流れとして存在しているのかもしれない。不思議とそう思えました。
「レンさんもお疲れ様でした。彼女の報告書の添削はさぞ大変だったでしょうに」
不意にレンさんにねぎらいの言葉を掛けられるモルガンさん。思いもよらない一言に私は言葉を失いましたが、レンさんは後頭部を搔きながら「あー」となんとも言えない声を上げられました。
「……どこからお気づきで?」
「ん? 最初からですよ? だってアンジュさんがわざわざこの部屋に私に提出する報告書を持ってくる意味ないじゃないですか」
にこやかに笑われるモルガンさん。その笑顔はどこか私を責めているようにも感じられました。まぁ、ひとりでやるべきことを手伝って貰っていたら、そりゃあそうなりますよね。いまさながらにやってしまったものです。もう遅いですけどね。
「……あの、やっぱり、その」
「うん? あぁ、やり直しとか面倒なことは言いませんよ? それに叱っているわけではないですし」
「え?」
「むしろ再評価しないなぁと自分を戒めていたところですから」
「えっと、どういうことですか?」
「そのままの意味、と言ってもわからないですよね。そうですね。わかりやすく言えば、私はあなたを軽んじて見過ぎていたということですかね」
「……いや、別にそれは」
「いま思えば間違いだったと思います。一目見たときのあなたは、正直言うとお飾りのマスターとしか見えませんでした」
「……まぁ、間違ってはいないと思います」
実際、先代のマスターや先輩たちが戦死してしまったせいで、正規の職員の中で一番経歴が長かったという理由で選ばれただけですから、お飾りだったと言われても否定はできないのです。悔しいことではありますけど。
「私の中でのあなたの評価は、はっきりと言えば能なしでした。まともな報告書なんて仕上げられるわけもない。そう高をくくっていました。たとえレンさんに手伝ってもらったとしても、大した内容にはなっていないだろうと。もっと言えば感情的で支離滅裂なものになっているだろうとさえ思っていました。なにせ故郷が滅んだわけですからね」
「……そう、ですね。そう言われるとそうなっても無理もないかも、です」
普通に考えれば、お飾りのマスターなんて能なしと言われているようなもの。そしてその能なしに故郷が壊滅したことの報告書を仕上げろなんて言っても、その内容がどうなるのかなんてお察しです。いくらレンさんに手伝って貰ってもそれは変わらない。モルガンさんの言うことはたしかに頷けることではありました。
「ですが、あなたはとても冷静かつ簡潔にご自身の故郷の報告をしてくださいました。いくら精査をしたとしても、故郷の惨状をここまで簡潔に報告できるものではありません。それにいま思えばコサージュ村の出張所の運営自体はあなたがマスターになってからというもの、右肩上がりでしたからね。先代の頃とは比べようもありません。まぁ、先代は戦闘力に秀でていたからマスターにはどうにかなれたという、ごろつき同然の輩でしたからね。あれよりもひどくなることはないとは思っていましたが、私はわりといい人選をしたものですね」
ふふふ、と楽しげに笑われるモルガンさん。どうにも褒められているのか。ただ単に自画自賛を聞かされているのかがわかりませんが、機嫌がいいことだけはわかりました。
「コサージュ村の問題が解決したら、そのままあなたには元通りコサージュ村の出張所のマスターをして貰おうと思っていましたが、気が変わりました」
モルガンさんは座っていた椅子から立ち上がられると、私にと右手を差し出されると、とんでもないことを言われたのです。
「アンジュさん。あなたさえよければの話なんですが、我が支部に籍を置きませんか?」
「え?」
「あなたは辺境の地にある小さな出張所の長で終わらせるには惜しい人材です。うまく成長できれば、ゆくゆくはギルドマスターの地位さえ夢ではないと私は思います。そのお手伝いを私にさせてほしいのです」
「えっと、それって」
「具体的に言えば、私の秘書官としてあなたをスカウトしたいのですよ。秘書官の業務の合間ということになってしまいますが、その合間を縫ってギルドマスターとしての教育を施したいなと考えています」
機嫌よくモルガンさんが言われたのは思ってもみなかったもの。その言葉に私は固まりました。
だってそんなことを言われるなんて予想していなかったですし。それにあまりにもいきなりすぎたので、どう言えばいいのかがわからなかったのです。そんな私を無視するかのようにモルガンさんは続けられました。
「まぁ、すぐには答えは出されなくても結構です。ただ、少し考えてもらえますか? あなたのような人材を辺境に押しとどめるのは惜しいですし」
「は、はぁ」
「では、私はこれで失礼しますね。今日はせっかくのお祭りなんです。堅苦しい仕事は一時的に忘れたいでしょう?」
ぱちりとウインクをされると、モルガンさんはすたすたと入り口に向かわれてしまいました。声を掛ける時間もなく、そのまま部屋を出て行かれるモルガンさんを私は見送ることしかできなかったのです。
「私を秘書に?」
あまりにもあまりな一言。その一言に私はただ困惑することしかできなかった。
嵐のような時間というのはこういうことを言うんだろうなぁと他人事のように感じながら、モルガンさんに言われた言葉を私は何度も何度も反芻していく。あまりにも現実味のない現実に呆然とすることしかできないまま、モルガンさんが出て行ったドアをぼんやりと眺め続けるのでした。




