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rev2-55 いますべきこと

 浴場を後にして、用意されている客室へと戻っている最中だった。


「おとーさん」


 腕の中にいたベティが俺をじっと見上げている。周囲を見回すもいまのところ誰もいないようだ。ベティも周囲に誰もいないことをその鼻で嗅ぎ終えたようだ。


「どうだった?」


「……こくおーさまから、イリアおねえちゃんと似た臭いがしたの。でも」


「でも?」


「イリアおねえちゃんのはほんのちょっとだけなの。ほんのちょっとだけだから、ベティもあまり気にはならないの。でも、こくおーさまからは」


 若干顔色を悪くしているベティ。国王陛下から漂う臭いにトラウマを刺激されてしまったようだ。


 たぶん、顔を合わせた段階でトラウマを思い出していたのだろうけれど、それでも浴場を離れるまでは我慢してくれたみたいだ。


 申し訳ないことをしてしまった。その小さな体を強く抱きしめて、頭を撫でてあげた。


「……もういいよ。もう無理しなくていい」


「……ばぅ」


 ベティは小さく鳴いて、体を震わせていた。愛らしい耳は垂れ下がり、手触りのいい尻尾は丸まってしまっていた。


「……ごめんな」


「……ばぅ」


 ふるふると首を振って鳴くベティ。


 ベティに無理をさせるために、浴場に来たわけじゃなかった。


 単純にベティがまた例の夢を見てしまい、汗だくになってしまった。


 その汗を流すために浴場まで連れてきたのだけど、まさか国王陛下が湯浴みをしに来られるとは思ってもいなかったし、その体からひどい臭いをさせているということも予想できなかった。


 国王陛下は昨日湯浴みができなかったから汗臭いのだと言っていた。


 たしかに汗の臭いはした。


 しかしそれ以上に、腐った臭いがした。


 腐った肉の臭いを全身から発していた。


 厚意からこの城に滞在させてもらってから約二週間。食事にそんな腐った肉など提供されたことはなかった。地球であれば熟成肉という概念はあったけど、この世界にはまだそういう概念はない。


 仮に熟成肉という概念があったとしても、ここまで腐肉の臭いがしていたら、熟成というには失敗しているとしかいいようがない。

 

 そもそも一国の王がわざわざ熟成肉なんて作るわけもない。調理が趣味ということでなければ、食材の管理をみずから行うわけがない。


 だから、あの臭いはそういうものじゃない。


 あの臭いは、アンデッドが発する臭い。


 腐りに腐った体から立ち上る臭い。


 でも、国王陛下はアンデッドではない。


 普通の人間だ。見た目だけで言えば、シルバーウルフになったシリウスと同じくらいの年齢の、普通の女の子だ。


 その女の子の体から本来はありえない臭いがする。


 それもイリアのと似た臭いが。


 考えれるのはひとつだけ。


 国王陛下は少し前まで嬲られていたということ。


 イリアの妹であるアリアによって、だ。


(……あんなに幼い子を、か)


 わかっていたことではあるけれど、こうして実際に目の当たりにすると来るものはある。


 彼女の父である先王が急に亡くなったというのもなんとなくわかる。


 アリアによって彼女が嬲られる様を見てしまったからだろう。


 俺も一応父親だから、娘がそんな目に遭っていたらと、シリウスやカティ、そしてベティがもしそんな惨い目に遭っていたとしたらと考えたら、それだけで胸が痛くなるし気分も悪くなる。


 でも、実際にそれを目の当たりにしたとしたら?


 自分の無力さを嘆くだろうし、娘を惨い目に遭わせている相手を恨むだろう。けれど、自分でもどうすることもできない現実の前に心身ともに疲弊させられていく。その結果、体を壊すことになる。おそらくは先王もそうして体を壊した結果、亡くなってしまったんだろう。

「たったそれだけで?」と思う人も口にする人もいるだろうけれど、精神的負担というものは人を簡単に壊せるほどに大きく強い。


 それを延々と続けられていたら、誰だって倒れもするし、場合によっては最悪の結果になることだってありえる。その最悪の結果になったのが、先王だったのだろう。


「……惨いものだ」


 先王も愛娘を助けたかったに違いない。


 けれど、どうすることもできなかった。


 愛娘の犠牲なくして、国も次期王位継承者も助けられない。


 一を捨てて十を取るか、一のために十を捨てるか。


 先王はずっとその難問を突きつけられていたんだろう。その精神的負担がいかほどのものなのかは想像に難くない。


「……おとーさん?」


 ベティが腕の中から顔を上げた。まだ顔色はだいぶ悪い。無理もないことだけど、この子にそれだけの精神的負担を掛けさせてしまったという事実が胸を抉る。


「……なんでもないよ。ベティは大丈夫、じゃないな」


「……ばぅ、ごめんね」


「いいよ、気にしないで。ベティはなにも悪くない」


「でも」


「いいんだ。ベティはなにも悪くない。ベティが悪いなんてことはありえないのだから」


 そう言ってベティをぎゅっと強く抱きしめる。


 今日は王国祭。


 ベティが前々から楽しみにしていたお祭りの日。


 だというのに、なんだって開催前からこんな目に遭わされなきゃいけないのか。


 いや、それ以上になぜこのタイミングでアリアはこんなことをしたのか。


 アリアと話したことはほとんどない。


 だが、イリアからは、行き当たりばったりな行動が多く、先見性はほとんどないという話を聞いている。


 今回のもその先見性のなさゆえの行き当たりばったりな行動と取るべきなんだろう。


 でも、どうしてか胸騒ぎがする。


 アリアは、いや、「ルシフェニア」は王国祭という舞台でなにかしらの行動に出るんじゃないかと思わせてくる。なにせ王国祭という舞台はこれ以上とないものだ。王国全土から人が集まる。他国からも賓客が訪れることもあるだろう。それこそ「ルシフェ二ア」だけではなく、「魔大陸」の各国からもだ。


「アヴァンシア王国」という国はそれだけ歴史の古い国であり、権威を持った国。「聖大陸」の四大国家の中ではおそらく最も長く続いている国だけど、他の三国よりかは国力が若干劣っている。


 それでも「アヴァンシア王国であれば」と考える人は多いはず。ここはそういう国だ。その国の一大行事。それに出席しない国というのはそうそうないはずだ。


 そんな国の国を挙げての催事になにかしらの行動を起こすというのは、十分にありえることだ。


「……いったいなにをする気なんだ、連中は」


 王国祭当日だというのに、奴らの狙いが読めない。


 のっぴきならない状況に追い込まれてしまっている現状に、無力さを突きつけられている気がした。おまえにはなにもできないと言われているかのようだ。


(……なにかあるはずだ。なにかできることがあるはずなんだ)


 いまの俺になにができるのかはわからない。


 わからないけれど、できることはきっとある。


 そしていまするべきことは、ひとつ。


 疲弊している愛娘を介護すること。


 いまの俺がするべきことはそれだった。


 そのするべきことのために、俺はベティを抱きしめたまま、みんなが待つ客室へど向かっていった。

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