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rev2-53 だいじょーぶだから

 唐突に嵐の時間は訪れる。


 でも、それもすべては自分のせいだとトゥーリアは思っていた。


 いや、自分以外の誰のせいでもない。自分がすべて悪いのだとしかトゥーリアには思えない。


 すべてはあの日、弟のアーサーが王位継承者になったことの祝いの日が原因だった。


 あの日、本来であればトゥーリアは王女として最後の仕事をすることになっていた。正式に弟が王位継承者となったことで、あの日を境にトゥーリアは弟の影武者として生きることを余儀なくされるはずだった。


 表向きに王女であるトゥーリアは病を得て、病床の身となり、それ以降公の場には姿を現さなくなるという筋書きができていたのだ。本来であれば、スピーチが終わった際に、少し体をよろけさせ、なにかしらの病気に罹ったという風に見せるという先王である父からの指示を受けていた。


 いつもであれば、トゥーリアは素直に父の指示を聞いていたのだ。


 だが、あの日、トゥーリアは自分でも珍しいと思うほどに、反骨心を抱いてしまった。実際には反骨心と言えるほどに大層な理由はなく、単純に父の言いつけを無視してやろうという子供らしいわがまま、悪戯心に目覚めていたのだ。


 その悪戯心がすべてのきっかけだった。いま思えば、なんてバカなことをしたのだろうとさえ思う。


 あれがなければ、先王はまだ存命していただろう。


 弟だって昏睡なんてしなかった。


 自分もこんな目に遭うこともなかった。


 だが、それはもうどうしようもない過ちである。どんなに後悔しても過去は変えられない。父が生き返ることもなければ、アーサーが目覚めることもなければ、トゥーリア自身が穢されないなんてこともない。


(……あぁ、どうして私はあの日、アーサーにあんなことを言ってしまったんだろう?)


 折り曲げられた両脚とその先で下卑た笑みを浮かべる嵐を、ぼんやりと見やりながらトゥーリアはいままで何度となく思い続けてきたことを改めて考えていた。


 あの日、公ではトゥーリアは弟君であり、当代のアルトリウスの王位継承のためのスピーチの最中、「アロン熱」を発症し、いまもなも昏睡し続けているということになっている。


 しかしその当のトゥーリアは、当代のアルトリウスとして王位を継いでいる。そして本来王位を継ぐはずだった弟のアーサーが昏睡し続けている。その理由はひどく単純で簡単なもの。そしてとても愚かなものである。


 あの日、スピーチを行っていたのはトゥーリア自身ではない。スピーチを行っていたのは弟のアーサーだった。そしてトゥーリア自身はアーサーに身を扮してそのスピーチを聞いていたのだ。


 もともとアーサーとは双子だった。性別は違えど、見目は非常によく似ている。今後成長していけば、男と女という違いから見分けはつくようになるだろうが、当時はいまよりも幼かったこともあり、しっかりと変装をすれば、先王である父にもすぐには見分けがつかなかった。


 そのことを利用してよくアーサーと入れ替わって悪戯をしていたものだ。当のアーサーは女装をすることをひどく嫌がり、時には泣きじゃくっていたが、姉として命令をして、無理矢理言うことを聞かせていた。


 その日もやはり「式典の場でそんなことをしてはいけない」と言い募る弟の意見を完全に無視してトゥーリアは弟に、本来自分が着るはずだったドレスを着させ、化粧までさせた。そして自分は弟が着るはずだった豪奢な衣裳を着た。姿見に映る自分と弟は誰が見ても入れ替わっているとはとてもではないが思えないほどに、それぞれになりきっていた。


「アーサー、いい? スピーチが終わったら、私と入れ替わっていたって言うんだよ?」


「あ、姉上、そんなことをしたら父上に怒られて」


「だいじょーぶ、だいじょーぶ。カンカンに怒られるだけだよ」


「それのどこが大丈夫なんですか!?」


「うるっさいなぁ、いいからお姉ちゃんの言うことを聞きなさい! これは命令だよ!」


「う、うぅ~。どうして私まで父上に怒られないといけないんですかぁ~。理不尽ですよぉ」


 アーサーはすでに泣きじゃくっていたが、それでもトゥーリアは悪戯を強行することにした。


 どのみち、スピーチを終えれば、トゥーリアの王女としての日々は終わりを告げる。おてんば姫として名を馳せた日々から、アーサーの影として生きる日々が始まるのだ。なら、最後の最後におてんば姫らしいエピソードを作るのもありだと思ったのだ。


 父には怒られることは確定だろうが、それでもいつかは笑って話せるような取るに足らない思い出にはなるだろうとトゥーリアは思っていた。


 それがすべての間違いだったことに気づくこともなく。


 トゥーリアの思惑通りに、誰もふたりが入れ替わったことには気づくことはなかった。気づかれぬまま、アーサーがトゥーリア姫としてのスピーチを行い、そのスピーチをアーサーとして振る舞いながらトゥーリアは聞いていた。


 そのスピーチもあと少しで終わる。スピーチが終われば入れ替わっていたことを暴露して、盛大に場を盛り上げる。「アロン熱」の流行により、王国全土に影が差し込んでいるが、その影さえも笑い飛ばすような、おてんば姫としての最後の仕事が始まる。そう思っていた、そんな時だった。


 突如、アーサーが胸を押さえたのだ。


 最初は父からの指示を全うしているのだと思い、心配などしてはいなかった。せいぜい本当に真面目だなぁとしか考えていなかった。


 しかしアーサーが大きく咳き込み始めたことで、頭の中が真っ白になった。それは父の指示にもなかったことだし、アーサーがそこまで演技をするとは思えなかった。それに父はよろけろとは言っていたが、咳き込めとは言わなかった。なによりも咳き込むというのは王国に蔓延していた「アロン熱」の症状そのものだった。


「アロン熱」がどれほどまでに恐ろしい病であるのかは、王国に住まう者であれば誰もが知っている。その「アロン熱」の発症を疑わせるようなまねをアーサーがするわけもなかった。しかしその「アロン熱」が発症したようにアーサーが振る舞った。演技でも当時の情勢では不謹慎極まりない行動だった。その不謹慎な行動をアーサーがするわけがない。ということは、導き出される答えはひとつだけだった。


 そのことに誰もが気づいたのか、笑いに包まれるはずだった場の空気が、おてんば姫として最後の仕事を全うするはずだった場が、一瞬で凍り付くのがはっきりとわかった。


 アーサーはそのまま倒れ、王宮内にと搬送された。トゥーリアは侍女や衛兵たちに付き添われる形で王宮に戻り、そこでアーサーとトゥーリアが入れ替わっていたことが知られたのだ。


「なんということを」


 父は頭を抱え込んだ。


 アーサーは途切れ途切れの呼吸をするだけで、なにも言葉を発しなかった。


 トゥーリアはただ「ごめんなさい」としか言うことができなかった。


 アーサーが「アロン熱」に発症したことはもはや確定していた。


 流行病であったから、誰が罹ってもおかしくはない。


 しかし、もしトゥーリアとアーサーが入れ替わっていなければ、「アロン熱」に罹っていたのはトゥーリアでありアーサーではなかったかもしれない。王位継承者ではなく、その影が罹ったという結果だったのかもしれなかったのに、トゥーリアの独断のせいで、王位継承者が致死性の高い流行病に罹ってしまった。


 誰かが「逆であれば」と漏らした声をトゥーリアは呆然としながら聞いていた。それはその誰かだけの本心ではなかった。トゥーリアを含めたその場にいた全員の本心だったとトゥーリアは思った。


 どうしてこうなったんだろう。どうしてこんなことになってしまったんだろう。


 トゥーリアは失意に駆られながら思った。


 いや、失意は誰の胸の内にも宿っていた。それを誰もどうすることもできなかった。どうすることもできないまま、アーサーの苦しそうな呼吸音だけが響いていた。そんなときだった。嵐が訪れたのは。


「こんにーちーはぁ~」


 場の空気にまるでそぐわない、とても楽しそうな声で嵐は訪れた。


「トゥーリア殿下が大変な目に遭ったのを見て、いても立ってもいられなかったのですが、なにやらおかしなことになっていますねぇ~?」


 嵐はニコニコと笑いながら場を見回しながら言った。


 嵐はもともと国賓として訪れていた。他の諸外国からも国賓は訪れていたが、嵐だけはずけずけと澱んだ空気の一室に入り込んできたのだ。衛兵はどうしたのだろうとトゥーリアは考えていたが、もうどうでもいいことだった。そんなトゥーリアの考えを読んだのか、はたまたトゥーリアの絶望する顔に胸を高鳴らせていたのかは定かではないが、嵐はにやりと口元を歪めて言ったのだ。


「よろしければ、「アロン熱」の特効薬をお譲り致しましょうかぁ~?」


 嵐の言葉にその場にいた全員が、俯いていた顔を上げた。特効薬。猛威を振るう流行病に特効薬などあるのかと誰もが疑いつつも、もしかしたらという可能性を思ったのだ。


 嵐は、アリアは大国「ルシフェニア」の王女。そして「ルシフェニア」は「スカイスト」における最も高度な技術を持った国である。その技術は多岐にわたり、その中には医療技術も含まれている。「アヴァンシア」では作り得ない特効薬も「ルシフェニア」には作り得られるのかもしれない。いや、すでに完成しているのかもしれない。


 特効薬があれば、王位継承を治せる。いや、それどころか王国全土を救えるかもしれない。その期待に誰もが胸を膨らませた。


「ですがぁ~、その代価としてですねぇ~。そこにおわすトゥーリア様をいただけますかぁ~?」


 アリアが口にした代価は、期待という光を宿らせていた一室を再び絶望に突き落とさせた。特に父は激高していた。


「娘を差しだせ、だと? それはどういう意味だ、三の姫よ」


「そのままの意味でございますよぉ~? アーサー殿下の影として生きるくらいであれば、私が飼ってあげようと思っただけです。欲しかったんですよぉ、私のいいなりになる、かわいいかわいい玩具が」


「貴様、なにを」


「ん~? はっきりと言った方がよろしいですかぁ~? つまりですねぇ~、トゥーリア殿下、いえ、トゥーリアちゃんを徹底的に調教して、私好みの女にしたいんですよぉ~。ゆくゆくは孕ませてもいいかなぁ~とも思っています。あ、大丈夫ですよ。ちゃーんとかわいがりますから。この場で破瓜の様子をお見せしてもいいですし」


「貴様ぁぁぁっ!」


 父は目を血走らせながら叫んだ。そんな父を衛兵たちは必死に押さえこんだ。衛兵たちだけではなく、ほぼ全員が父を押さえたのだ。誰もが憎悪に満ちた目をしていたが、それでも理性が、わずかな理性が父を押さえこませるという方にと向いたのだ。


 当代の王の愛娘とはいえ、ひとりの人間の犠牲で他の大勢が助かる。その中には王位継承者もいるのだ。費用対効果の意味合いでは、これ以上となく安上がりだった。それは父として理解していた。ただ肉親としての情がそれを許さなかったのだ。


「お父上は、ああ言っておりますがぁ~、どうされますかぁ? あなたの意思ひとつで弟君も国民も救えるのですよぉ~? 「アヴァンシア王国」では国民を大切にしているのですよねぇ~? その国民を助けるための犠牲になれる。この国の王族としてはこれ以上とない誉れではございませんかぁ~?」


 ニコニコと笑いながらアリアは詰め寄ってきた。


 国なくして王とならず。民なくして国にはならず。


 それはアヴァンシア王家が代々受け継いできた思想。


 建国の王、始祖王であるアルトリウス一世の思想。連綿と受け継いできた誉れ。


 その誉れのために身を捧ぐ。王家として当たり前である思想だった。


 であれば、悩むことはなかった。


「わ──」


「ダメ、です。姉上」


 頷こうとしたとき、途切れ途切れでアーサーが首を振った。


「わ、わたしは、だいじょーぶだから」


 アーサーは泣いていた。泣きながら首を振っていた。


 アーサーは胸が痛くなるほどにトゥーリアを思ってくれていた。


 だが、それもすべてはトゥーリアの悪戯が招いたこと。


 つまりこれは自分の手で決着させねばならないこと。


 たとえ、父やアーサーが認めなかったとしても、やらねばならぬことであった。


「……わかりました。私の身ひとつで済むのであれば、好きにされるとよろしい」


「まて、待つのだ、トゥーリア!」


「あ、あねうえぇ」


 父もアーサーも必死に手を伸ばしてくれた。だが、トゥーリアはもう決めてしまっていたのだ。


「私は大丈夫です」


 にこやかに笑いながら、トゥーリアはアリアにと一歩近づいた。


「約束してください。私を好きにする代わり、必ず弟と民を救ってください」


「いいですよぉ~。では、前払いとして、早速抱かせて貰うねぇ~? 服を脱いで、いますぐに」


 アリアは笑った。その笑みは悪魔のように恐ろしかった。その悪魔の前でトゥーリアは身に着けていた豪奢な服をすべて脱いだ。恥ずかしさで顔が熱くなる。これから待ち受けることへの恐怖に涙で頬が濡れた。それさえもアリアにはスパイスでしかなかった。


「ふふふ、かーいいなぁ~。じゃぁ、いただきまぁーす~」


 アリアは笑いながらトゥーリアを組み伏し、そして破瓜を成した。ひどい痛みと父の嗚咽、そしてアーサーが呼ぶ声だけをトゥーリアは感じていた。


 その後、ひとしきりトゥーリアを堪能し、アリアは満足げに特効薬についてを口にした。


「「アロン熱」の特効薬は我が国で作ったエリシクル製の薬を使えばいいのです。ただし、その代価はとても高いので、これからもトゥーリアちゃんを定期的にかわいがらせて貰いますねぇ~? 一度抱くたびに特効薬を100個お渡ししますのでぇ~。現在の発症者分を考えれば、ざっと半年は掛かりますがよろしいですよねぇ~?」


 くすくすと笑うアリアの声。悲憤を喘ぐ父、そして「姉上」と途切れ途切れの声で自分を呼ぶアーサーの声。薄ぼんやりとした意識の中、トゥーリアはそれらの声しか聞こえなかった。


 それからアリアには定期的に抱かれるようになった。抱くたびにアリアは特効薬を渡してくれた。その特効薬を配り、「アロン熱」の被害は徐々に収まっていく。だが、アーサーの症状だけは収まることはなかった。


「弟君のは特別なのかもしれませんねぇ~? 特別となると、エリシクル製の薬でも特別製の濃縮薬を使わないと。さすがにこれはいますぐにお渡しできるものではありませんねぇ~。でも、大丈夫ですよぉ~。トゥーリアちゃんがいい子であれば、私たちは手を差し伸べますのでぇ~」


 アリアの言葉の意味がどういうものなのかはわかりきっていた。だからトゥーリアのするべきことは変わらなかった。


 父はアリアが訪れるたびに、憔悴していた。憔悴する父にトゥーリアはただ「心配しないでください」とだけ言い続けた。それでも父は憔悴し続け、ついには倒れてしまった。


 倒れた父の代わりをできるのはトゥーリアしかいなかった。


 王位継承者であるアーサーは昏睡してしまっていた。


 トゥーリアしか国を導ける者はいなかったのだ。


 王として国を導く一方で、アリアの「女」として嬲られる。


 そんないびつな日常が成立した。


 そんないびつな日常にも慣れてしまった。


 考えるのはただひとつ。


(わたしはだいじょーぶだから)


 誰に言ったのか。誰に言うべきなのか。


 それさえももう定かではない。


 それでもトゥーリアは思う。


 大丈夫だから。


 かつて弟に言った言葉。


「だいじょーぶ」という言葉を、薄れた意識の中で思い続ける。


 その言葉が向けられるのが誰なのかはもうわからない。


 それでもトゥーリアは思い続ける。


 私はだいじょーぶだから、と。


 すでに視界に涙はない。ただ嵐が過ぎ去るのを待ち続けた。


 私はだいじょーぶだから、と自分自身に言い聞かせて。

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