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Act1-60 苛立ち

 ギルドに戻ると、そのまま執務室に向かった。


 アルーサさんに「討伐」したオークを見せて、解体をお願いした。


 本当なら俺自身で解体するべきなのだろうけれど、アルトリアが怒っているのに、別のことをするわけにはいかない。


 だからギルド内にある解体倉庫で、解体をお願いした。


 解体の手数料を取られてしまうけれど、オークを一体ずつ解体している暇があれば、アルトリアと話をしたかった。


 無言のアルトリアとバツの悪そうな俺を見て、アルーサさんやほかの職員、常駐している冒険者たちは、気遣うような視線を向けて来る。


 だが、気遣われたところで、現状を打開できるわけじゃない。


「あとは頼みます」


「了解いたしました。ギルドマスター、御武運を」


 アルーサさんは、いきなり敬礼をしてくれた。


 御武運をと言われても、いまから戦いに行くわけじゃない。


 まぁ、ある意味では戦いと言えるだろうから、アルーサさんの言うことは間違いじゃなかった。


「できるだけのことをしてきますよ」


 小さくため息を吐きながら、控えていたアルトリアとともに執務室へと戻った。


 執務室に戻ると、アルトリアはそそくさと自分のデスクに腰掛けようとした。


「アルトリア。お茶を頼めるか?」


 デスクに腰掛けられたら、そのまま無言で仕事をされそうだったので、慌ててお茶をお願いした。


 お茶を頼む必要はない。少し喉は渇いているけれど、飲まなくても問題はない。


 アルトリアは仕事を始めたら、終わるまで口を聞いてはくれないと思ったから、そうならないように、お茶の用意をお願いした。


 いつもであれば、わかりました、と柔らかく微笑んでくれる。


 だが、今日のアルトリアはいつもと違っていて、無言で頷き、廊下に出てしまう。


 歩き去っていくアルトリアの足音を聞きつつ、どうすれば機嫌を取れるのかを考えていく。


 だが、いくら考えても思いつかない。


 アルトリアが怒るのはわかる。俺が危ないことをしてしまったからだ。


 アルトリアを守るためにはあれが最善だった。


 下手な行動をして、あいつらの雇い主に余計な攻撃材料を渡すわけにはいかない。


 正当防衛を成立させるためには、一度殴られなければならなかった。


 もっともそんなことは、アルトリアもよくわかっている。


 それでも俺が怪我をするのを見たくなかったのだろう。


 俺を愛してくれているからこそ、俺の怪我を許容することができなかった。


 アルトリアの優しさだった。その優しさを俺は何度も感じてきた。


 しかしその優しさが、いま俺とアルトリアの仲を、決定的に引き裂こうとしている。


「なんて言えばいいんだよ」


 謝るべきなんだろうけれど、どう謝ればいいのやら。


 心配をかけさせてしまったことはたしかだ。


 しかしアルトリアの身を守れたこともたしかだ。


 俺はアルトリアを守れればそれでよかった。けれどアルトリアはそう思ってはいなかった。


 俺を傷付けたくない。傷ついてほしくない。そう思ってくれている。その気持ちは、その想いはとてもありがたかった。


 けれど俺の強さはわかっているはずだ。実際、アルトリアの前で俺は何度か戦っている。その戦いを見て、理解してくれている。俺がどんなに強いのかを。


 けれどそれでも心配するものは、心配してしまうのだろう。


 無理もないとは思うけれど、それでもこうも思ってしまう。心配しすぎだ、と。


 余計な心配をしているとも言いたい。


 実際、アルトリアの心配は、俺にとってみれば余計なものでしかない。


 俺がぶっ飛ばしたチンピラどもは、片手どころか、指一本で捻られるような奴らだ。そんな奴らの攻撃なんて、いくら受けても痛くはない。


 それでも心配してしまう。心配してくれることは、素直にありがたい。


 その一方で、もっと信用してくれ、と言いたい。


 だってそうだろう。心配するということは、俺のことを信用していないと言っているようなものだ。


 俺があの程度の連中にやられてしまうと思われているようなもの。


 それは俺に対する侮辱だった。


 ほかの連中であれば、まず間違いなく、文句を言っている。


 けれど相手はアルトリアだ。


 俺が傷つけたくないと思っている相手だ。


 笑顔でいてほしいと願っている子だ。


 あの子に対して、下手なことを言う気にはなれなかった。


 かといって、現状のまま放っておくこともできない。


 どうすればいいのか、どうしたらいいのか、俺にはもうわからない。


「どうすればいいんだよ」


 自分用のデスクに腰掛けながら、深いため息を吐くと、小さなノックが聞こえた。


 どうぞ、と声をかけると、アルトリアが執務室に入ってきた。


 その手にはティーポットとティーカップの乗ったトレイがある。


 アルトリアはなにも言わずに、俺のそばまで歩み寄ると、無言でお茶を淹れてくれた。


 事前にお湯で温めていたのだろう、ティーカップからはわずかな湯気が立っていた。


 湯気を押し戻すように、アルトリアがお茶を注いだ。


「どうぞ」


 目の前に置かれたのは、俺の好きなセカンドフラッシュのラッサム。アルトリアが俺のために淹れてくれる紅茶だ。


 いつも同じはずなのに、いつもとは違っている。


 アルトリアが素っ気ないからだ。俺が怒らせてしまったのだから、無理もないけれど、アルトリアには笑顔でいてほしい。


 その笑顔さえも、アルトリアは向けてくれない。


 表情を消して、俺の傍らに控えてくれている。


 いつもと同じ香り、声、瞳であるはずなのに、笑顔がないだけで、魅力が急に薄れてしまう。


 というか、いまのアルトリアを抱き締めても抵抗されてしまいそうだった。


 普段は抵抗なんてしない。身を任せてくれる。


 だが、今日のアルトリアは、きっと身を任せてはくれない。


 たったそれだけの違い。


 だが、それだけの違いが、大きな差となって、俺たちの距離を開かせているということを、再確認してしまう。


「……えっと、まだ怒っているのか?」


 恐る恐るとアルトリアを見やる。アルトリアはなにも言わない。


 ただ黙って自分のデスクに腰掛けようとする。


 なぜか少し腹が立った。気づけば、アルトリアの手を掴んでいた。


「……なんですか?」


 アルトリアは煩わし気に俺を見やる。いつもとは違っている。


 いつもはもっと柔らかい笑顔を向けてくれる。アルトリアらしい、俺の好きな笑顔を浮かべてくれる。


 けれどその笑顔がない。


 俺を見ていたくないような、俺とこれ以上会話をしたくないような、そんな拒絶の色がありありとアルトリアの顏に浮かんでいた。


 その表情が俺をより苛立たせていく。


「話をしよう。いや話をさせてほしい」


「結構です。どうせ私がなにを言っても、ギルドマスターは聞いてくれないのでしょう?」


「「旦那さま」でいい」


「……嫌です」


「は?」


 言われた意味をすぐに理解することができなかった。


「旦那さま」でいいと言ったはずなのに、それを嫌ですと返されてしまった。


 その意味を理解することができない。いや理解したくない。


 けれど俺の気持ちを無視するように、アルトリアは続けて行く。


「今日のことでわかりました。ギルドマスターは、私のことなんてどうでもいいんですよね。ただ私の体がお好みなだけであって、私の心なんて、私の想いなんて、どうでもいいんですよね?」


 なにを言っているんだろう。なにを言われているんだろう。


 拒絶された以上に、意味がわからなかった。


 意味がわからないのに、アルトリアの言葉を聞くたびに、焦燥感が募っていく。


 募り続ける焦燥を俺はどうすることもできない。できないまま、呆然とアルトリアの言葉を聞いていく。


「私はギルドマスターが好きです。でも、どんなに好きでも、ギルドマスターは振り向いてくれない。振り向いてくれたと思っても、私の気持ちをまるで考えてくれない。それは私の気持ちなんてどうでもいいからですよね? ただ私の体が、ギルドマスターのお好みに合うからこそ、そばに置いてくださっているだけなんですよね。でなければ、もっと私のことを考えてくれているはずです。一方的に気持ちを押し付けてくることはないはずです」


 一方的に気持ちを押し付けてくる。どの口が言う。どの口がそんなことを言っているんだ。苛立ちを抑えきれなくなっていく。


「いままでは、体だけでもいいと思いました。気持ちよりも、そういう感情の方が先行していると思うことにしていました。けれど、もう無理です。だって本当に私のことを考えてくれているなら、私がどうして怒っているのか、わかってくれているはずですよね!? ちゃんと想いを伝えてくれていますよね!?」


 アルトリアが叫ぶ。一方的な怒鳴り声。たしかに言われた通りではある。


 俺はアルトリアに対して、なんのアクションも起こしていなかった。


 起こすものは、たいていアルトリアを求めるもの。


 もっと言えばアルトリアの体を求めるようなものばかり。


 それじゃ、アルトリアがこういうものわかる。そう、理性的に考えればわかる。


 でも、それは俺にだって言えることだ。


「自分勝手なことばかり言うなよ。一方的に気持ちを押し付けてきたのは、アルトリアだろう!? 俺は散々ノンケだって言っているのに、先に誘惑してきたのは、アルトリアで」


「好きな人に振り向いてもらうのに、手段なんて選べるわけがないじゃないですか! どんな手段を使ってでも振り向いてほしい。そう思うのは当然じゃないですか!」


「だ、だからって、胸を押し付けてきたり、人のベッドに全裸で入り込んできたりするかよ、普通!」


「それを拒否しなかったのは、どなたですか!」


「きょ、拒否したって、アルトリアは」


「拒否されたら、私だってやめます! でも、ギルドマスターはされなかった。それはつまり、私の体に欲情したってことで、私自身のことなんて、どうでもよかったってことでしょう!? 私のことをいやらしい目で見て、いやらしいことをしてきた、あなたと最初に出会った日に、私に絡んできた人たちみたいに!」


 アルトリアが叫んだ。叫びながら、俺の手を振りほどく。


 距離が開いた。アルトリアと距離が開いてしまう。


 遠くにアルトリアがいる。腕を伸ばせば届くはずなのに、その届くはずの距離がひどく遠く感じられてしまった。


 嫌だ。アルトリアがそばにいてくれないなんて、嫌だ。


 一方的な想い。アルトリアが言う、押し付けてばかりの一方的な想いを、自覚しつつ、俺はアルトリアに向けて、腕を伸ばした。


 だが、運悪く、なにかを踏んづけてしまった。


 バランスが崩れてしまう。アルトリアに向かって倒れ掛かる。


 アルトリアはとっさのことで反応できなかったようで、巻き込む形で、一緒に倒れ込んでしまった。


 倒れ込みながら、アルトリアが頭をぶつけないように、とっさにアルトリアの頭の下に右腕を回した。


 右腕を強く打ち付けることになったけれど、どうにかアルトリアを守ることができた。しかし──。


「ギルド、マスター?」


 後頭部の下に右腕を回した際に、抱きしめるような形になったせいか、アルトリアと目を合わせたときには、アルトリアが上目遣いをしているような体勢になってしまった。


 加えて、アルトリアの瞳は涙に濡れていた。


 濡れた瞳での上目遣い。俺の理性を削るもの。


 そういう状況じゃないとわかっているのに、俺の胸は自然と高鳴っていた。そして高鳴る鼓動のまま、俺は行動した。

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