rev2-40 尊きものを
突き当たりの部屋の中では、ベッドに横たわる女性と、その女性と手を繋いでいるイリアさんがいました。
「イリアさん、ありがとうございます」
「いえ、私にはこれしかできませんでした。申し訳ないです、シスター」
「いいえ、とんでもない。大変だったでしょうに。後は代わります。あ、でも、声は掛けてあげてください」
「私でいいのでしょうか?」
「ええ。もちろん。さすがにまだだとは思いますけど、念には念を入れておきたいのです。こういうときは誰がそばにいる方がいいのです。本来であれば、伴侶となる方やご家族が望ましいのですが、そのどちらも望めないのであれば、近しい方ということになります。その近しい方はレンさんだけです。そしてイリアさんはレンさんと深い関係のご様子ですので、レンさんの代理ということになりますが」
「……それは」
「お願いできませんか?」
「……わかりました。微力ながら」
イリアさんはなぜか躊躇っていましたが、最終的には頷かれていました。近しい方という括りに入っているけど、女性とは関係があまりないからなのかもしれません。
ですが、いまこの場にはレンさんがいない。であれば、レンさんと深い関係を持っているイリアさんが代理になるしかないのです。
そもそも私はこの人が誰なのかもよくわからないのです。
レンさんが会いに行かれたのがこの人であることはわかるのですが、いったいどういう繋がりなのかはわからない。わかるのは、勇者様のお仲間だったということくらいですか。その勇者様にしてもお会いしたことがない私は、勇者様がどういう方だったのかもわからないのですが。
「……ごめん、ね。イリア、さん」
不意に女性がイリアさんを見やりながら申し訳なさそうに謝りました。その女性の言葉にイリアさんは何度も首を横に振りました。その仕草はあまりイリアさんらしからぬもので、ひどく違和感があった。
普段は落ち着いていて、私よりも年上にしか見えない人であるのに、いまのその姿は幼い子供のように思えてなりませんでした。
「そんなこと、ないです。あなたが謝られることじゃありません」
「そんなこと、ないよ。会ったばかりなのに、こうして面倒を看てくれているもの。ありがたいなぁと思っているんだよ」
「そんなことない。そんなことないんです。だから謝らないでください。私にはあなたから謝罪を受けられる立場じゃないんです。だから謝らないで」
そう言ってすぐにイリアさんの頬を涙が伝っていく。
いきなりのことに私はぎょっとしてしまった。
けれど、イリアさんは涙を流したまま、俯いてしまっている。俯きながらもその手は女性の手をしっかりと覆うようにして握られていた。まるでその姿は祈りを捧げているかのよう、いや、違うか。祈りは祈りでも、それはまるで懺悔をしているかのようです。かつての自身の行いを悔やみ、尊き方に許しを得ようとしているように感じられました。
(……以前のイリアさんはいったいどういう人だったんだろう?)
時折、イリアさんは影を背負うことがあった。その影にイリアさんはいつも押し潰されそうになっていて、そんなイリアさんをレンは無言で支えていた。でも、いまそのレンさんはおらず、イリアさんは自身が背負う影に押し潰されそうになっている。
どうしてそんなことになっているのか。私にはわからなかった。
わかなかったけれど、どうすることもできなかった。だってなにをすればいいのかがわからないのだから、どうすればいいのかなんてわかるわけもなかった。
それでもなにかできないかなとは思った。でも、思いつく物なんてなにもなくて、結局私にできたのは、泣きじゃくるイリアさんをただ見つめていることしかできなかった。
「……いいんだよ、イリアさん」
「……え?」
「たとえあなたがどういう人であったにせよ。現状を招いた理由にはあなたは関わっていないのだから」
イリアさんが大きく息を飲みました。信じられないというかのように、イリアさんの仮面から覗く赤い瞳は大きく見開かれていた。
「なん、で」
「……なんとなく、かなぁ。イリアさんはあの秘書さんによく似ているから。まぁ、人柄は全然違うし、あの子のように壊れているところは一切ないけど、雰囲気がよく似ていた。最初はレンさんがあの子を連れているのかと思っていたのだけど、うん、全然違うね。あの子はもっと冷たい目をしていた。レンさんとシリウスちゃんたち以外には、同じ目を向けていたよ。レンさんたち以外には価値がないと言うかのような、路傍の石を見ているような、そんな冷たい目をいつもしていた」
「……」
「だけど、イリアさんは違うね。雰囲気はそっくりなのに、目が全然違うもの。誰にも温かい目をしている。誰を見ても尊いものを見ているかのような、そんな優しくて温かい目をしている」
「……そんなこと、ないです。だって私は、私はっ」
イリアさんは首を振る。何度も何度も首を振っていく。でも、それ以上先の言葉を口にはしなかった。いや、言えないのかもしれない。イリアさんの過去がどんなものなのかは私は知らない。
でも、イリアさんのいまの姿からは、かつてのイリアさんはとても口にはできないことをしていたということはわかる。その口にできないことの被害を女性は被ったのだということもまた。
けれど、女性はそれを許している。当のイリアさんはなぜ許されたのかがわからないでいる。
「……以前のあなたを、許せないでいるんだね」
「……それだけのことを私はしてきました」
「そうなのかもね。でも、いまは違うんだよね?」
「……いまの私は以前の私じゃないから。いまの私はイリアです。かつての私とは違う」
「なら、それでいいじゃない」
「え?」
「いまのあなたとかつてのあなたが違うなら、それでいいじゃない。かつての行いを悔やんでいるのであればそれでいいじゃない。あなたは変わったのでしょう? ならそれでいい。自分でいまの自分とかつての自分が違うと、かつての行いをもうしないと決めているのであれば、それでいいと思う。だからさ、もう自分を許してもいいんじゃないかな? 少なくとも私はいまのあなたであれば、後悔に後悔を重ね続けているいまのあなたを見て、責める気にはなれないもの。……面倒を看てくれたからということもあるとは思うから、ひどく現金だと思うんだけどね」
女性は苦笑いをしていました。苦笑いをしながら、イリアさんの頬に触れて、そっと撫でていく。
「だけど、あなたを許したいと思うのは本当だよ。同じくらいにもう自分を責めないでとも言いたいの。あなたは、もうずいぶんと無茶をし続けているように見える。もう自分を責めなくていいんだよ。もうあなたは昔のあなたじゃない。いまのあなたは「イリアさん」なんでしょう? ならそれでいい。「イリアさん」としてこれからも過ごしていけばいい。もうかつてのあなたはどこにもいないのだから」
女性が笑う。その笑みにイリアさんは女性の手を覆いながら顔を俯かせてしまう。なにかを言おうとしている。でも、なにも言えないでいる。だけど、イリアさんの気持ちはなんとなく伝わってくる。それは女性も同じなのか、微笑ましそうにイリアさんを見つめていた。
「……ありがとう、ございます」
「それは私の台詞だよ。……まだ産まれそうにはないと思うの。たぶん、少ししたら落ち着くと思う。それまでは手を握ってくれる?」
「……はい、もちろんです。クリスティナさん」
「うん、ありがとう、イリアさん」
女性──クリスティナさんは嬉しそうに笑っていた。その笑顔にイリアさんも笑い返していた。その光景はどこか微笑ましかった。そんな微笑ましい光景を私はそばで見つめていた。そばで見つめながら思ったのは、「まるで姉妹みたいだなぁ」ということ。
見た目も雰囲気もまるで違う。
それでも、私はいまのふたりを見ていると「姉妹のようだ」と思えた。
おふたりがお互いにそういう気持ちを向けているかはわからない。わからないけど、少なくとも私にはそう見えた。それだけははっきりと言い切れることでした。
そんな光景を私はただ見つめていた。とても尊い物として見つめ続けていた。
 




