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rev2-39 王の想い

「──どうぞ、陛下」


「あぁ、すまない」


「いつものことですので」


「そうだな」


 国王様の前にシスターは私に淹れたものと同じお茶を置かれました。


 国王様はお礼と軽いやりとりを行ってから、置かれたお茶をゆっくりと啜っていく。そのやりとりをいつも行っているのでしょう、おふたりはとても自然に振る舞っていた。


「あぁ、やはりシスターの淹れたお茶は美味しいな」


「安物の茶葉ですよ? お城で飲まれる物とは比べようもないようなものなんですけど」


「たしかに、城で飲む茶とは段違いだよ。香りの芳醇さ、味わいの深さ、余韻など、どの点で見ても城の茶とここで飲む茶とでは大きな差がある。100人いれば100人全員が城の茶の方が美味いと絶賛するだろうな」


「それはそうでしょう。陛下は比較的質素に暮らされておられますけど、触れるもの、見るもの、口にするもの、そのどれもが王に相応しき最上級の品質のものばかりでしょう。私が淹れるお茶は、安売りのときにまとめ買いしているもの、投げ売りで売られているような品質としてはあまりよくないものですから。差が生じるのは当然ですもの」


 シスターはいまさらなにをと若干呆れを含んだような物言いでした。国王様は苦笑いしながらその物言いを聞かれていました。


「うむ。品質の差は埋めようがないというのは事実だ。それは余も同じ意見さ。ただ、ここで飲むお茶は不思議と美味しいと思う。芳醇さはなく、苦みも強く、余韻などもほとんど感じられない。よほどのことがなければ、この品質のお茶を余が飲むことはありえないと言ってもいいものだ」


「……貶したいのか、褒めたいのか、はっきりしてもらえますか?」


 まったくとため息交じりにシスターが鼻を鳴らされました。そんなシスターに国王様は「すまない」とまた苦笑いされました。


「貶したいわけではないんだ。ただ、なんというか、落ち着くんだよ」


「落ち着く?」


「あぁ、シスターの淹れてくれたお茶は、不思議と心を落ち着かせてくれる。最上質の茶葉で飲むお茶はたしかに美味しい。けれど、どこか空虚なのさ。いや、お茶だけじゃないな。あの城で飲み食いするものはすべて美味しい。けれど、とても空っぽなんだ。余はここに入り浸るようになるまで、食事が温かいものであることを知らなかった。食事とはとても冷たいものだと思っていた。姉上も同じことを仰っていた。「温かい食事はとても美味しい」と」


 カップの中をゆっくりと揺らしながら、国王様はじっと琥珀色の水面を見つめている。水面に映っているのは他ならぬ国王様だけ。でも、国王様は水面に映るご自身を見て、いまにも泣きそうな顔をされておいででした。


「このお茶もそうだ。安っぽい味だし、芳醇さもないが、どこか落ち着くんだ。まるで姉上がそばにいてくれているみたいだ」


「トゥーリア様がですか?」


 シスターは意外だというかのように目を大きく見開かれていました。


 安物のお茶を飲んでいるだけで、どうして姉君様が一緒にいるという感想になるのかがわからないのでしょう。無論私もわかりません。わかりませんが、国王様がなにかを感じ取っていることはわかりました。


「以前、姉上がお茶を淹れてくれたことがあったんだ。ちょうどここで飲む茶葉と同じものをわざわざ変装してまで買ってきてね。「美味しいお茶を淹れてあげる」とか言って、飲ませてくれたのさ。てっきりいつも城で飲む茶葉だと思い込んでいた余は、いつもとは違う味わいに顔をしかめたものだよ。そんな余を見て、姉上はとても楽しそうに笑っていた。「簡単に騙されたらいい王様にはなれないよ」と言ってね。ははは、懐かしいなぁ」


 国王様は笑っていました。笑っているのだけど、いまにも溢れてしまいそうなほどに、その目尻には涙が溜まっていた。


「すまないね、急に湿っぽい話になってしまった」


 国王様は鼻を一度啜られ、目尻を拭われました。拭っても目尻にはまだ涙が蓄えられていた。その涙を国王様はあえて拭われることなく、話を続けられていく。


「そんな思い出もあるからなのかな。もしくはシスターが淹れてくれたお茶を姉上と飲んでいたということもあるからなのかな。まるで姉上がいまもそばにいてくれているみたいなんだよ。心が自然と落ち着くし、美味しいって思える。実際の味よりも雰囲気や思い出がそう言わせてくれるんだろうね」


 国王様はまた苦笑いをしている。同じ苦笑いでもいままでのそれとはまるで違っていました。いままでのそれは失言を隠すためのもの。でも、いまのそれは自分の感情を隠すための、泣きたくなるくらいの深い悲しみを隠すためのもの。トゥーリア様との思い出に心を揺らされてしまったことを隠すためだけに、国王様は苦笑いしていた。


 どうしてあげればいいのか。どうすればいいのか。私にはわからなかった。


 以前のように後ろから抱きしめてあげても、それだけではどうしようもないほどの悲しみ。まだトゥーリア様は生きている。でも、死の淵に脚を掛けていることも事実。その事実が国王様の心の中に大きな穴を、埋めようもないほどに大きな穴をぽっかりと空けてしまっていた。


「だからこそ、余は余裕などほとんどなくても大金を支払わなければならぬ。姉上との日々を風化させないために。姉上にまた目を覚まして貰うために。……「あの日」の贖罪をするためにも」


「あの日?」


 最後はとても小さな声でした。でも、私にははっきりとその声が聞き取れたのです。国王様もまさか聞き取られるとは思っていなかったのか、驚いた顔をされていましたけど、すぐに表情を戻されました。


「聞き間違いじゃないかな? 余はそんなことは一言も言っておらんのだが?」


「え。でも」


「私には聞こえませんでしたから、たぶんアンジュさんの聞き間違いかと」


 国王様の言葉にシスターも頷かれてしまいました。国王様ご本人が聞き間違いと仰っているうえに、私と同じく国王様のお話を聞いていたシスターもまた聞き間違いだと言う以上、私だけが違うと言っても聞き入れてもらえそうにはありません。そもそも国王様ご本人が聞き間違いだと断定するということは、聞いて欲しくない類いの言葉だったというなによりもの証拠でした。


 これ以上口にしても場の空気を乱すだけ。ならばこれ以上は口にするべきではありませんでした。


「……そう、ですね。きっと聞き間違いだったのだと思います。すいません」


「いやいや、気にしなくてもよい。それよりもベティは? てっきりアンジュ殿と一緒にいるかと思っていたのだが」


「ベティちゃんなら──」


 孤児院の子たちと一緒に遊んでいる。そう言おうとした、そのときでした。


「た、たいへんなの!」


 食堂の扉が大きく開いたのです。扉の向こうにはとても焦った顔をしたベティちゃんが立っていました。


「どうしたの、ベティちゃん?」


「おねえさんが、おねえさんがたいへんなの!」


「おねえさん?」


「クリスティナさんがどうかしたの?」


「おなかをおさえて、くるしんでいるの!」


 ベティちゃんの言葉にシスターは椅子を倒しながら立ち上がりました。


「アンジュさん、お手伝いお願いします!」


「え? あ、はい」


 シスターはすごい剣幕で一言言われると、そのまま大急ぎで廊下に飛び出されました。私はその勢いに押されながらも、続いて廊下を出て行く。すでにシスターはかなり先を走っていましたが、その背中を見失わないように追っていくと、突き当たりの部屋の前に人だかりができていました。孤児院の子供たちが垣根のように部屋の前を覆っていた。その子供たちを掻き分けてシスターが部屋の中に入っていく。その後をまた私も追って部屋に入るとそこにはベッドの上で苦しそうに喘ぐ女性とその女性のそばで手を握るイリアさんがいたのでした。

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