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rev2-38 どんな犠牲を払ってでも

「──アンジュさんは、アロン熱を覚えていますか?」


「アロン熱ですか?」


「ええ。数年前に突如として流行したあの病です。トゥーリア様はあの病に罹って──」


 シスター・アルカは訥々と話を進めておられますが、私としては少し困ってしまっていました。


 アロン熱を知っている前提でシスター・アルカは話を進めておられますが、私はアロン熱という病のことをまったく知りません。そもそも流行病があったこと自体、いま初めて知ったくらいです。


 でも、シスター・アルカはまるでアロン熱を知っていることは当たり前としているのです。まるでそれが常識であるかのようにです。


 ですが、知らないものはどうあっても知らないわけなので、知っている前提で話されても困るだけでした。


「あ、あの、シスター」


「はい?」


「えっと、その、非常に申しにくいことなのですが」


「なんでしょうか?」


 怪訝そうに眉をひそめるシスター・アルカ。あぁ、非常に。非常に言いづらいです。言いづらいですが、言わなきゃいけないのです。だって前提条件を知らないのだから、もう言うしかないのです。言わないと話にはまったく着いていくことができないのですから。知ったかぶりをしたところで、いつかはボロを出すのであれば、いまのうちに正直に話す方がましです。


「アロン熱って、なんですか?」


「……はい?」


「いや、だから、アロン熱ってどんな病ですか?」


「……本気で言っているんですか?」


「はい、残念ながら。私が住んでいた地域では、そのアロン熱って病は話題にすら上がらなかったのです」


「……」


 空いた口が塞がらないという言葉がありますが、いま目の前にいるシスター・アルカの姿はまさにその通りの状態でした。これほどまでに如実としてその言葉を表現できる状況というのはそうそうないよなぁと他人事のように思いました。


「あの、アンジュさんはたしか」


「ええ、この国の出身です。一応」


「なのに知らないって」


「いや、だって知らないものは知りませんし」


「……」


 今度は信じられないものを見るような目で、「こいつマジか」という顔で私を凝視されるシスター。そんな目で見ないでくださいと言いたいのですが、この場における非常識は私の方なので、もうどうしようもないのです。


「いったい、どんな地域に住んでいたんですか?」


「えっと、辺境ですかね。あの「霊山」近郊です」


「「霊山」って、「霊山ガイスト」ですか? あの「霊水」が湧くという、あの?」


「ええ。その「霊山」近郊で育ちました」


「……なるほど、なら知らないのも無理からぬ話ですかね」


 納得がいったというようにため息を吐くシスター。どうやらアロン熱は、コサージュ村を始めとした辺境近くでは流行ることはなかったみたいです。でも、他の地域は猛威を振るったのかもしれません。


 シスターの知っていて当然という態度を踏まえれば、この国に長く住んでいたら知っていないとおかしいと思うくらいには、大流行した伝染病なのかもしれません。


「古来より「霊山」の「霊水」の効能は凄まじいと聞きますからね。その「霊水」が常に湧く「霊山」近くで住んでいたら、流行病とかは関係ないですものね」


「いや、私も小さい頃は流行病に罹ったみたいですから、まったく関係ないわけではないと思いますけど」


「そうなのですか?」


「ええ。そうみたいです。……ただ、ベティちゃんよりも幼い頃だったので、詳しくは覚えていないのですけど」


「ですが、少なくともアロン熱の被害には遭っていないのですよね?」


「ええ。それは間違いなく」


「であれば、やはり「霊水」の加護があったということでしょうね。もしくは守り神のような存在ですか」


 守り神という言葉で思いついたのは、「古き神」の存在。山頂のお社では結局姿を確認することはできませんでしたが、なにかしらの存在が奉られているということはわかりました。レンさん曰く「霊水」の元であるエリクシルが自然に生じるほどの魔力を持った存在がいるということでしたが、それがいったいどういう存在なのかまではわかりませんでした。


「とにかく、うちの地域ではまるでアロン熱のことは知られていませんでした」


「信じられないことですが、嘘を吐いているようには見えませんね」


 言葉通り信じられないという顔をされていましたが、シスターは再び訥々と語りアロン熱のことを教えてくれました。


 曰く、アロン熱とは突如として流行った病で、致死率が高いものだったそうです。その主な症状は最初に咳き込むようになり、その次に高熱を発し、最後には昏睡し続けるというもので、死亡した方々はみな最期は眠りながら息を引き取ったそうです。


 発症の原因はなにもわからず、そのため有効な手立てはなにも確立されないまま、ただ手をこまねくことしかできないままだったそうです。


 でも、そのアロン熱はある日急に感染しなくなったそうなのです。発症も唐突でしたが、その流行が終わるのもまた唐突だったというのがシスターの談です。


 死者は首都だけでも数千人規模。王国全土であれば、万単位の死者を出した恐怖の感染症。でも、その感染症がある日を境にぴたりと止まったというのもおかしな話です。そもそもなんの手立てもできないほどに、急にそんな感染症が流行したこと自体がおかしい。おかしいけれど、実際にアロン熱の流行が収まったことは事実ですし、不思議なこともあるものなんだなぁとしか言いようがありません。


「そのアロン熱にトゥーリア殿下が罹ったということでしたが」


「ええ。陛下が王位継承者として正式に発表され、そのお祝いとしてトゥーリア様がお城の前で演説をなさったのです。当然、アロン熱の対策として私たち住民を遠くに離したうえでの演説だったのですが、その最中、トゥーリア様は急に胸を押さえられ、そのまま咳き込まれたのです。それは誰がどう見てもアロン熱の症状そのものでした。姉君の突然の発症に陛下は呆然とされていましたね。そこから先はあっという間でした」


 目を伏せるシスター。その言動でトゥーリア殿下がどうなったのかはもう考えるまでもありませんでした。


「……まだ幼いお歳だったのに、そんな残念なことに」


「え?」


「え?」


 目を伏せられていたシスターが、不思議そうに首を傾げられました。


「あの、トゥーリア様はまだご存命ですよ?」


「え? でも」


「いまは昏睡状態に陥っておられるようですが、奇跡的にそこで止まっているとのことです。快復の兆しはまだみたいですが、いまのところ病が進行しているということはないようです」


「そう、なんですか?」


「ええ。ですが、いつお目覚めになるのかもわからない状況であることには変わらないですし、もしかしたらという可能性も否定しきれないとのことです。それでも陛下は姉君が目覚められるのを待ち続けておられるんです。必ずやまた目覚めてくれると信じておられているのです。対価を払われながら」


「対価、ですか?」


「ええ。トゥーリア様の快癒のためにエルヴァニアに医療技術の提供をしてもらっているのです。その対価としてエルヴァニアに年間で金貨一千枚を払われているそうですが」


「金貨一千枚」


 想像もできないほどの大金でした。


 それだけの大金を支払ってでも、国王様はトゥーリア殿下の快癒を願われているということなのでしょう。麗しい姉弟愛ですね。


「でも、それだけの大金を支払える余裕は」


「……そうあるわけではないよ。それでも余は支払わなければならんのだよ」


 金貨一千枚を支払い続ける。それだけの余力があるのかと思っていると、不意に食堂の扉が開きました。その扉を開けたのは誰でもない、件の国王様でした。国王様は常に浮かべられている笑みを消され、とても真剣な面持ちでした。


「どんな犠牲を払ってでも、余は取り戻さなければならぬのだ。そうしなければならぬのだ」


 国王様は淡々とですが、強い意志の籠もった声ではっきりとそう口にされたのでした。

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