rev2-22 心と体を揺さぶられて
「──とまぁ、ざっとこんなものかな? 私の父祖たちが丹精込めて作り上げたこの街はいかがだったかな?」
街を周回し、馬車はゆっくりとした速度でお城へと向かっていた。
国王様は自慢げに胸を張られていました。
なんだか、お気に入りの玩具を自慢しているように見えてしまって、つい笑いそうになってしまう。
「む? アンジュ殿、なにやらおかしそうなものを見るような目をされておられるが、なにかあったかな?」
笑わないようにしていたつもりだったのだけど、国王様をごまかすことはできなかったみたいです。
国王様は若干不満げに私を見られました。睨まれてはいないのですが、それに近い視線でした。まぁ、敵意のようなものはなく、ただ不満そうにされているだけということなんですけどね。
そんな国王様の視線を浴びつつ、どう答えるべきかなと考えましたが、下手に取り繕うよりかは素直に伝えた方がましかなと、思ったことをそのまま伝えました。その言葉にイリアさんが「あなたって人は」と重そうに頭を押さえられました。ルリさんは「大物よなぁ、アンジュ殿は」と笑っていました。ベティちゃんは「よなぁ」とルリさんのまねをしていて、とてもかわいかったです。レンさんは「……おまえ、無礼にもほどがあるぞ」と呆れていましたね。そして当の国王様はというと──。
「ふむ。玩具を自慢にしているみたい、か。ははは、たしかに間違えていないな。言い方はだいぶ悪いが、余にとってみればこの街はたしかに玩具のようなものではある」
「え?」
──国王様はまさかの肯定をされたのです。そのお言葉に、思いもしなかった一言に返答ができなくなってしまった。けれど国王様はそんな私を見て、楽しそうに笑われてからこう言われました。
「玩具は玩具でも、代々継承してきた、家宝のような玩具だ。区画ひとつひとつにはいろんな想いが込められている。ひとつの条約のために新しく切り開かれた区画もあれば、その逆にまるごと潰すことになった区画もある。どの区画にもそこに住まう人々の営みがあり、日々抱く想いがある。その想いをあえて踏みにじらねばならないこともある。人の心は役人にも余にもある。我らは役人という生物でも、王という名の生物でもない。我らもまた人の子である。ゆえに踏みにじられる側がどういう想いなのかはわかる。それでもやらねばならぬこともある。1を切り捨ててでも10を活かす。為政者というものはそうしなければならない存在であるのだ」
国王様の目はどこか遠い。
この若さでも、筆舌したがいことを経験されたことがあるのでしょう。それこそ罵声を浴びせられたことが。それでもやらなきゃいけないことがあった。踏みにじらなければならないことがあった。この首都に住まう人々のすべてを背負う。それはその人たちからの怨恨も含まれているということなのでしょう。
……とてもではないけれど、私にはまねできないことでした。私自身が王様になることはないけれど、その伴侶として支えることだってできそうにはなかった。
それほどの重たいものを背負わされる人を支えるなんて、私にはとてもではないけれど──。
『ふぅん? 私は旦那様が王様になっても支えられるけどね?』
──そんな覚悟も自信もない。そう思っていると、どこからともなくお姉ちゃんの声が聞こえました。あまりにもいきなりすぎて咽せてしまいそうになりましたが、どうにか自分を抑え込みつつ、いきなり声を掛けてきた常識知らずな姉に文句を言うことにしました。
『いきなりすぎるってば、お姉ちゃん!』
『だって暇だったんだもん。それにちょっと腹立たしいこともあったしぃ』
『腹立たしいこと?』
お姉ちゃんの声にはいくらかの棘があった。なんというか、ヤキモチを妬かれているような気がしますね、はい。なんでしょうか、お姉ちゃんも王子様みたいな人に口説かれたかったとかそういうことですかね?
『私にとっての王子様は旦那様だもの。あの人以外の王子様なんて私はいらないし、欲しくもないもの』
『さいですか』
はっきりと言い切るお姉ちゃん。本当にどれだけレンさんのことが大好きなんでしょうかね、この姉は。まぁ、それはレンさんにも同じことが言えるんでしょうけど。レンさんはレンさんでお姉ちゃんが大好きみたいですし。まぁ、お姉ちゃん一筋ではないというのがなんとも言えませんけど。
『そんなお姉ちゃんの王子様である旦那様を、欠片も色気のない妹が本格的に寝取ろうとしているのが、お姉ちゃんはとっても腹立たしいのです』
『誰が欠片も色気のない妹ですか! 失礼にもほどがあるでしょう!?』
『だってアンジュは胸もないし、腰は太いし、お尻だけが大きいだけだもん』
『ちょっと! それを言ったらもう戦争しかないでしょう!?』
言って欲しくないことを言われてしまいました。
たしかに私には胸など欠片もありません。腰周りだって他の人よりかはいくらか太めかもしれません。お尻はたしかに大きいです。
でもね。そんなことを、あからさまなコンプレックスをいきなり突いてくるとか、誰がどう考えても宣戦布告としか思えませんよね。むしろ戦争しかありませんよね。そうですよね。
『戦争しかないと言われてもねぇ。色気勝負だったら私の圧勝は確定だからなぁ。戦争もなにもないよ。ただ蹂躙するだけじゃない?』
見下すようにお姉ちゃんは言ってくださいました。ぐうの音も出ないほどに畳みかけてくれたとも言いますね。
『なんなんですか! 妹をいじめた楽しいんですか、お姉ちゃんは!?』
『うん、楽しいよ。だってお姉ちゃんから最愛の人を寝取ろうとする性悪妹を懲らしめるのは、とっても、とっても楽しいもの』
ふふふと妖しい笑い声を上げるお姉ちゃん。ですが、いまはそのことよりもです。お姉ちゃんが散々言っている一言がよくわからなかった。
『寝取るってなんのことを言っているんですか?』
『……それ、本気で言っている?』
ぞくっと背筋が震えた。
お姉ちゃんが本気で怒っているというのがわかる。その怒気に私の体は大きく震えてしまった。
「いかがした、アンジュ殿」
体を震わせた私に国王様は驚いているみたいでした。それは国王様だけではなく、馬車の中の他の人たちも同じ。ただひとりレンさんだけはなぜか居心地が悪そうに目を逸らされていました。
「……気のせいだよな。なんだかカルディアが怒ったときみたいな空気を感じたんだけど」
よく見るとレンさんの目の下辺りが若干青いような。……おそらくは何度かお姉ちゃんのお叱りを受けたことがあるんでしょうね。レンさんって意外と尻に敷かれるタイプのようですね。まぁ、奥さんが強い方が夫婦関係は長続きしやすいとどこかで聞いたことがありますから、ある意味理想的な関係なのかもしれません。レンさんの苦労が偲ばれますが、それはそれ、これはこれですので。
「なんでもないです。昨日ちょっと夢見が悪かったので、それを思い出しただけですから」
「左様か。だが、あまり無理はなさらぬように」
「はい、お心遣い感謝いたします」
国王様にお辞儀をしつつ、私は頭の中でお姉ちゃんに問い返しました。
『……本気で言っているって言われましても』
『心当たりがないって言いたいの?』
お姉ちゃんの声に抑揚がなくなっていく。喉がごくりと鳴った。それでもお姉ちゃんは重圧を掛けるようにして淡々と続けていく。
『キスマークをこれみよがしに付けられたくらいで、調子に乗っているでしょう、アンジュは』
『キスマーク?』
『首筋のそれ。旦那様に付けられたからって調子に乗っちゃダメなんだから』
「え?」
思いもしなかった一言に私は実際に声を出していた。その声に国王様たちが思い思いに声を掛けてくださるけれど、私には答える余裕はなかった。
『これって虫刺されじゃ』
『そんなわけないじゃない。昨日の夜に旦那様がつけたんだよ。どうせアンジュが夜這いに来てとか言ったんでしょう? 何度も言うけれど、旦那様はお姉ちゃんの──』
お姉ちゃんが言い募っていくけれど、もうその声をまともに聞くことはできなかった。私にできたのは虫刺されだと思っていた痕をなぞることと、その痕を刻みつけたのが他ならぬレンさんだというお姉ちゃんからの衝撃的な一言に動揺することだけ。
(いったいなにがどうなっているの?)
状況がまるで理解できない。理解できないまま、私は痕をなぞりながら視界の端に映るレンさんを見つめていた。
そんな私の心情を無視するように馬車は進んでいく。
特有の振動に、半日ほどで慣れてしまった振動に体とともに心を揺さぶられながら、私は困惑の中に陥っていくのでした。




