Act1-57 お邪魔虫、ふたたび
「頼もう!」
執務室で、ある程度仕事を終わらせると、勇ちゃんがいきなり執務室へと突撃をかましてくれた。
それはちょうどアルトリアと簡単な朝食を取ろうとした矢先だった。
アルトリアが食堂から持ってきてくれた、日替わり定食を、来客用のテーブルに配膳し終えたのと同時に、勇ちゃんは執務室に入ってきた。
ちなみにその日の日替わり定食は、ベーコンエッグとサラダにトーストという、いかにも洋食スタイルの朝食だった。
まぁ、ベーコンエッグと言っても、ベーコンは、オーク肉で作ったベーコンで、卵はクルッポという鶏のような魔物の卵で作られていた。
サラダとトーストは、地球のそれとさほど変わらない。
そう、さほど変わらない。ただサラダに使われているレタスが、緑色ではなく、赤紫色という毒々しい色をしているくらいだ。
が、味は地球のレタスとさほど変わらないので、見た目さえ乗り越えられれば、なんの問題もない。
トーストは特に問題はない。見た目も味も地球のものと同じだった。
異世界ものの定番では、パンは基本的に黒くて硬いというイメージだったけれど、この世界では、パンは地球のパンと変わらない、白くて柔らかいパンなので、黒くて硬いパンじゃなくてよかったと、心の底から思えた。
とにかく、その日の朝食を二人分アルトリアに持ってきてもらった矢先に、勇ちゃんが執務室に乗り込んできた。なにか急ぎの用かと思ったが、勇ちゃんはただニコニコと笑っているだけだった。
「えっと、なんの用かな? 勇ちゃん」
「カレンちゃんにひと言言いたくて来ました」
「俺に?」
「そう、カレンちゃんにです」
なぜか敬語を使って、俺を見やる勇ちゃん。
その言動はどこかおかしなものだったけれど、どうおかしいのかと言われても、答えようがなかった。
ただ、うん、明らかにおかしいことはわかった。
どこがどうと言われても、答えようはないが、とにかくおかしかった。
そんな勇ちゃんを尻目に、アルトリアの隣に座って、朝食を食べていく。
来客用のテーブルに置かれたのは、二人分のベーコンエッグとサラダとトーストが置かれたワンプレート。
食事担当の職員が気を使ってくれたのか、アルトリアが頼んだのかはわからなかったが、ワンプレートに二人分の朝食が載せられていた。
まぁ、アルトリアひとりで持って行くのだから、ひとつのプレートに収まるようにするのは、ある意味当然の配慮と言えるかもしれない。
加えて、職員たちや冒険者たちの間では、俺とアルトリアは公認の夫婦になっているから、同じ皿の上に載せているということなのかもしれない。
どちらにせよ、ありがた迷惑なことだった。
なにせ添えられたナイフとフォークはひとり分だったし、飲み物はミルクコーヒーだったのだけど、やはり一人分しかなかった。
ちなみに俺は紅茶が好きだけど、コーヒーも好きだ。ただブラックは苦手だ。
アルトリアもブラックは苦手らしく、基本コーヒーにはどばどばとミルクを注いでいる。
俺もコーヒーにはどばどばとミルクを注ぐ派なので、そういうところは気が合う。
問題なのは、どうしてナイフとフォーク、そしてコーヒーが一人分ずつしかないのかということ。
だいたいの予想はできていたけれど、それでも聞かずにはいられなかった。
「なぁ、アルトリア」
「少々お待ちください、ギルドマスター」
アルトリアはナイフとフォークで、ベーコンエッグをひと口大に切ると、俺の口元にまで運んでくれた。
「どうぞ、ギルドマスター」
「……はいはい」
差し出されたベーコンエッグを咀嚼する。
オーク肉のベーコンは、地球で食べるベーコンと変わらない。
むしろオーク肉のベーコンの方が、美味しいとさえ感じられた。
クルッポの目玉焼きも、鶏の卵で作るものよりも、いくらか淡泊ではあるけれど、後を引く。
「美味しいですか?」
恐る恐ると、アルトリアが尋ねてくる。
なんで尋ねてくるのか、いまいちわからなかったけれど、とりあえず美味しいよと言ってあげると、胸の前で指を組んで、嬉しそうに笑ってくれた。
アルトリアの指はよく見れば、傷だらけだった。
止血はしてあったが、刃物で切った痕や火傷をしたような痕があった。それは執務室を出るときにはなかったものだった。
「……アルトリアが作ってくれたのか?」
状況から察する限り、それ以外に考えられなかった。
思えば、アルトリアが帰ってくるまでに、少し時間がかっていたけれど、混んでいるんだろうなとしか考えていなかった。
それがまさかの手作りとはね。アルトリアは恥ずかしそうに頬を染めたけれど、たしかに頷いてくれた。
「ギルドマスターに、昨日はご面倒をおかけしてしまいましたから。私が我慢できなかったばっかりに、「旦那さま」にご負担をおかけてしてしまったので、せめてものお詫びと思ったんです。ちょっと失敗しちゃいましたけど、頑張って作った甲斐はありました」
頬を染めて、コメントを待つアルトリア。
そんなアルトリアになんて言えばいいのか、俺にはわからなかった。
いや、なんというか、こう、ショックではなく、衝動とでも言えばいいのか、もしくは感動かな。
アルトリアが俺のために食事を作ってくれた。つまりは嫁の手作り料理。
たとえ簡単に作れるものであっても、嫁が愛情をこめて作ってくれた料理は、格別な味がする。そう、毅兄貴は言っていた。そしてその意見には、俺も同感になった。
「……もう一度頼む」
「はい」
アルトリアは静かにベーコンエッグをひと口大に切り分けると、食べさせてくれた。
口の中に広がる味は、さっきと同じ。でも脳内補正がかかり、さっき以上に美味しく感じられた。
「うん、美味い。アルトリアの気持ちがこもっているからかな」
「……はい、たっぷりと込めています。「旦那さま」への想いをいつもの倍は込めていますよ」
「そっか」
「はい」
短い会話を交わしていると、アルトリアがそっと肩に頭を乗せてきた。
それからおもむろに、もうひとつのベーコンエッグをひと口大に切り分け、俺が使ったフォークでみずからの口に運び、咀嚼した。
フォークを咥えながら、上目遣いで俺を見上げるアルトリア。
紅い瞳は濡れていて、期待に満ちた目をしていた。
ごくりと喉が鳴り、アルトリアが咥えていたフォークを掴み、そっとテーブルに置く。
アルトリアの顎を、いわゆる顎クイをして、俺の方へと向けさせた。
アルトリアがまぶたをそっと閉じた。顔をゆっくりと近づけていった。
「おっほん!」
いきなり咳払いが聞こえた。見れば、勇ちゃんがとてもいい笑顔で俺たちを見つめていた。
「どうしたの、勇ちゃん? いつからそこに?」
「さっきからいたよ!? 言いたいことがあるって、言ったばかりでしょう!?」
「ああ、そういえば」
アルトリアが最優先だったから、ついつい忘れていた。
ごめんごめんと謝りつつ、アルトリアの肩に腕を回して、抱き寄せた。
アルトリアが小さく声をあげたけれど、無視した。
なんでそんなことをしたのかは、俺自身よくわからなかったけれど、なんとなく、アルトリアと少しでも距離が開いているのが嫌だと思った。それだけの理由だった。
「……なに、この砂糖を吐きたくなるような光景。アルゴとクリスティナよりもひどいんだけど」
「さすがにあの万年新婚夫婦ほどではないよ」
「いや、よりひどいです」
きっぱりと言い切られてしまった。
そんなにひどいかなぁと思うけれど、ふたりの被害者と書いて、同じパーティーメンバーと読む勇ちゃんが言うのであれば、そうなんだろう。納得はいかないけれど。
「まぁ、いいや。それで勇ちゃんはなにをしに来たのさ?」
「あー、まぁ、うん。哀愁を漂わせるアルっちに、カレンちゃんとアルトリアちゃんがいちゃつくのを止めてくれと頼まれたから来たんだよ。ひどいよね、ふたりは。俺やアルっちのような独り身の男性を苦しめるようなことを平然と!」
ぎりぎりと歯を噛みしめながら、勇ちゃんはそんなおバカなことを言い出した。
言いたいことがあると言ったから、どんなことから思ったら、まさかの嫉妬だったとは。
ただその嫉妬を、アルっちことアルーサさんの分も買ってしまっていたようだった。
アルっちがアルーサさんのことであるのは、哀愁を漂わせたというひと言でわかる。
どうやら俺とアルトリアのやりとりは、アルーサさんと勇ちゃんにとっては、不快なもののようだ。
別にこれくらいいと思うんだけどなとは言えない。言ったら、アルーサさんと勇ちゃんが、闇にとらわれてしまいそうで怖いし。
「善処するよ」
「いや、する気ないよね? カレンちゃん」
勇ちゃんが呆れている。俺は特になにかをした憶えはなかった。
ただ抱き寄せたアルトリアを抱き締めてあげただけだ。
アルトリアは、頬を染めながら、幸せそうに笑っている。
うん、深雪の肌が、赤く染まるのは、とてもきれいだ。
夜だとより一層きれいになる。うん、アルトリアはいつでもきれいで、本当に俺にはもったいない。
「おーい、そこのバカップル。ふたりの世界に入るなぁ」
勇ちゃんがなにかを言っているが、無視をした。
大事なのは、アルトリアをじっと見つめること。
うん、これだけで、十分お腹いっぱいになりそう。けれどアルトリアが作ってくれた朝食をそのままにしておくわけにはいかない。
「食べさせてくれる? アルトリア」
「……はい、「旦那さま」」
腕の中でアルトリアが笑った。その笑顔は凶悪なほどにかわいくて、ついついソファーに組み伏してしまった。
アルトリアの細い両腕がそっと背中に回され、アルトリアに顔を近づけようとした。
「だから、いい加減にしろよ、このバカップルぅ!」
勇ちゃんの叫びが、執務室にこだました。
おまえのどこがノンケだ、と言われそうなカレンさん
ここまで来たら、ノンケとは言えませんね。




