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rev2-8 家族

 シスター・アルカの背中を追う形で、孤児院の廊下を歩いて行く。


 もともとは使われなくなった教会を利用しているそうだったけれど、それにしてはかなりきれいだった。埃ひとつなく、当然ゴミさえも落ちてはいない。


 廊下にはところどころに「家の中はきれいにしましょう」という張り紙が貼られていた。それも大人の字ではなく、子供が書いたような丸っこい字だった。


「かわいらしい字ですね。子供たちが書いたのですか?」


「ええ。以前は私や院長先生が書いていたのですが、ここに移り住んでからは子供たちに書かせることにしているんです。字の勉強にもなりますし、それを書くことで自他ともに守るようになったんです」


「仕事を任せることで、それに対する認識をあげるってことですか」


「ええ。アルクが提案したんですよ。言い聞かせるんじゃなくて、自分から進んでするようになるには、仕事を任せるのが一番だって。それも無理矢理させるのではなく、自分の身になるようにする形がいいって」


「……なるほど」


 なんとなく目に浮かんだ。


 アルクがシスター・アルカに対して提案する姿が。たぶん、胸を張りながらこれみよがしに言っていたんだろうな。実にアルクらしい姿だ。


「ふふふ」


 実際に見たわけでもないのに、つい笑ってしまった。実弟だと知るまでは、チャラい奴だとしか思っていなかった。頼りになるっちゃなるけれど、その評価を持ち前のチャラさが台無しにしているというのが俺の中での最終評価だった。


 それが実の弟だと知ると、掌返しになってしまうのだから、俺はやっぱり家族には甘いのだろう。


「……レンさんはアルクとはどういうご関係ですか?」


 不意にシスター・アルカが立ち止まって、俺をじっと見つめてきた。その目はとても真剣なものだった。


「どういう、とは?」


「そのままの意味です。さきほども言いましたが、あなたとアルクは不思議と似ている気がするんです。髪の色も違うし、瞳の色だって違っている。でも、雰囲気がとてもよく似ている。あの子そのものだって思えてしまうんです。どうしてそう思うのかが私自身でもよくわからない。それこそまるであの子が昔言っていた夢物語みたいにって」


「夢物語?」


 初耳だった。


 アルクが昔夢物語と言われるようなことを口にしていたなんて、本人の口から聞いたこともなかった。アルクが弟だと知ったのは、あの霊山での戦いでだったから、あのさなかでそんなたわいもない話をできる余裕なんて欠片もなかった。俺が知らないというのも無理もないし、アルク自身昔口にしていた内容を、夢物語と揶揄されるような内容をわざわざ口にするわけもない。冷静に考えてみれば、知らないのも当然だった。


「……あの子は昔よく言っていたんです。「俺にはここにいるみんなとは別に、本当の家族がいるんだ」って」


「本当の家族」


「ええ。「会ったことはないけれど、きっとすごく優しくて暖かいんだと思う。もちろん、みんなも優しくて暖かいから大好きだけど」って。あの子よく言っていました。そんなあの子には院長先生や兄さん、姉さんたちも困りながらも笑って聞いていましたよ」


 シスター・アルカは口元を押さえて笑っている。性別は違うのだけど、笑顔は弟であるアスラさんとよく似ていた。もっともあの人はあの人で所業柄なのか、あまり笑うことはなかったのだけど、ふとしたときに見せる笑顔は人懐っこそうなものであり、それと似た笑顔をシスター・アルカは浮かべている。姉弟としての繋がりをたしかに感じられた。俺とアルクとは違って。


「まぁ、そのこと自体は別に問題はなかったんです。だって孤児院にはそんな妄想を口にしてしまう子も多かったですから。孤児になったという現実を受け止めきれずに、自分の殻に閉じこもった結果、そんなありえないことを口にしてしまう子というのはどうしても出てきてしまいますからね」


「そう、なんですか」


「ええ。特に親を喪ったばかりの子には、その傾向が強いです。いまもそういう子は何人かいます。アルクもそういう子のひとりだとみんなからは思われていました。私もそう思っていました。ただひとつ、ほかの子とは違うことがありましたが」


「違うこと?」


「笑っちゃうことなんですが、あの子ってば、「俺は母神様の息子だ」って嘯いていたんですよ? 時折孤児院に訪問してくださっていた司祭様は「こんなに幼いのに、こんなにも敬虔な信者とは珍しい」とお褒めくださっていましたが、あの子の場合は信者というわけではなく、本気で自分が母神様から産まれた子供だと言っていましたよ。そのことに関してだけは、誰もが夢物語だと言っていましたねぇ」


 懐かしそうにシスター・アルカは語ってくれた。その内容に俺はなにも言えなくなってしまった。


(子供の頃から母さんの、母神スカイストの息子だってわかっていたのか)


 俺とはまるで違っていた。ひとり異世界に取り残され、実の家族のことを知っていて、そして自分が神子であることを自覚していたなんて。俺とはまるで違う境遇だった。


 それでもすれることなく、アルクはまっすぐに育ってくれた。そして誰もが認める勇者になった。まさに自慢の弟だった。


「……レンさん。アルクは本当に神子だったんですか?」


「……仰っている意味がわかりかねますね」


 いきなりシスター・アルカは踏み込んできた。いきなりすぎて身構える余裕もなく、できうることははぐらかすことだけだった。だけど、シスター・アルカは追撃を放ってくる。


「……お答えされないということは、そういうことなんでしょうか?」


「……どうしてそう思われるので?」


「……似ているから、です」


「誰と誰が?」


「あなたと母神様がです」


 思ってもいなかった一言が返ってきた。


 俺と母さんが似ている。それは昔からわりと言われていたことだ。中身はまるで違うのだけど、顔つきや性格はわりとそっくりだと昔から親父や兄貴たちには言われてきていた。それをまさかこの世界で、それも母さんと直接会ったこともないはずのシスター・アルカに言われるとは考えてもいなかった。


「……私と母神様が、ですか?」


「ええ。むろんお会いしたことなど一度もありません。けれど、聖書に描かれたお姿や教会に置かれるブロンズ像を見ていると、不思議とあなたに似ている気がするのです。同一人物だとまでは言いませんが、よく似ているなぁって思うんです。それこそ親子みたいに」


「……」


「そしてあなたとアルクもまた似ている。それこそあの子が言っていた実の家族であるかのように、です。それらを踏まえると、あの子が言っていた「母神様の息子」という夢物語は事実で、そして「実の家族がいる」ということも事実なんじゃないかって。そしてそれはあなたも同じなんじゃないかって思うんです」


 シスター・アルカは問いかけているわけじゃなかった。ただ事実を確認しようとしているだけだった。彼女の中ではもう俺とアルク、母さんは繋がって考えられているようだ。


「……仮にそうだったとしたら、どうしますか?」


「別になんとも。たとえあなたたちがどういう繋がりであったとしても、私にとって、いえ、私たちにとってアルクは家族です。勇者になった自慢の家族です。それはあの子がどういう存在であろうとも決して変わりません」


 シスター・アルカは力強く言い切ってくれた。本当にアルクを家族として大切に思ってくれていることがわかる。


(……なんだよ、ちゃんと家族がいるんじゃないか、アルク)


 アルクはどこか孤独を背負っているように俺には見えた。その孤独を隠すようにチャラい風にしていたんだろうといまは思っていたけれど、それは勘違いだったのかもしれない。あいつにはちゃんと家族がいた。実の家族とは別に、ちゃんとした家族があいつにはいた。それが姉としてはとても嬉しく、誇らしく思えた。


「恵まれていたんだな、アルク」


 思わず口にした言葉とともに涙がこぼれた。アルクはまだ生きているかどうかはわからない。それこそ死んでいたとしてもおかしくはない。その人生が幸せだったのかもわからなかった。でもシスター・アルカの言葉で家族に恵まれていたということはわかった。それがただただ嬉しかった。


「……レンさん、あなたはやっぱり」


「……立ち話も疲れましたね。そろそろ移動しませんか?」


「え? あ、そうですね。すみません」


「いいえ、お気になさらずに」


 俺がアルクの姉だと言うことは簡単だった。


 でも、いまの俺は「カレン」じゃない。いまの俺は「レン」でしかない。「カレン」と「レン」は別人だ。すなわち「レン」はアルクの姉ではない。だからアルクの姉だと言うことはできない。「カレン」に戻るその日まで、俺がアルクの姉であることを口にするつもりはない。


 言葉ならずともその意思を感じ取れたのか、シスター・アルカは素直に引き下がってくれた。でも、もう彼女の中では俺とアルクの関係は定まってしまっていることは確定だ。あえて否定はしない。でも肯定もしない。いまだけは、「レン」でいる間は肯定するつもりなどなかった。そのことを感じ取り、引き下がってくれたシスター・アルカには感謝しかなかった。弟を家族として愛してくれていることも含めて。


「話が逸れてしまいましたが、例の方はいまアルクの部屋で過ごされています。正確にはアルクの部屋しか空いてなかったんですが」


「アスラさんの部屋は?」


「アスラの部屋は私と同じ部屋なんです。正確には仕切りを使って別々の空間にはしていますが、実際は同じ部屋です。私とは構わなかったんですが、さすがに知らない私と同じ部屋というのはあの方も落ち着かないかなと思ったので、空いている部屋はアルクの部屋だけでしたので」


「なるほど」


「それがあちらの突き当たりの部屋となります」


 シスター・アルカが指差したのは突き当たりの部屋だった。他にも部屋はあるようだけど、ほかの部屋とあまり大きな違いはなかった、勇者とはいえ、家族であることには変わらない。だから扱いも変わらないということなんだろう。


「……積もる話もあるでしょうから、私はここでお待ちしています」


「……ありがとうございます」


 お礼を言ってシスター・アルカと離れ、突き当たりの部屋を目指し歩く。考えることはあまり多くない。それでも構うことなく、歩き続けて、そして──。


 ──コンコン


 軽く部屋をノックした。すると人の動く気配がして、ドアがゆっくりと開いた。


「シスター・アルカですか? なにか──」


「お久しぶりですね、クリスティナさん」


 ドアが開いた先にいたのは、アルクのパーティーメンバーだった魔導師のクリスティナさんだ。クリスティナさんは驚いたように「その声は」と恐る恐ると俺の名前を口にした。


「カレン、さん?」


「……ええ。おひさしぶりです」


 俺は静かに頭を下げた。クリスティナさんは信じられないものを見るように俺を見つめていた。

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