rev2-5 背負った背中
街中で偶然出会った男の子が、国王様だった──。
そんなお話の中でしかありえないことが、現実に起こってしまった。あろうことか、その国王様の頭を、なにも知らなかったとはいえ、私は撫でてしまった。気が遠ざかるのも無理もないことでした。
「どうかしたかな? 美しい人」
国王様は小首を傾げながら、なんとも純真なお顔で私を見上げられていました。純真そうなお顔立ちだけを見ると、10歳前後の男の子にしか見えません。そう、村にもいる、ちょうどやんちゃ盛りな子にしか見えない。
たとえ、ここがコサージュ村ではなく、首都アルトリウスだったとしても、10歳前後の子がやんちゃ盛りであることには変わらない。その男の子が「自分は国王だ」と嘯いたとしても、優しく言い聞かせることが重要だと私は思ったのです。
いくらなんでも見ず知らずの男の子が、「国王だ」と自称したところでいきなり頭を叩くのはやりすぎです。それは親御さんの役目であって、見ず知らずの他人である私がするべきことじゃない。
私ができることと言えば、国王を自称するという大それたことは、いや、恐れ多いことはあまり口にしない方がいいと注意することだけ。それ以上のことは親御さんが言い聞かせればいい。
だからこそ、優しいお姉さんとして、そう、美人で優しいお姉さんとして男の子の頭を撫でながら諭してあげたのです。その結果、「初恋奪っちゃったかぁ、テへ」となってもそれは大人のレディーに与えられた特権なので、仕方がないことだと思えるのです。そう、お話の中にもあるような「10年後にまだ私のことを好きでいてくれるなら」と言える状況に持って行くこともできた。
とはいえ、勘違いしてほしくないのですが、私は年下の子が好きというわけではありません。2歳くらいであれば年下の子を相手にしてもいいとは思いますが、さすがに5、6歳も年齢が違いそうな子を相手にするのは無理です。中にはそういう年齢がいろんな意味で大好きな女性もいらっしゃるにはいらっしゃいますが、残念ながら私にはそういう嗜好はありません。あくまでもノーマルなのです。できれば、同年代くらいの男性と知り合いたいのです、私は!
たとえ、10年、いや、5年後には大化けしそうな将来有望そうな男の子だったとしても、現時点では恋愛対象にはならないのです。その男の子の初恋を奪ってしまう罪な女になってしまったとしても、現時点では恋愛対象にはできない。その男の子が年相応な精一杯の迫り方をしても軽くいなしてあげるのが大人のレディーとしてのあり方だとそう思うのです。
だというのに。そういう風に持って行こうと決めていたというのに! なぜ! 人生というのはままならないのか!
なんで! 国王様を自称していた男の子が、本当に国王様なのか! そもそもなんで国王様が普通の男の子みたく街中を歩いているのかが理解できません! 普通、国王様っていえば、もっと華美なお召し物を身につけられているべきでしょうに! なんで大量生産された安物の服を身につけているんですか! というか、それどこで手に入れたんですか! そしてなによりもそんな当たり前のように街中に溶け込まないでください! そう言いたい。言いたいけれど、言ったらそれはそれで問題しかありませんので、私はなにも言うことができなくなりました。
「……本当にどうされたのだ? 美しい人よ。余、ああ、いや、この状況では私の方がいいかな? うむ、私は別に怒ってはいないのだ。単純にあなたのお名前を知りたいだけなのだ、美しい人よ」
国王様は怪訝そうなお顔をされていましたが、すぐに穏やかに笑ってくださいました。しぼ萎えた花が、一気に開花したように周囲が華やかになったかのようでした。ただ、残念なことに国王様はあくまでも10歳前後のご年齢であるということ。もし私と同年代であれば、心を奪われていたかもしれないと思うほど、国王様の笑顔は輝かしいものでした。
「あ、えっと、私は名乗るような者では」
「そんなことはない。この街の出身者ではないことを気にされているかもしれないが、そのようなことは些細なもの。庭園で管理された花だけが美しいわけではない。野に咲く花もまた美しい。あなたはそんな美を体現したような方だ。その方の名を知りたいと思うことは罪ではない。転じれば、私に名を告げることもまた罪ではない。ゆえに名前をお教えいただきたい」
国王様は私の右手をおもむろに取ると、右手の甲にそっと口づけられました。なんともキザであるのに、嫌みが一切ないのがすごいです。顔に熱が堪っていくのがわかりました。
「え、えっと、私は、アンジュです」
「アンジュ。うむ、とてもよい名だ。まるで天使様のようであるな」
ニコニコと笑う国王様。キザなことをされたというのに、笑顔はとても純真でとても卑怯でした。
「て、天使様って」
「むろん、本当の天使様と言っているわけではない。だが、私の目にはあなたは天上の美しさを併せ持っているように思える。だからこそだ」
「あ、あぅ」
褒め殺しにもほどがある。そう思わずにはいられない国王様のお言葉に私はなにも言うことができなくなりました。
だというのに、国王様は笑みを浮かべながら、私の手をそっと掴んでいるのです。逃げることさえも許してもらえないという状況に私は追い込まれていました。
「……陛下。あまりからかわれるのはどうかと思われますが?」
イリアさんが呆れたように国王様にお声をかけたのです。お知り合いみたいですが、いくらなんでも国王様にそういうことを言うのはどうかと思いました。ですが、国王様はイリアさんに対して怒った様子は見せませんでした。
「そうかな? 二の姫よ。あ、いや、違うか。いまはなんと?」
「……イリアです。いまの私はイリアと申します。そしてこちらの方が現在の私の主様となります」
そう言ってイリアさんは隣にいらしたレンさんをご紹介していました。レンさんは「そういう紹介は困るんだけどなぁ」とため息を吐かれました。
「お初にお目に掛かります、アルトリウス陛下。レン・アルカトラと申します。この場では正式なものではなく、簡易的な礼となることをお許しください」
レンさんはレンさんで軽くお辞儀だけをしました。さすがに大勢の人が往来する大通りで正式なお辞儀をすることなどできません。それは国王様もご理解していただけているため、「問題はない」と笑って許していただけたようです。
そのあとに、ルリさんとベティちゃんがそれぞれにご挨拶をされました。まぁ、ベティちゃんの場合はレンのまねをして、「ベティですともうします」となんともかわいらしいことを言ってくださいました。そんなベティちゃんの言葉に国王様はおかしそうに笑っておられました。
「さて、いまさらではあるが、そろそろ場所を移そうか。さすがに大通りは人の目につきすぎるからな。行きつけの場所があるので、そちらに行こう。まぁ、店ではなく、孤児院なのだが、構わないかな?」
「孤児院ですか?」
行きつけの店というのであればまだわかりますが、孤児院に向かうというのはさすがに予想外すぎました。でも、国王様の提案を突っぱねるわけにもいかないので、私は問題ありませんとだけ答えました。それはレンさん以外の皆さんも同じでした。でも、レンさんだけはひとつよくわからないことを聞かれていました。
「……陛下。その孤児院は、転院されたものでしょうか? それこそ他国からこの国に異動してきた孤児院とか」
「ああ、そうだよ。とある勇士ふたりが育った孤児院だ。もとはエルヴァニアにあったそうだが、この国に異動しきてきたのだ」
「……エルヴァニアから、ですか」
「ああ、そうだが、それがなにか?」
「……いえ、「英傑の国」と呼ばれるアヴァンシアでも、それも陛下のお膝元でも孤児院があるのだなと思っただけです」
「そうだな。私としても孤児が産まれないように気をつけてはいるが、それでもやはり孤児は産まれてしまうものだよ。こればかりはどうしようもないのさ」
国王様は悲しそうに顔を歪められました。なんとも言えない空気が漂いましたが、国王様はすぐに表情を変えられました。
「だが、いつかは孤児が産まれない国を作りたいな。私の膝元だけではなく、この国全土で民が笑顔を浮かべられるような国を私は作りたい」
国王様は目を輝かせていました。目を輝かせながら国王様は希望を語っている。その希望は無理があるとは思う。でも、その希望を希望のままで終わらせないとその目は語っていた。その姿を見て、この人は本当に王様なんだなぁと思いました。
希望を語ることは誰にもできる。
でも、それはあくまでも希望にしかすぎない。希望を現実にできる人は、本当に限られた人だけです。
そして国王様が語る希望は、国王様にしか現実にはできないもの。いや、国王様だからこそ現実にできる希望でした。
その希望を口にし、現実にしようとする。それができるのは国王と呼ばれる超越者だけ。その超越者がすぐ目の前にいる。思考が止まってしまいそうな現実を前にしながら、私はゆっくりと歩かれていく国王様の背中を見つめることしかできなかった。小さいけれど、とても大きなものを背負った大ききな背中を見つめ続けたのでした。




