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rev1-Ex-3 再会

 水の音がしていた。


 いや、水の中で空気が洩れる音という方が正しいのかもしれない。


 ごぼぼぼぼ、と次々に空気が洩れていく。


 ぼんやりとした意識の中で、私は洩れていく空気を見つめていた。


「──のね」


「──ます」


「──わす」


「──わせ」


 空気が洩れるのを眺めつつも、視界の端には誰かが立っていた。


 なにかを話しながら、私を見つめている。


 いったいなんの話をしているのか。途切れ途切れに声は聞こえるのだけど、詳しい内容まではわからなかった。


 内容はわからないけれど、顔は見えていた。一組の男女が目の前にいる。


 ひとりはプラチナブロンドと言えばいいのか、白みがかった金髪の男性。プラチナブロンドと言うのはこういう髪の色のことなんだろうなと思う。その男性は装飾過多な服を身につけていて、偉い人なんだろう。かなり整った顔立ちのイケメンさんだ。そのイケメンさんはもうひとりの女性に畏まった様子でお辞儀をしていた。


 イケメンさんの隣にいる女性はえらく露出の多い服を、真っ白なローブを身に付けていた。この人も金髪で、やっぱり美人さん。美人さんなのだけど、その表情は美貌に似つかわしくないというか、口元をえらく歪めて笑っているのでかなり邪悪だ。微笑みにすればそれこそ誰もが目を奪われそうなのにもったいないなと思う。


 そんな美男美女なふたりが私の目の前に立っていた。


 話の内容はやっぱりよくわからないけれど、女性の笑みや男性が畏まってお辞儀をしているところを見る限り、女性は男性の上司かなにかなんだろう。その上司が若干、というか、誰が見てもハレンチと断じそうな格好をしているのはどうかと思うけれど、そういう服装が好きな人だっている。人の趣味をああだこうだと言う気にはなれないし、するつもりもない。

 それに露出の多い服というのは、上流階級ではよくある。子供の頃に参加したパーティーでもそういう服を身につけた人はそれなりにいたという記憶がある。


(……どうしてそんなパーティーに参加したんだっけ?)


 記憶はあっても、その理由がわからない。どうしてそんなパーティーに私が参加することになったのか。いくら考えてもわからない。


(私自身、「私」が誰なのか、もうわからないもの)


 そう、私は「私」が誰なのかがわからなくなっている。


 水の中に私はずっといる。


 この水の中に閉じ込められて、どれくらいの時間が経ったのだろうか。


 わかるのは、なにもわからないということだけ。


 自分が誰だったのか。


 どうして水の中に閉じ込められているのか。


 ここはどこなのか。


 いまはいつなのか。


 なにひとつわからない。


 疑問をぶつけようにも、水の檻はその疑問さえも閉じ込めてくれている。


 だから、なにもわからない。


 理解したくてもできない。


 私にできるのは、水の中に閉じ込められ続けることだけ。


 水の中は退屈だった。


 私の周りには水しかなくて、その水の中を動き回ることはできない。体を丸めていることくらいしか私にはできない。体を丸めているのは恥ずかしいと思ったからだ。ぼんやりとしながらも、羞恥があったんだと思う。その羞恥心が体を動かし、丸まるという体勢にまで持って行くことができた。


(体育座りみたいだなぁ)


 いまの体勢を「体育座り」だと思ったけれど、その「体育座り」というのがなんなのかよくわからなかった。……わからないと思うのに、どこかなじみ深いとも思えて不思議だった。

(……苦手だったなぁ)


「体育」というものが私は苦手だった。


「体育」よりも、「家庭科」の方が得意だった。


 特に料理に関しては同年代の子には負けないと言っていいくらいに。


 そんな料理を「かれん」はいつも褒めてくれていた。


「……かれん」


 ごぼっと空気が洩れた。


 すると、目の前にいたふたりが驚いたような顔をしたのが見えた。


「──るの?」


「──すが」


「──こと?」


「──うか?」


「──ょう」


 またふたりはなにかを言っていて、女性が私に向かって手を振った。なんだろうと反応しようとしたとき。


『反応しちゃダメ!』


 いきなり頭の中に声が響いた。


『この声にも反応しないで。そのままでいて、お願い!』


(誰の声だろう? でも、お願いされたなら)


 できるだけ反応しないように女性と男性をぼんやりと見つめたようにする。女性はじっと私の顔を下からのぞき込んでいたけれど、しばらくしてため息を吐いたみたい。


「──然ね」


「──いと?」


「──しら?」


「──んな」


「──さい」


「──意に」


 男性と女性は短いやりとりをした後、私に背を向けてどこかに立ち去っていた。立ち去っていくふたりを眺めていると、また声が頭の中で響いた。


『ようやく行ってくれた。これで一安心だよ、──』


 声は安心したみたいで、さっきまでのような堅さはない。堅さはないけれど、最後になにを言ったのかはわからなかった。


『だれ? どこにいるの?』


『……わからないの?』


『うん。わからない。聞いた覚えはあるのだけど、ごめんね』


 誰なのかをわからないと言うと、声の主はいくらか傷ついたように言った。申し訳ないとは思うのだけど、どうしてもわからないのだから、どうしようもなかった。


『ううん、──は悪くないよ。悪いのは、こうなるのがわかっていたのに、守れなかった私だもん。早く助けたかったのに。助けられずにいた私がぜんぶ悪いの』


 声の主はいまにも泣きそうだった。


 その声にどうしてか胸が騒いだ。


「この子」の泣くところを見たくないって思った。


 抱きしめてあげたいって思った。


 抱きしめて「泣かないで」って言ってあげたい。


 抱きしめたうえで頭を撫でてあげたい。


 さらさらな髪に、指通しのいい髪に触れてあげたい。


 小さな体を抱っこしてあげたい。


 腕の中にすっぽりと納まってくれる体を堪能して、頬ずりもしてあげたい。


 ぴこぴこと動くかわいらしい立ち耳をくすぐってあげたい。


 毛並みのいい灰色の尻尾をブラッシングしてあげたい。


 なによりも──。


『たくさん、たくさん、名前を呼んであげたい』


『え?』


『あなたのことがわからないのに、そう思うんだ。名前をいっぱい呼んであげたいって。無理をさせちゃってごめんねって。ぜんぜん一緒にいてあげられなくてごめんねって。そう言いたいってどうしてか思っているんだ』


 わからないはずなのに、なぜかそう思ってしまっていた。そんな自分が不思議だった。


『……十分だよ、──』


 声の主は嬉しそうに言っていた。反面涙声にもなっているけれど、喜んでくれていることはわかった。いわゆる嬉し泣きということなんだと思う。


『わからなくなっているのに、愛してくれてありがとう。こんなダメダメな私を娘として愛してくれてありがとう、ママ』


「ママ」と声の主は言った。「ママ」という単語のおかげなのか、私の視界は急に広がった。ぼんやりとしていた意識が急にクリアになる。体育座りのまま、顔をあげると、すぐにそばに私と同じようにして体育座りで水の中に浮かんでいる「あの子」がいた。


「……しりうす、ちゃん」


 私の知っている「あの子」とは違う。


 私の知っている「あの子」は、もっと小柄だった。


 5歳児くらいの女の子だった。


 目の前にいるのは私よりも大きい人。20歳くらいの女性。きれいな銀髪とかわいらしい立ち耳とふさふさの尻尾を持った女性。「あの子」ではないのは明らか。


 でも、たしかに「あの子」だ。シリウスちゃんで間違いないと私は断定していた。


『……うん、そうだよ。久しぶりだね、ノゾミママ』


 シリウスちゃんは嬉しそうに私の名前を呼んでくれた。

これにて、第一章はおしまいです。

次回より二章となります。

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