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rev1-76 故郷に別れを告げて

1章ラストです。

 霊山が徐々に遠ざかっていく。


 産まれて間もない頃から、常に見上げてきた御山が、常に寄り添うようにそばにあった御山が遠ざかっていく。


 遠ざかっていくのに、御山はいつも通りだった。


 天を貫くような峻険さ、雪で覆われる地肌の荘厳さ、そして他を圧倒する広大さ。それらはすべて御山を象徴するものです。


 いつもとは違う日。特別な日。新しい日々の始まりだというのに、御山はなにひとつ変わらない。昨日までとなんら変わらない姿で私の前にいた。


「どうかしたか、アンジュ殿?」


 ルリさんが隣に立っていた。少し前までは私の後ろにいたはずだったのに、いつのまにか追いつかれてしまっていた。


「いえ、なんでも」


「……なんでもない者がするような顔ではないな」


「……ちょっと思うことがあっただけ、です」


「そうか。まぁ、郷愁というのはどうしようもないことだ。我には実のところ、いまひとつ理解できないことではあるのだが」


 遠くなった御山を隣で眺めてくれながらも、ルリさんは私の感情には理解しきれないとはっきりと言ってくれた。


「郷愁がわからないと言いますと?」


「そのままの意味だ。我には故郷がなくてね。だからわからないのだ。郷愁という想いがどういうものなのかを。言葉はわかる。意味も知っている。だが、実感を知らない。だから理解できないのだよ」


 腕を組み、遠くを眺めるルリさん。その視線は御山のはるか先を眺めている。でも、実際になにを眺めているのかはわからないし、そもそもなにかを眺めているのかさえもわからないのです。


 ルリさんについて知っていることは、ほとんどありません。いえ、ルリさんだけじゃない。レンさんたち「シエロ」について、私が知っていることはほとんどなかった。ひとりひとりの人柄、その実力、そしてお互いへの信頼感。それらはギルドで担当していたときからわかっていたこと。


 でも、それ以上のことを私はほとんど知らない。


 コサージュ村に訪れるまで、なにをしていたのか。


 なぜ仮面で顔を隠しているのか。


 どうしてコサージュ村に来られたのか。


 わからないことばかりだった。


 ほんの少し前まで、私はこの人たちがコサージュ村に害を及ぼす人たちだと思っていた。それこそ、コサージュ村を滅ぼす要因になると思っていた。……まぁ、結果的に言えば、間違ってはいなかったわけですが。


 レンさんたち「シエロ」の方々が来たことで、コサージュ村は結果的に壊滅することになってしまった。私が当初抱いていた危惧は現実と化してしまった。


 でも、結果的には同じだけど、その過程はまるで異なっている。私の当初の危惧では、レンさんたちがコサージュ村を直接害すると思っていたが、現実は違う。レンさんたちが滅ぼしたのではない。あの仮面の女たちがコサージュ村を滅ぼした。みんなを氷の中に閉じ込めてしまった。


 そのみんなを助け出すために、私はいまここにいる。


 いま私がいるのは、コサージュ村から離れた高台。御山を中心とした山脈に連なる山のひとつ。その中腹に私はレンさんたちとともにいた。


 御山はもうかなり遠い。それは同時にコサージュ村も遠く離れているということになります。


 本来ならこの高台からはコサージュ村は見えない。けれど、いまははっきりと見える。正確にはコサージュ村を始めとした、霊山の麓にある村々を覆う氷の塊がですけども。


「我としては旅に連れて行きたくないのだが、全滅では無理もない」


 氷の塊を眺めながらルリさんは言いました。その言葉の通り、ルリさんたちが向かわれた他の村々もコサージュ村同様に凍り付いていたそうです。中には住民たちが皆殺しにされている村もあったとのことでした。


 なぜ、そんなことになったのかはわからない。


 氷漬けになったということはわかる。コサージュ村の余波を他の村々も受けたということだから。でも、村人たちが惨殺されていた理由はわからなかった。


 ルリさんが言うには、血は乾いておらず、生臭さがそこらからしたそうです。その臭いにベティちゃんが気を失うほどだったようで、そのこともあるのか、ベティちゃんはいまレンさんにべったりとしています。体を震わせながら、レンさんにおぶられている。レンさんはそんなベティちゃんを無言で背負いながら山道を進んでいたけれど、私たちが脚を止めたからか、こちらに戻って来てしまっていた。


「……申し訳ないことをしてしまいました」


「いや、気にしなくてもよい。そろそろ休憩にするべきだと思っていたところだ。ベティもあの調子ではな。まだ日も高いが、今日はここまでにしておくべきかもしれぬ」


「ですが」


「なぁに、急ぐ旅ではない。……そなたにとっては急ぎたいところだろうが、急いだところでなにかが変わるわけでもない。なにせ相手の尻尾はまるで掴めておらぬのだからな」


 御山から反対を、先行していたレンさんたちに視線を向けながら、ルリさんは「よっこいしょ」と腰を下ろされました。腰を下ろされてすぐに、懐から酒瓶を取り出されて、一気に呷られました。とても美味しそうに喉を鳴らして乳酒を飲まれる様に、先行していたレンさんたちが呆れたようにされるのがはっきりと見えました。


「っぷっはぁ! あー、生き返るのぅ!」


 がははは、と高笑いされるルリさんに私は苦笑いすることしかできません。山登りをしているというのに、まさかのお酒です。普通は水だと思うのですが、まさかのお酒です。ルリさんらしいと言えば、そうなのかもしれませんけどね。


「もう飲んでいるのかよ、ルリ」


 高台に戻られたレンさんが呆れたように言われました。呆れているのはレンさんだけじゃなく、イリアさんも同じでした。が、イリアさんの視線はルリさんじゃなく、私へと向けられていた。その目は雄弁に「なんで止めることもできないの?」と語っておられました。侮蔑だけの目。その目になにも言えず、私は逃げるように背を向けました。


 背を向けても見えるのは、御山の麓の村々を覆う氷の塊。ルリさんが為した魔法。コサージュ村やほかの村を荒らされないようにするために施した、曰く水の魔法の結界だそうです。

「……少なくともこうすれば、火事場泥棒などに荒らされることもなかろうよ。我の魔力が続く限りは、この結界に守られる。こうする以外に守る方法はない。すまぬな」


 ルリさんは申し訳なそうに謝られていましたが、これ以上とない処置です。謝るどころかお礼を言うべきでした。なにせルリさんが施されたのは、大魔法と言っても過言ではないものです。皆殺しにされた村を含めて、氷漬けにされた一帯の村をすべて覆うような氷の結界なんて、普通はできません。そんな普通にできないことをルリさんはあっさりとされてしまった。


 今回のことで少しだけ知れたことはある。それは私が思っていた以上に、レンさんたちの実力は高いということです。


 本当にこの人たちは何者なのか。


 私にはまるでわからない。


 なんでここまでしてくれるのか。


 どうしてこの村に来たのか。


 わからないことは多い。


 幾重にもあるわからないことの中で、ひとつだけ知れたことはある。


 正確に言えば、確定したことじゃない。ただ可能性として生じたことがあるのです。それはレンさんの正体、です。


「どうかしたか、アンジュ?」


「あ、いえ、特には。少し暑いなぁって」


「そうか? まぁ、山登りしたから少し暑いかもしれないな」


 レンさんは襟を掴み、胸元へと風を送る。けれど仮面を外そうとはしない。素顔を露わにしようとはしていない。


(……やっぱり素顔を出さない)


 わずかにでも仮面を外すのであれば、素顔を見ようとしていたのだけど、レンさんは徹底的に素顔を露わにしようとはしていない。


 わずかに露わにしているのは欠けた仮面から覗く右目だけ。紅い瞳は私のそれとよく似ていた。……手配書とはまるで違う色の瞳でした。


(髪の色、小柄な体、言葉遣い、身体に纏わせる付与魔法、そしてマスターしか持っていないはずの黒い外套)


 ひとつひとつであれば、そうでもない。けれど、すべてが集まれば、答えはおのずとひとつになる。


(「才媛」カレン・ズッキーがレンさんなのかな?)


 そう、レンさんの正体は「才媛」と謳われた、かつてのギルドマスターなのかもしれない。私はそう思うようになっていた。


 そう思うようになったのは、あの日わずかに見えたレンさんの素顔、横顔しか見えなかったけれど、その横顔の輪郭はカレン・ズッキーとよく似ていた。手配書を改めて見たとき、そのことに気づいた。


 そのことにレンさんたちはまだ気づいていない。


 でも、本当にレンさんがカレン・ズッキーなのかはわからない。わからないけれど、レンさんたちが私を助けに来てくれたことは変わらないし、お姉ちゃんがレンさんを心の底から愛されていることも変わらない。


 そもそもレンさんが本当に手配されるような犯罪者かどうかだって決まったわけじゃない。でも、可能性はある。その可能性を否定することも私にはできない。


(この旅の間に答えを知ることができるのかな?)


 それはわからない。わからないけれど、いつかはわかるときは来る。それがいつになるのかもわからないし、それがどういう形になるのかもわからない。


 当たり前のことだけど、未来のことなんてなにもわからないし、誰にもわからない。


 でも、その当たり前に挑んでいきたいと思う。


 私にはそれしかできない。


 これから目指す「アルトリウス」──「アヴァンシア王国」の首都でなにがあるかはわからない。


 レンさんたちが言うには、情報収集のために向かうということだったけれど、かの地で集められる情報がどれほどのものになるのかもわからない。


 少しでも前に進められればいい。そのために当たり前に挑みたい。いままでのようにではなにも変わらない。


 だから私は挑む。当たり前という言葉に挑み続けると誓うんだ。


「さようなら、私の故郷」


 壊滅した故郷への誓いを胸に秘めて、私はしばらくの別れを告げた。

次回より特別編です。

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