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rev1-68 不本意な形

 死体が散らばっていた。


 大半は黒い鎧を身につけたもの。それらは重点的に体を壊されていた。手足を失い、はらわたを引きずり出され、顔は見るも無惨に潰されていた。


 そんな死体が複数あった。


 どれもこれも黒々とした血をまき散らしながら、シリウスちゃんの頭上で事切れている。


 でも、それらはまだましな方だ。


 いや、それだけでも十分すぎるほどに凄惨な光景ではあるのだけど、それらはすでに終わっている。


 でもまだ終わっていないものもある。それがあの仮面の女の死体だった。


 仮面の女の死体をレンさんは何度も何度も切り刻んでいた。


 それこそ細切れにした部位もあるのに、それでもなおその剣を振るっていた。レンさんの体は全身血まみれになっている。


 そう文字通り、その全身が血塗れになっていた。髪の毛の先からつま先までがすべて黒々とした血で染まりきっていた。


 普段着ている白い服も染まりきってしまっていて、何度洗っても元通りの色にはならないはず。


 でも、レンさんはそんなことをまるで気にしていなかった。


 いや、気にする気力さえもないのかもしれない。


 いまのレンさんは、あの仮面の女の死体を切り刻むことしか考えられないようでした。切り刻むたびに「コロス」と呟く姿は、ただただ恐ろしかった。おとぎ話にある「地獄の使者」を見ているかのような気分にさせられてしまう。


(……そういえば、かの才媛殿には悪名もあったっけ)


「地獄の使者」という言葉に、ふとかの「才媛」殿の異名のひとつに、その悪名があることを思い出した。


「地獄の使者」は全身真っ黒で、煌々とした目でこちらを見つめ、その魂を奪う者とされている。かの才媛殿も全身が黒で覆われていたそうだ。衣服も髪もそして瞳も。すべてが黒一色だったそうだ。でも、その顔立ちはまるで精巧に作られた人形のようだったという話も聞く。……たぶん、人形のように整った顔立ちが、あまりにも美しい顔立ちが人ならざらぬ者のように映り、その衣裳もあって、「地獄の使者」というありがたくない悪名を背負うことになったのだろうと思う。


 いまのレンさんはその「地獄の使者」たるカレン・ズッキーを連想させてくれる。でも、カレン・ズッキー以上に「地獄の使者」という言葉が似合う。カレン・ズッキーには血まみれになったという逸話はない。

 

 まぁ、現役の高ランク冒険者でもある彼女であれば、討伐した魔物や犯罪者の血を浴びることも多々あったとは思う。


 それでもいまのレンさんほどに血まみれだったことはないだろう。レンさんからは噎せ返るほどの血の臭いが立ちこめていた。


 だというのにレンさんはまだ血を浴びようとしている。


 いったいなにがレンさんをそこまで駆り立てているのかがわからない。


 わからないけれど、レンさんが暴走してしまっていることはたしかだ。


 そう、いまのレンさんは暴走している。


 普段のレンさんは死体をあんな細切れにすることはない。


 食べられる魔物であれば、解体することはあるけれど、相手は魔物じゃない。人間だった。その人間を細切れにしたところを見たことはなかった。コサージュ村を襲ったあの盗賊たちを、レンさんはたしかに殺しはした。


 でも、殺しても細切れにはしなかった。


 どんな悪人であっても、その死を悼み、必要以上にその体を壊すことはなかった。


 そのレンさんがいま仮面の女や黒い鎧を着た誰かの死体を徹底的に破壊している。


 その光景は目を疑うしかないものだった。


 でもどんなに目を疑ったところで事実は変わらない。


 レンさんは「コロス」と言って、死んだ相手を壊し続けている。その執拗さは異常としか言いようがない。


 だけど、異常さの中で異質なものがある。


 それはレンさんが泣いているということだった。


 そう、レンさんは泣いている。


 泣きながら剣を振るっていた。


 紅い瞳は涙に濡れている。真っ白な仮面も黒く染まっているのに、右目の下の部分だけは元の白が見えていた。涙が黒い血を洗い流し、洗い流した血は黒い涙となってこぼれ落ちていく。


 こぼれ落ちた涙はシリウスちゃんの毛を黒く染めていた。すでに仮面の女や黒い鎧を着た誰かの血で黒く染まっているけれど、レンさんの黒い涙で染まった部分だけは不思議と鮮明に見えた。ほかの黒は禍々しくあるのに、その部分だけはどうしてかきれいだと思えてしまっていた。


 だけど、どんなにきれいであっても、いまのレンさんが異常であることには変わりない。止めないといけない。止めてあげなきゃいけない。私はそう思っていた。


 けれど、どう止めればいいのかがわからない。


 とはいえ、放っておくことはできないし、したくなかった。


 私にできることなんてたかが知れている。なら、そのやれることをやるしかなかった。


(とはいえ、どうしたら)


 やれることをやる。そう決めたはいいけれど、これというものはなにも思いつかない。それでも指を咥えて見ていることはできない。しかし、そのなにかが思いつかない。思いつかないけれど、私は行動を移すことにした。まぁ、これというものはなにもない。それでもやらなければならなかった。


 ままよ、と思いながら私は「レンさん!」と大声を上げた。レンさんは黒く染まった体で振り向いた。その姿に一瞬震えそうになったけれど、それでも私は勇気を振り絞って一歩を踏み出したのだけれど、不意にシリウスちゃんが「わぅ」と鳴いた。その鳴き声とともになぜか体のバランスが崩れ、前のめりにつんのめってしまった。でもそれは私だけじゃなく、レンさんもまた体のバランスが崩れていた。


 レンさんもバランスを崩していたけれど、どうにか体勢を崩してはいなかった。そこに前のめりにつんのめっていた私が来た。レンさんは「……は?」と固まっていた。そんなレンさんの元にと私は勢いよく向かっていき、そして──。


 ──ちゅ


 ──という軽い音を立てて、私とレンさんの唇が重なり合った。その際お姉ちゃんが『寝取られとか勘弁して欲しいなぁ』と嘆いていたのがやけに印象的だった。その嘆きに返事する余裕なんて私にはなかった。ただただ動転することしかできなかった。レンさんは右目を瞬かせることなく固まっていた。


 こうして私はとても不本意な形で唇を奪われることになってしまったのだった。

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