rev1-66 けだものの咆哮
前回に引き続き、エグいです。
真っ白だった。
それは周囲の光景もそう。
目の前に見える世界は、すべて白銀色に染まっている。
空からは依然として雪が舞い落ちていた。舞い落ちる雪の中、目の前には真っ黒な鎧を身につけた、真っ白な肌をした彼女が数人立っていた。
それは本来ならありえないことだ。
彼女は、天海希望はひとりしかいない。
同姓同名の別人はいるだろうけれど、俺が知っている天海希望は、俺の幼なじみの希望はひとりしかいない。
なのに、目の前には希望が数人立っていた。
ありえないことが目の前で起きてしまっている。
そのありえない現実が思考を白く染め上げていく。
すべてがただ白い。
空も地上も、目の前にいる人さえもすべてが白い。
わずかにほかの色が混ざることもあるけれど、ほぼすべてが真っ白だった。
『パパ、ごめんね、ずっと黙っていてごめんね』
シリウスの声が聞こえる。
心の底から申し訳なさそうに謝る、あの子の声。
でも、その声にも俺は反応できない。
俺はただぼんやりと、信じられない現実を目の当たりにすることしかできない。
『カオス兵がどういう存在なのかを私は知っていたの。「鬼の王国」で初めて戦ったときに知ったの。「死肉の臭い」の中から大好きな優しい香りがしていたことに。ノゾミママの香りがしていたことがわかっていたの。でも、信じたくなかった。だから確かめるために首を飛ばした。そして見たんだ。似てはいなかったけれど、たしかにあれはノゾミママだった。ノゾミママの偽物だったってことに。偽物でもノゾミママだった。だから私は自分を見失ったんだ』
シリウスの独白は聞こえていた。
たしかに「鬼の王国」での戦いでシリウスは暴走した。
でも、それはアンデッドの血を浴びすぎたことで理性が飛んだからということだったはず。真実は違っていたということなのか。本当は偽物とはいえ、希望を殺したことが原因だったということなのか。
(……俺でもそうなるか)
顔を隠していたし、偽物だとはいえ、希望と同じ存在だったということには変わりない。そんな相手を殺した。知らないうちはいい。けれど知ってしまったら、まともではいられないよ。
シリウスにとってみれば、親を殺したということになる。シリウスは信じられなかったとはいえ、親殺しをしてしまった。その罪があの子を壊したということだ。
(……俺でもそうなるよな)
俺の場合なら、親父と母さんのどちらかを手に掛けるということ。考えただけで動悸が起こるし、目眩さえ起こりそうだ。
それをシリウスは実際に行ったんだ。そのことを俺はいままで知ることもしなかった。考えもしなかった。それがただただ胸に痛かった。
『パパには知られたくなかった。偽物だけど、パパの大好きな人を私は殺してしまった。そのことを知られたくなかった』
シリウスは涙声になりながら語っていく。泣きながら「ごめんなさい」と何度も謝ってくる。
謝ることじゃない。
シリウスが悪いわけじゃない。
シリウスはなにも悪くない。
そう言えればいいのに、俺はなにを言っていいのかわからなかった。いや、言おうとする気力さえわかないでいる。
(なにがパパだよ。愛娘が泣いているのに、なにもしてあげられない俺のどこがパパなんだ)
自分への怒りが沸き起こっても、それが表に出ることはない。どれだけ強い想いでも、体は動かなかった。
ただ仮面越しに涙がこぼれ落ちるだけだった。
涙はひどく熱い。なのにその涙も雪の寒さがすぐに熱を奪っていく。それは仮面をつけていても変わらない。次々にこぼれ落ちていく涙を拭う気にはなれなかった。ただただ涙を流すことしかできずにいた。そんな俺の耳にシリウス以外の声が聞こえた。
「素晴らしいでしょう、旦那様。我が祖国はノゾミをここまで忠実に再現できたのです。個人的には忌々しいことではありますが、これは素晴らしいことなのですよ。まだ完全に再現できたわけではありませんが、姿形はもう完璧に再現できるようになりました。まぁ、戦力にするには「混沌の胚」が必要なのでコストは掛かりますが。ですが、「混沌の胚」なしであれば、それほどのコストも掛かりません。もっとも、「混沌の胚」なしで作る場合は、カオス兵ではなく、一部の顧客向けの肉奴隷がせいぜいですが」
アルトリアが得意げに語っていた内容に、琴線が揺れた。それまでなにもかもが遠かった。視界に映るものだけじゃない。肌に触れる雪の寒ささえも、なにもかもが遠く感じられたのに、その一言ですべてが活性した。
「肉、奴隷?」
「ええ。ノゾミの体は世にいる男たちの目を惹くものでしたからね。それが自由意志もなく、言われたままに行動し、身を守る力さえもないとなれば、行き着く先は当然そうなりますよ? ああ、ご安心を。生殖機能はなくしておりますので、孕むことはありません。が、孕まないのであれば、どんなこともできると一部の顧客たちはかえって喜んでおりました。それに旦那様を困らせるのは私としても本意ではありませんので」
「なにを、言っている?」
アルトリアの言っている意味が本当に理解できない。この女はいまなにを言っているのか。その理由も考えも俺にはちっとも理解できなかった。そんな俺にアルトリアはトドメを刺すようなことを言ってくれた。
「だって困りますでしょう? 不意に意思を手に入れたうえに、誰の子ともしれぬ赤子を抱いた無数のノゾミに頼られるなんて、おぞましいだけですよね? まぁ、自由意志などこいつらにはありませんから、そんなことは絶対に起こりえないことですけどね? あぁ、でも、たまたま一体だけそんなことがあったと聞いたことがあったような。まぁ、その個体はこちらで回収した後に、ちゃんと処分しました。その体に宿った命ごとね?」
アルトリアが笑っていた。その声に、その言葉に、炎が点った。赤い炎じゃない。真っ黒な炎が心の中で燃え上がっていくのをはっきりと感じ取った。その瞬間、俺は動いていた。属性すべてを魔鋼の刀にと付与し、アルトリアに、希望の偽物の体を使うアルトリアへと斬りかかった。
だが、その前にカオス兵たちが、希望の偽物が数体立ちはだかった。でも、構うことなく剣を振り抜く。肉を裂き、骨を砕き、命を絶つ。吹き上がる黒い血を頭から浴びながら、雄叫びを上げた。
雄叫びを上げるたびに。刀がきらめくたびに。命を絶っていく。知らない誰かの命じゃない。希望だけど、希望じゃない者の命を奪っていく。涙が止まらない。雄叫びとともに嗚咽を漏らしながら血刃が煌めいていく。
呼吸にしてみれば、三つか四つほどで、その場にいたカオス兵たちは全滅していた。俺の体は真っ黒な血を浴びて、黒く染め上がっていた。でもそれ以上に真っ黒な想いが俺を突き動かしていた。
「宣戦布告だ。覚えておけ、アルトリア。俺はおまえを必ず殺しに行く!」
アルトリアが使っていた偽物の希望の死体を、組み伏していた。光を失った瞳の先にいるアルトリアに対しての宣戦布告をした。するとアルトリアはおかしそうに笑っていた。
「ふふふ、まさに殺し文句ですね。ですが、お持ちしておりますよ、愛おしい旦那様」
アルトリアの笑い声。その声を聞きながら、俺は偽物の希望の死体の首を刎ねた。どろどろの黒い血が首を失った体から広がっていく。その様を眺めながら俺は獣じみた雄叫びをあげた。怒りと憎悪が籠もった叫びが吹雪の中でこだましていった。




