rev1-65 名の由来
わりとエグいです
腕の中には希望がいた。
ぬくもりもなく、吐息もなく、心臓の鼓動も聞こえない。
それでもたしかに希望だった。
子供の頃からずっと守ってきた愛おしい人だった。
どうして希望がここにいるのかはわからない。
それも昔の姿になっている理由もわからない。
それでも希望は希望だった。
俺が守りたい人だ。いや、守らなきゃいけなかった人だった。
子供の頃、希望に大けがをさせたときから、俺は希望を守り続けてきた。それはこの世界に来ても変わらなかった。守り通さないといけなかった。
でも、俺は守れなかった。
守ると決めていたのに。守ることもできなかった。
その結果がいまだ。
死体となった希望を抱きしめている。
(これもひとつの罰ななんだろうな)
まだ「カレン・ズッキー」だった頃、まだカルディアたちと知り合う前、この世界にやってきて間もない頃だったはず。
その頃、俺は異世界転生や異世界転移の主人公にありがちな展開であるハーレムというものに対して、心の中でディスったことがあった。
同じ女の目線から見て、ハーレムものって女性を軽視しているようであまり好きになれなかった。
だから異世界に転移しても「俺はそうならない」っていう密やかな目標を立てていた。
でも現実としては、俺はまさにハーレムものの主人公となっていた。あっちにふらふら、こっちにふらふらと、とてもではないが誠実などとは言えないことを知らず知らずのうちに行っていた。みずから目標から目を背けてしまっていた。
だからいまに至っている。
別にそういう主人公たちをディスる気はもうない。
むしろ、ああいう人たちだって知らず知らずのうちにそういう展開に持ち込まれているんだ。俺もいろいろとあらがっては見たけれど、見えざる力みたいなもので気づいたらああなっていた。ちゃちな言い方をすれば、運命というものなのかもしれない。
だから、もう彼らに対する反発心はない。「大変だったなぁ」と声を掛けて労ってあげたいと思う。
まぁ、彼らはあくまでも創作物の主人公だから、実際に会うこともできないわけなのだけど。もし実際に会ったら気が合いそうな気はする。あくまでも実際に会えれば、だけども。
とはいえ、いまそれは置いておこうか。
今回のことを俺が罰だと思ったのは、俺自身が誠実ではなかったからだ。誠実性の欠片もなく、手当たり次第に女に手を出していた。だから俺は罰を受けた。守りたいと心の底から願っていた人たちを全員失った。その一番の形がいま腕の中にいる。
(……俺が悪かったんだよな。なにもかも俺が悪かった。俺のせいだった)
俺が中途半端だったから、希望は死んだんだ。
俺が希望を殺した。
希望の死は俺の責任なんだ。
その責任を一身に感じながら、強く抱きしめていく。
「ごめんな、希望」
いまはただ謝ることしかできない。
謝ったって希望は帰ってこない。
そんなことは子供だってわかっている。
死んだ人は蘇らない。
地球では当たり前のことだった。
この世界ではできるみたいだけど、そのために必要なものは術者の命そのものだ。でもルリが言うにはそうして生き返った者も一年ほどで命がつきるそうだ。そして二度目はない。奇跡は時間制限付きの一度っきり。それがこの世界での死者蘇生の真実。
(なら、俺のするべきことは、この命を)
この命を希望にあげること。
それが俺の為すべきことなのだろうと思う。
希望には会えないし、たった一年っきりの蘇生でしかないのは心苦しい。
それでもなくなった時間をわずかにでも、希望にあげられるのであれば、プレゼントしてあげたいと思う。
それが今年の、俺が希望にあげられる最後の誕生日プレゼントだった。
(詠唱は、うろ覚えだけど、なんとなくわかるし、ならいまのうちに──)
蘇生呪文を唱えるために、口を開こうとした、そのとき。
『ダメなの、パパ!』
シリウスの声が頭の中に響いた。
シリウスの必死な声に俺は詠唱を中断する。正確には詠唱の準備をやめた。
(シリウス、どうして)
『ダメなの、それはノゾミママじゃない! それはノゾミママの偽物だよ!』
「にせ、もの?」
シリウスの叫びにオウム返しをしていた。言われた意味をすぐに理解できなかったからだ。
「でも、これは」
『事実だよ。それはノゾミママの偽物。それもそれだけじゃない。ノゾミママの偽物はそれこそ』
シリウスはとても言いづらそうにしていた。
けれど、その意味がわからない。
なぜ口を閉ざすのか。「それこそ」に続く言葉はなんなのか。
想像はできる。
でも、納得はできなかったし、したくない。
だってそれじゃまるで──。
「誰かとお話をしているみたいですが、そろそろ私を見てくださいね?」
──不意に声が聞こえた。同時に腹の一部がわずかに熱くなった。希望の手にはいつのまにか、小さなナイフが握られていた。本当に小さく、それこそ果物ナイフくらいの大きさだった。その果物ナイフが腹を突いていた。が、刺されたわけではない。というか、刺すと言えるほどに腹には到達していなかった。
それでもかすかな痛みはあるし、ごく少量の血を流したようだった。
希望から距離を取った。というよりも距離を取らないと、これ以上に無用なダメージを負いかねなかった。
名残惜しさはある。
それでも俺は希望から距離を取り、傷つけられた腹部を手で押さえて、希望を見つめた。正確には希望の死体を操っているアルトリアを見やる。
「ようやく私を見てくれましたね。まぁ、本当の私を見てくれないのが残念ですが、まだ私は本調子ではありませんので、無理もありませんけれど」
「……おまえに用はない」
「あら、ひどい。けれど、旦那様はきっと私に会いに来てくれるはずです」
「バカなことを」
「ふふふ、だって旦那様でしたら絶対に会いに来ようとされるはずですからね」
「なにを言っている?」
「この死体の秘密についてですよ。ああ、それともこうした方がわかりやすいですかね?」
希望の死体がゆっくりと指を曲げていき、パチンと鳴らした。その音に示し合わせたかのようにその場に複数の黒騎士たち──カオス兵たちが現れた。カオス兵という名はイリアが教えてくれたもので、その正体がアンデッドであることはすでに知っている。そして上位種にはカオスロイヤルという存在がいる。そのさらに上がロイヤルナイツと呼ばれているそうだけど、どうでもいいことだった。
それよりもなんでいきなりカオス兵を呼び出したのかが理解できない。いまさら雑兵を呼び出したところでなんの意味もないはず。
その意味のないはずの雑兵をあえて呼んだアルトリアの考えがいまひとつ理解できなかった。
「あの淫売が口にしたかどうかはわかりませんが、知っていましたか? カオス兵はもともとの名前は違っていたんですよ。カオス兵というのは新しく生み出された雑兵のことです。それ以前はただのアンデッドを人間のように変化させていたんです。それはそれで有効ではありましたが、やはりただのアンデッドでは知能が低すぎて、まともな命令を出すこともできませんでした。それがカオス兵が生み出されてからは戦略的な命令も出せるようになり、大変助かっているのです」
「……技術の進歩に感謝だな。だが、それが」
「そのカオス兵たちが生み出されたのは、ちょうど旦那様が「獅子の王国」で過ごされていた頃です。時間にしてみれば、一年ほど前になるでしょうね。その少し前にちょうどいい「検体」が手に入ったのも幸運だったと思います。まぁ、初期ロットの連中は「鬼の王国」で一掃されてしまいましたし、その次もやはり「狼の王国」で一掃されてしまいました。ですが、現在のロットからはなかなかの傑作となったんですよ? なによりも「検体」によく似るようになりました。初期とその次はひどい出来でした。能力も想定以下でしたし、なによりもちっとも似ていなかったですから」
アルトリアは笑っていた。その言葉と笑みの意味を不思議と理解できてしまった。だが、すぐにその想像を打ち消す。そんなことあるわけがない、と。「獅子の王国」に俺がいた頃よりも少し前。つまりは「蛇の王国」にいた時期。その時期に「検体」とやらが手に入った。そしてその頃はちょうど希望が攫われた頃だった。
どくんと嫌な予感がよぎった。もともとあったものではある。でも認めたくなかったもの。それがよりはっきりと頭をよぎっていく。実感を伴った予感が胸の内に広がっていくのがわかった。
「ふふふ、それでは答え合わせと参りましょう。カオス兵。顔を露わにしなさい」
アルトリアが命令を下すと、カオス兵たちは一斉に「承知しました」とフルフェイスの兜を脱ぎ、素顔を露わにした。露わになった素顔を見て、俺は言葉を失った。その素顔は全員が同じものだった。同じ素顔をしていた。
「ふふふ、どうですか? カオス兵の素顔は? とてもそっくりでしょう? 私の居場所を奪ったあの女、ノゾミにそっくりでしょう?」
くすくすと笑うアルトリア。その声に返事をすることはおろか、反応もできなかった。その言葉の通りだった。目の前にいるカオス兵たちの素顔はみな希望のものだった。全員が希望と同じ顔をしている。いや、希望そのものだった。
「カオス兵の名の由来は、旦那様の目を奪うためです。そして怒りに怒った旦那様のお心を混沌とさせ、私にだけその視線を向けさせるためのもの。つまりは私にとってこの子たちは、私と旦那様の愛を深めさせるための使者。愛の使者なのです。喜んでいただけましたか?」
アルトリアが笑っている。同時にシリウスがとても辛そうに「ごめんね、パパ」と謝っていた。その謝罪になにも言ってあげられなかった。俺ができたのはただ信じられない光景を見つめることだけ。
それだけが俺にできる唯一のこと。その唯一できることを無感情で行いながら、俺の頭の中は真っ白にとなってしまった。
白銀の世界に合わせたように思考を真っ白に染め上げながら、俺はただ目の前の光景を見つめ続けることしかできなかった。




