雪の日の夢
今年最後の更新その一です。
その二はタマちゃんとなります。更新がうまくできていたら、同時刻に更新となります。
吹雪いていた。
自然の害意が形を為したかのように小屋に向かって無数の雪が押し寄せていた。
その害意に対して人間が、いや、命ある者ができることは少なく、暖を取ることくらいしかできない。
その暖を取る方法が命ある者それぞれで違うだけ。人間や魔族であれば、火をつけて体を温める。動物や魔物であれば、寄り添い合ってそれぞれのぬくもりで暖を取る。そうして命は害意と言える寒さにも負けないようにしている。
もっともいくら対抗しても害意に負けるときはあっさりと負ける。それはどんなことでも言えるものだった。
「ばぅ、寒いの」
小屋のリビングに設置してある暖炉はバチバチと音を立てて薪を燃やしている。それでも小屋全体を暖めることはできていない。火の力よりも雪の寒さの方が勝っているなによりもの証拠だ。
とはいえ、それも無理もない。暖炉は所詮一カ所だけだし、その勢いにも限度がある。あまりに強すぎるとかえって自分たちに害が及ぶ。害が及ばない程度に燃やすと、全方向から無数に押し寄せてくる雪には敵わない。
だからといって薪を燃やさないということはできない。寒さには負けていても、ないよりかははるかにましだ。
俺は近くにあった薪を暖炉に放り投げる。新しく追加した薪は黒い。薪は薪でも炭だった。普通の薪よりも火力があるから、ある程度は寒さもましにはなる。あくまでもある程度であって、絶対的に有利になるわけじゃないから焼け石に水のようなものかもしれないけれど、ないよりかははるかにいい。
「……まだ寒いかい?」
暖炉から視線を逸らしてベティを見やると、ベティは「ばぅ」と鳴いてから「まだ寒いの」と言った。
ベティはいま窓の外を眺めながら、体を震わせている。尻尾はすっかりと丸まってしまい、自身の体に巻き付けられているのだけど、それでも寒いものは寒いようだった。
(まぁ、窓の近くにいたら寒いのは当たり前だろうけれど)
暖炉から遠ざかれば寒くなるのは当然だ。特にベティがいる窓際は、壁一枚向こう側がごうごうと音を立てる吹雪のまっただ中なのだから、余計に寒いだろう。そんな場所にいて「寒いの」と言われてもこちらとしてもちょっと困る。
とはいえ、風邪を引かせたくもない。いや、風邪を引かせるというのはほぼ論外だ。となれば古来からの方法が一番手っ取り早い。
「……おいで、ベティ」
「ばぅ!」
寒がっているベティに向かって腕を広げると、ベティは嬉しそうに駆け寄ってくると、最後はぴょんと飛び跳ねて俺の腕の中に飛び込んできた。……若干勢いがありすぎて顎を強打したが、些事だ。娘のかわいさぷらいすれすで差し引きプラマイゼロだ。いや、大いにプラスと言っていいだろう。
(こういうところが親バカと呼ばれるゆえんなのかな?)
痛む顎を少し擦ってから、俺の胸に顔をぐりぐりと当てているベティの頭を撫でていく。ベティの体は歩く湯たんぽというか、子供特有の高めの体温が心地よくて、非常にぬくい。
「……ベティは暖かいな」
「おとーさんはちょっとさむいの」
「じゃあ、離れておく?」
「ばぅ。やだ」
「そっか。じゃあ、ちょっと我慢するんだよ。いま薪を足すから」
「ばう!」
ベティは元気よく頷いてくれる。こういうところは昔のシリウスやカティにそっくりだ。鳴き声は若干違うけれど、三人とも犬っぽい鳴き声をあげるところは同じだ。そういうところもまた揃って愛らしい。
(……そういえば、カティとは雪国では過ごしたことなかったな。シリウスとはあったけれど)
まだシリウスがグレーウルフだった頃、「鬼の王国」で一ヶ月ほど過ごしたことがある。あの頃はシリウスとは若干疎遠になっていた。ちょうどカルディアが死んでしまって間もない頃だったから、無理もなかったし、俺があの子の意思を否定してしまったことが原因だった。俺が全部悪かったといまでは思う。
でも、悪いとは思うけれど、あの子の手を血で汚したくなくて仕方がなかった。でも仕方がないの一言でなんでも済ませられるわけじゃない。けれど悪かったとは思っているけれど、間違っていたとは思っていない。それだけははっきりと言うことはできる。
「おとーさん」
「うん?」
「おねえちゃんたちのお話、ききたい」
腕の中にいたベティがじっと俺を見上げていた。外は吹雪で真っ暗だけど、時刻的にはまだ朝。ついさっき起きたばかりだった。
吹雪の日は基本的には寝て過ごすしかない。暖炉で火を燃やし、暖まったら布団に包まって寝る。けれど寒さで起きてしまう。その場合はとりあえず食べるものを食べつつ、暖炉のの火を燃やして体を温めてからまた眠る。その繰り返しだ。
だけど、まだ眠気は訪れないのでそれまでの暇つぶしであれば、話をするのもやぶさかではない。
すでに食事は取ってある。
本当なら煮込んだ鍋、この地方だとバンマーの肉を煮た鍋を食べるのがいいのだけど、ベティは肉を食べられないから、以前プーレが大量に作ってくれたクッキーの残りを食べさせてある。
プーレのクッキーはベティの大好物で毎日食べている。いや、毎日主食にしている。それはついさっきの食事でも変わらない。もっと栄養があるものを食べさせたいのだけど、ベティは偏食家なのでなかなか食べてくれない。
シリウスとカティはなんでも食べてくれただけに、ベティの偏食には手を焼かされているけれど、それも親子のやりとりらしいと俺は思っていた。まぁ、イリア曰く「甘やかしすぎです」らしい。まぁ、ベティの偏食に関しては問題あるけれど、食費的にはほぼ問題はない。なにせ大量に保管してあるクッキーを食べているだけだから、食費的にはほぼロハと言っていい。
むしろ食に関する問題であれば、ルリの方が大問題だ。あれの酒代だけで月の稼ぎがわりと持って行かれてしまうのだから、ベティの偏食はルリの酒代という問題に比べればささやかなものだった。
でも、放っておくと問題であることはたしかなのでいずれ手は打つつもりだけども。
「おとーさん?」
「あ、うん。なんでもないよ。えっと話か。うーん。なにがいいかな?」
すっかりと思考は食に関することになってしまった。まぁ、そのままの話をするのもいいんだけど、あまりにも捻りがなさすぎる。
とはいえ、ふたりのことを話すのであれば、そもそも捻りもなにもないわけなのだけど。
「そうだなぁ。じゃ、シリウスお姉ちゃんのお話でもしようか」
「ばぅ!」
「よし。ならシリウスお姉ちゃんの好きなもので。あの子は──」
捻りもなにもないシリウスの好物の話を始める。それでもベティは喜んでくれた。会ったことのないお姉ちゃんの話を聞くのがこの子は好きだった。どんな些細な内容であっても喜んでくれる。その笑顔を眺めつつ、シリウスが大好きだった希望の作った玉子焼きの話をしてあげた。ベティは尻尾を振りながらシリウスの話を聞いてくれる。もう会えない娘のことを思い出し、胸が痛くなるけれど、それを顔には出さずにあの子との思い出に浸っていくと、不意にベティからの反応がなくなった。
「ベティ?」
どうしたのだろうと思い、視線を下げるとベティは船をこいでいた。すっかりと熱中してしまい、ベティが寝てしまったこともわからなかったみたいだ。
「……おとーさん失格だな」
苦笑いしながら、ベティを寝かせるために部屋に戻ろうとした。そのとき。
「パパが失格だったら、この世の中にはお父さんはいなくなっちゃうよ?」
どきりと胸が高鳴った。あるわけがないとわかっているのに、俺は振り向いていた。
そこにはシルバーウルフの姿になったシリウスが立っていた。
「……シリウス?」
「久しぶりだね、パパ」
「……本当に、シリウスなのか?」
「……わぅ~、娘の顔を忘れたの? ひどいパパも──」
シリウスがお得意の皮肉を口にしていく。でもそれを最後まで聞くことはなかった。だって俺はすぐにシリウスを抱きしめた。もちろんベティを落とさないように注意して。
「……ごめんね、パパ。いきなりいなくなっちゃって」
「いいんだ。気にしなくて。気にしなくていいんだよ」
「でも、パパ泣いているの」
「当たり前だろう。せっかく会いに来てくれたんだ。泣かないわけがない」
視界はとっくに歪み、頬を熱い滴が伝っていく。仮面の下はもう涙でぐちゃぐちゃだった。でもそれも無理もない。だって愛娘にまた会えたんだ。目の前で死んでしまったこの子にまた会えたんだ。泣かないわけがなかった。
「……ばぁばに無理を言って会いに来たの。だからすぐに帰ることになるの」
「そっか。でも、それでもパパは嬉しいよ」
「わぅ。私もうれしい」
ぼそりと囁くようにシリウスは言う。素直じゃないこの子にしてみれば、ずいぶんと頑張ってくれた。それもまた俺には愛おしく堪らない。
「パパ」
「うん?」
「……生きているときは、散々憎まれ口を叩いたり、パパにひどいことを言ったりして、その」
「……いいんだ。なにも気にしていない。気にするわけがない」
「でも」
「いいんだ。それよりももっと顔を見せておくれ。シリウスの笑った顔がパパは見たいよ」
「……末っ子がいるのに?」
そう言って腕の中にいるベティを見やるシリウス。人差し指でちょんちょんとベティの頬を突っつくけれど、ベティの眠りは深いようで起きようとはしていない。でも、感じるものがあったのかな。シリウスの指先を小さな手でそっと握った。シリウスは少し驚いた顔をしたけれど、すぐに笑った。その笑顔はとても穏かだった。
「……わぅ、かわいいの。カティとは大違いなの」
「そんなことを言ったらカティが拗ねるよ?」
「いいもん。カティなんてすぐにわがままばっかりなの。それでいてなにかあるごとに「シリウスおねえちゃん、シリウスおねえちゃん」って目が見えないくせに後を追いかけてばっかりで、そのたびに私に心配を掛けさせて──」
「でも、かわいい妹だろう?」
「……知らない」
ふんだと顔を逸らすシリウス。でも、その尻尾は小さく揺れている。本当に素直じゃない子だ。でも、そういうところもかわいらしい。
「じゃあ、ベティはどうだい?」
「まだお話していないからわかんないけれど、かわいいと思う」
「そう。じゃあ、末の妹としてしっかり愛してあげてほしい」
「……私もう死んじゃっているよ?」
「それでも見守ってくれるだろう? シリウスは優しい子だから」
「……わぅ。できる限りは」
「そう。ならそれでいい」
シリウスの頭を撫でる。シリウスは耳をぴこぴこと動かしながら気持ちよさそうに目を細めていく。
でも、すぐに「あ」と言って俺から離れてしまった。その反応からして時間なのかもしれない。
「パパ、ごめんね。もう時間みたいだから。戻らないと」
「……そっか」
「でも、パパにはベティがまだいるよ。私もカティもベティを見守っているから。カティにはそう伝えておくの。だからパパ」
「うん?」
「ベティを私たちの分まで愛してあげてね。ちゃんとベティを愛してあげないともう会いに来てあげないんだからね」
人差し指で俺を差しながら、おかしなことを口にするシリウス。でも、それもシリウスらしい。
「……パパは愛情を注がないと思う?」
「ううん。思わない。だって──」
──私たちの大好きなパパはそんなことを絶対にしないもん。
シリウスはそう言って笑った。その笑顔は記憶の中のあの子の笑顔となんら変わらない。かわいらしくて、愛おしい笑顔のままだった。
※
「おとーさん」
「……ん」
「おとーさん、起きて」
ゆさゆさと体が揺さぶられていた。まぶたを開くと火の消えた暖炉と心配そうに俺を見つめるベティがいた。
「……ベティ?」
「ばぅ。おとーさん、こんなところで寝ているのはダメなの。さむいの」
ベティは頬をぷくっと膨らましている。とてもかわいらしい仕草だった。
「……寝ている?」
「ばぅ。おとーさんが寝ていたから起こしたの」
「……そっか、寝ていたのか」
なんだか不思議な夢を見ていた気がする。シリウスと会えた夢を見た気がしたけれど、内容はよく覚えていなかった。でも──。
『──』
シリウスが笑っていたことは覚えている。なにを言ったのかはわからないけれど、たしかにあの子は笑ってくれていた。そしてなにかしらの約束を交わしたはずだった。その内容もやっぱりわからない。
「おとーさん、ないているの?」
「……え?」
右目に手をやるとかすかに濡れたし、仮面の下も少し熱い。あの子のことを思い出して泣いていたようだった。
「……こわいゆめみたの?」
尻尾を丸めながらベティが言う。ベティは時折「怖い夢」を見る。それはベティ自身が体験した過去のできごとで、ベティが肉を食べられなくなった原因だった。その体験を時折夢で見ている。それがベティの「怖い夢」だ。その夢ばかりは俺にはどうしようもできない。できることはうなされているベティを抱きしめてあげることだけ。それが少しだけ情けなく思える。
だけど、今回は、俺が見たのは怖い夢でもない。ましてや悲しい夢でもない。ただ──。
「──嬉しい夢を見たんだよ。とてもとても嬉しい夢を。それでいて胸が温かくなる夢をね」
「どんなゆめなの?」
「そうだねぇ」
起き上がりながら暖炉に火をつける。まだ外は吹雪いている。暖炉の火が消えたせいで小屋の中はひどく寒い。
若干手が震えているけれど、不思議と寒くはなかった。時間はもうすっかり夜になっているみたいだけど、吹雪のせいで時間の経過がわかりづらい。外は相変わらず真っ暗だ。いまが朝か夜なのかはわかりづらかった。それでも時計を見る限りはもう夜になってしまっているようだった。
イリアとルリはいま小屋にはいない。昨日の夜からコサージュ村で依頼をこなしつつ、必要なものの買い出しを行っている。だからいま小屋の中にいるのは俺とベティだけだった。
「イリアやルリが帰ってくるまで、起きてその話をしようか。まぁ、話せる内容はほとんどないのだけど」
「そうなの?」
「うん。なにせ雪が見せてくれた夢だからね。あっさりと解けてしまったよ」
「ばぅ?」
どういうことと首を傾げるベティをそっと抱きしめながら、雪が見せてくれた夢を、うすぼんやりとした夢のことを思い出そうとする。でもやっぱり思い出せない。それでもいい。それでもあの子に会えたことには変わりないのだから。
(……本当に素直じゃないよな、シリウスは)
心の中でシリウスに語りかけながら、思い出せることをかいつまみながらベティに話していく。
吹雪は相変わらずだ。
自然の害意が形となったものは依然として容赦なく小屋に牙をむいている。
でも、いまはもう寒くはない。
腕の中に大切な娘がいる。そしていなくなってしまった娘と交わしたなにかしらの約束がある。たったふたつ。でも、されどふたつ。そのぬくもりがいまは凍えそうな体に熱を与えてくれていた。その熱に体を芯から暖めながら俺はベティが寝付くまで話をしていく。
寒い寒い雪の夜が見せた夢を、少しずつ遠ざかっていく夢を思い出しながら、大切な娘とのひとときを過ごしていった。
これにて何でも屋の今年の更新はおしまいです。
今年はダメダメでしたが、お付き合いいただきありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。




