rev1-62 殺し文句
「まま、まま」
「なぁに?」
「わぅ。よんだだけ」
「そっか」
「わぅん!」
眼下で行われている光景に俺は言葉を失っていた。
(……プロキオンがアンジュに懐くなんて、考えていなかったな)
言葉にすれば、たった一言ですむ。
でも、たった一言ですむ光景ではあるけれど、それは想像もしていなかった光景でもある。
プロキオンがシリウスのクローンであることは、ほぼ間違いない。甘えん坊なところはシリウスと同じだけれど、ほかの部分が少しずつ異なっている。
いま触れている毛並みは手入れがされていないからという理由もあるけれど、シリウスのそれとは異質な感触だった。シリウスの毛並みはとてもふわふわとしていた。それこそ高級のウールを思わせるくらいに。プロキオンのは、手入れがされていないことも含めても若干硬い。でも俺としてはどちらも好ましいとは思う。
体温も若干プロキオンの方が低い。シリウスはもう少し体温が高めだ。まぁ、雪山の中にいるから体温に差があるなんて当たり前かもしれないけれど、それでも記憶の中にあるシリウスのそれと比べると、プロキオンの体は少し冷たい。それでも俺には愛おしいと思えるぬくもりだった。
あとは性格にだいぶ違いがある。シリウスもプロキオンも甘えん坊な子だ。でも、同じ甘えん坊でも性質がやや異なる。
シリウスはパパである俺やママであるカルディアたちにだいぶべったりとしていた。けれど、縋ってはいなかった。甘えはするけれど、パパやママがいないとなにもできないんじゃないかって思えるほどに縋ってくることはなかった。
けれど、プロキオンは縋っているというか、依存していた。それこそパパとママがいないとなにもできないんじゃないかって思えるほどに。俺やカルディアたちがいきなりいなくなってしまったことへの反動だってことも考えられる。考えられるけれど、それでもシリウスは強い子だ。強すぎる子だったから、俺たちがいなくなってもここまで依存するような性格に変貌するとは考えづらい。むしろ別人だと、シリウスを元に造り出された存在だと考える方がよっぽど納得できる。
性格の違いと似た意味合いになるけれど、なによりもの違いは精神面の成熟さに大きな差があること。
本人の口から聞いていたけれど、シリウスはもう数百年も生きていたらしい。「刻の世界」と呼ばれる魔法を使って、数百年もの間修業を続けていた。そのため、あの子の精神はとっくに成熟したものにとなっていた。それこそ親である俺よりもよっぽど大人だった。ためらいなく自分の命を、俺たちのために捨てられるほどに。
プロキオンはそんなシリウスとはだいぶ違っていた。子供帰りしたんじゃないかって思うほどに、プロキオンの精神はかなり幼い。自我が芽生えて間もないくらいの子供っていう感じがする。この世界に来る前まで交流があった近所に住む子たちの中でも、小学生の子よりも幼稚園に通う子たちと同じような幼さがこの子にはあった。……それはシリウスが演じていた幼さとはまるで違う。演技ではなく素で行われているものだった。見た目は本来の姿になったシリウスとほとんど同じなのに、中身がまるで異なっていた。個人的にはそれでもかわいらしいと思えてしまうのは、親のひいき目からなのかもしれない。
(……わかってはいたけれど、改めて観察してみると、より一層に「違う」ってわかってしまうな)
別にシリウスだから愛して、プロキオンだから愛せないとは言わない。この子と過ごした時間はほぼ皆無だ。それでも俺はこの子を娘だと思える。いや、シリウスの双子の妹だと断言できる。運命の悪戯とでも言うべきものに翻弄されて俺たちの前に現れた、シリウスの双子の妹。それがこの子だった。
もしこの場にガルムとマーナがいたら、同じことを言っていただろう。「おまえはシリウスの双子の妹だ」って。「我らの愛おしい娘のひとりだ」とそう言ってあげていただろう。
でも、この場にガルムもマーナもいない。それどころか、カルディアたちだっていはしない。いるのは俺だけだ。そう、俺だけのはずだったのだけど、まさか──。
(──俺よりも先にアンジュに懐いてしまうなんてな。パパとしてはだいぶ複雑だな)
アンジュは俺の嫁でもなんでもない。まぁ、義妹ではあるが、それだけだ。それ以上でもそれ以下の関係でもない。
そんなアンジュをプロキオンが「ママ」と呼ぶようになるなんて想像もしていなかった。
でも、ある意味ではありえるかもしれないことだった。
アンジュはカルディアの妹だ。まだ確定した、とは言わない。でも、ほぼ間違いなくアンジュはカルディアの妹だと俺は思っている。
カルディアの妹だからこそ、プロキオンはアンジュに懐いたんだろう。もっと言えば、アンジュにカルディアを重ねている。いまのプロキオンはアンジュとカルディアの違いを理解できていないんだろう。プロキオンはアンジュをカルディアだと勘違いしている。
でも、それを指摘することはできない。
だっていまプロキオンが唯一心を開いているのは、アンジュだけだ。そのアンジュを「ママじゃない」と言ったところで信じることはしないだろう。かえって攻撃を仕掛けてくることもありえる。
だから俺ができるのはただ見守ってあげることくらいだ。
アンジュはプロキオンの鼻先にしがみつきながら、その鼻先を優しく撫でてあげている。その手つきもプロキオンを見つめるまなざしも、懐かしさを感じさせてくれる。
(……本当にカルディアとよく似ている)
いまのアンジュはシリウスとカティと一緒にいたときのカルディアとそっくりだった。さすがは双子なのかもしれない。
(双子の妹同士が親子になる、か。少し皮肉めいている気もするけれど、いままでのプロキオンが過ごした日々を考えれば、だいぶ健全かもしれないな)
その言動や姿を顧みれば、プロキオンがまともな生活を行ってきていないことは明らかだ。……あいつの性格を踏まえれば、プロキオンに対する仕打ちがどんなものなのかは明らかだった。そしていまなにをするかってことも含めて。
「……というわけだから、邪魔はさせないぞ、アルトリア」
振り返りながら魔鋼の刀を振るった。振るった刀身は金色の剣とぶつかり合った。その視線の先には胸元から血を流した仮面をつけた女が立っていた。
「……ふふふ、気づかれてしまいましたね。さすがは旦那様です。あぁ、どのようなお姿でも愛おしいです」
仮面をつけた女は興奮した様子でそう言った。その女の体は少し前までは完全に死んでいた。死体だったはず。その死体が動き出した。その死体に宿っているのは間違いなく、アルトリア本人だった。
「……趣味が悪いな。自分の偽物の死体を使うとか」
「ふふふ、そうですか。まぁ、そうですよね。旦那様は本物の私の方が」
「……黙れ。気狂い女」
「あら、ひどい。でも、その出来損ないは気に入ってくださったようで、なによりです。せっかくシリウスちゃんと同じ体とあの子の記憶をあげたというのに、ちっとも似ていないのですから。それどころか、アンデッドに落ちぶれるなんて本当にふざけた犬ですけれど、その犬でも旦那様が気に入ってくださるのでしたら、犬扱いから娘として扱っても──」
「……黙れと言ったぞ、アルトリア」
歯を噛み締めながら、アルトリアを睨み付けた。でも、その視線を受けてもアルトリアは怯むどころか、より興奮したようだった。
「あぁ。その目。その憎悪に満ちた目がとても凜々しいです。お優しい旦那様の目も私は好きですが、やはり憎悪に満ちあふれた目の方が旦那様らしい気がします」
「……知った口を叩くな」
「ふふふ、わかりますよ。だって最愛の人のことですもの。あなたのことであれば、このアルトリアはよくわかっております。あなたの本質は憎悪などの黒い感情に満ちあふれてこそだということをよくわかっております」
「ふざけたことを」
「ふふふ、本当のことですよ」
アルトリアの視線はどこか粘ついていた。全身を見えない蛇が這いずり回っているかのような不快感がある。最初は、出会った当初にはなかったもの。そしてきっと俺が引きずり出してしまったもの。
だからこそ精算しないといけない。贖罪を果たさなければならない。それが俺の為さねばならないことだった。
「……アルトリア。ずっと前から言おうと思っていた。でも、あえていま言おう」
「はい?」
「……俺はおまえを殺す。おまえを殺して楽にしてやる。それ以上狂わないようにしてやる」
「ふふふ、まさに殺し文句ですね。ですが、私としてはベッドの上でしたらいくらでも殺されていいのですが」
「ほざけ」
「あら、ひどい」
アルトリアが笑う。その笑い声を聞きながら、俺は戦うことを決意した。かつて愛し、いまは憎悪しか抱けない相手を殺すために。憎悪に満ちあふれた剣でその心臓を突き刺すための戦いを始めた。
これが「なんでもや」の今年最後の更新になるやもです←汗 まぁ、明日次第ですけども←




