rev1-59 Girl meets a daughter
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ごうごうと響く吹雪の音。
体の芯から熱を奪い取ろうとするもの。雪国において、もっとも恐ろしい物。
雪は他の地域で住む人にとってはきれいなものでしょう。人によっては浅く積もった雪を見て喜ぶ人もいるかもしれない。
でも、雪国の人にとってみれば、あれはただの恐怖でしかない。
悪意はない。
でも、たやすく命を奪い取る猛威。
それが雪。
特に吹雪はとても危険だった。
吹雪いたときは、一メートル先さえも見えなくなる。そのせいで家から少し離れただけで家の場所がわからなくなってしまうことさえもある。ぼんやりと影のようなものは見えるけれど、ほとんど目をあけていられないので、あまり意味はありません。
そのせいでわずかな距離を行き来しようとして亡くなってしまう人もそれなりにはいる。もっともそんな人はそこまで多くはありません。ほとんどの人は雪の恐怖を知っている。だから吹雪のときに外に出かける命知らずはそう多くはない。
中には命知らずではなく、外に出るしかない状況に陥ることもある。たとえば、家の中の薪がなくなってしまい、外にある薪を取りに向かおうとした結果ということもある。
もっともそこまですごい吹雪はそう多くはない。
でも時には猛威としかいいようのない吹雪が起こることもある。
そんなときは家の中に籠もるしか対処法はない。たとえ魔法があっても自然の猛威には人は勝てないのだから。
そんな吹雪の音を間近で聞きながら、私は必死になっていた。必死になってシリウスちゃんの頭の毛を掴みながら、霊水を振りかけていた。
「……アンジュ、大丈夫か?」
レンさんの声がすぐそばから聞こえてくるけれど、答える余裕なんてあるわけもない。それでも私は「だいじょーぶです!」と大声を上げた。そのくらいの大声でなくては吹雪の音に負けてしまいそうだった。
私がそんな状態だというのに、レンさんは声を張り上げることもなく、平然と話していた。そのうえちゃんと声が聞こえているのだから不思議なものです。
「まぁ、それだけ声を張り上げられれば大丈夫か」
レンさんは笑っていた。
なんでこの人はこんなにも余裕があるのか、さっぱりと理解できない。
理解できないけれど、いま私がするべきなのは霊水をシリウスちゃんに振りかけること。それ以外に私にできることなんてなかった。
そもそもシリウスちゃんとはまともに話したこともないし、どういう子なのかもよくはわからない。
でも、レンさんがどれほどまでにシリウスちゃんを愛されているのかはわかる。どれほどにシリウスちゃんを大切に想っているのかは言葉がなくても、そのまなざしや触れる手つきだけで理解できた。……少しだけ羨ましいと思った。その意味はよくわからない。けれど羨ましいなとなぜか思ってしまった。
「さむいよ、ぱぱ。どこ? どこにいるの? わたしはここにいるの!」
シリウスちゃんが泣いていた。鳴きながら泣いてレンさんを探していた。レンさんはシリウスちゃんのすぐそばにいる。でもシリウスちゃんはそのことを理解できないでいる。こんなにも近くにいるのに、シリウスちゃんはそのことには気づけないでいる。なんとも悲しいことです。
「……パパはここにいるよ。君のすぐそばにいる」
レンさんがシリウスちゃんの頭を撫でていく。でもシリウスちゃんはそのことには気づけない。それでもレンさんはシリウスちゃんの頭を撫でるのをやめようとはしていない。それどころか、シリウスちゃんが泣けば泣くほど愛情を込められているのがわかった。
「まま、ぱぱがいないの。ぱぱがいなくなったの。まま、まま?」
今度はお母さんを探し始めるシリウスちゃん。でもレンさんとは違い、シリウスちゃんのお母さんはいない。そのことに気づいたのか、シリウスちゃんはまた泣き始めてしまった。お父さんであるレンさんには気づけず、どこにもいないお母さんを必死に探すシリウスちゃん。その姿は哀れでした。迷子を見ているかのよう。
(……どうにかしてあげたいけれど)
普通の迷子、まぁ、迷子を普通と言っていいかどうかはわからないけれど、一般的な迷子であれば、いくらでも助けてあげることはできる。たとえば一緒に親御さんを探してあげたり、親御さんとの待ち合わせ場所があったら、親御さんが来られるまで一緒にいてあげたりなど、いろんな方法がある。
でも、シリウスちゃんにはどうしてあげることもできない。
シリウスちゃんにはいまなにも見えていない。
目が見えていないわけじゃない。単純に自身の周囲のものを確認できなくなっているだけ。でもそれがなによりも痛々しい。
どんなに泣き叫んでも、縋ろうとしているものがすぐそばにいるのに気づけない。それはとても辛いことです。
でも私にはなにもできない。
シリウスちゃんのことをなにも知らない私にとって、この子を助けてあげることなんて──。
『できるよ。あなたなら絶対にできる。私はそう信じているもの。あなたならその子を助けてあげられる。その子を、もうひとりのシリウスを助けてあげられるって信じている』
──助けてあげることなんてできない。そう思っていたら、知らない人の声がまた聞こえてきた。
誰の声だろうと思っていたら。いや、その声に気を取られてしまった。必死になって掴んでいた手から力がわずかに抜けてしまった。普段であれば、慌てて掴み直せばいい。でもいまの私には掴み直す力はなくなっていた。私はシリウスちゃんの頭から滑り落ちてしまった。
「アンジュ!?」
レンさんが慌てて手を伸ばすけれど、その手を掴むことはできず、私はそのままシリウスちゃんの頭から滑り落ちた。
(このままじゃ)
死んでしまう。はっきりと自分でもわかった。私は必死になった。必死になってそれを掴んだ。いや、全身でそれに掴まった。
「……わぅ?」
掴まったそれは少し湿っていた。でも、少しだけ暖かかった。それ以上にどこからか視線を感じた。滑落した恐怖と生にしがみついた安堵から息が乱れていたけれど、ゆっくりと顔を上げて視線を感じる方を見やると、そこには大きなふたつの目が見えた。紅い瞳が私を見つめている。
(もしかして、私がしがみついているのって、シリウスちゃんのお鼻?)
どうやら私が掴んでいた頭の位置は、どうやら顔のすぐ上だった模様。そこから滑り落ちて、しがみつくとなればお鼻になってしまったようです。
でも、助かったとは言い切れない。
だってシリウスちゃんのすぐ目の前にいるのです。
いくらシリウスちゃんが錯乱状態だったとしても、目の前にいればさすがに気づく。実際にシリウスちゃんは私をじっと見つめていた。
(あ、これ、下手したら食べられてしまうような)
どう考えてもいまの私はシリウスちゃんにとっては、ご飯という扱いになってしまう。なにせシリウスちゃんが頭を動かせば私なんてぺろりとシリウスちゃんのお口の中です。
(結局死んでしまうのね)
必死になって生にしがみついたというのに、それも意味がなかった。もはや諦めるしかなかった。
(短い人生でした)
諦観を胸に秘めて、シリウスちゃんの次の行動を待っていると、シリウスちゃんの目が濡れ始めた。本当に大きな涙がこぼれ落ちていき、そして──。
「……みつけた」
「……ほえ?」
「やっと、やっとあえたの、まま」
──シリウスちゃんはとても嬉しそうに私を「まま」と呼び、とても嬉しそうに笑ってくれたのでした。




