rev1-57 姉と妹、そして母と娘
殺す気だった。
いや、殺すつもりだった。
継嗣のまがい物が作ってくれた、絶好の機会だった。
ティアリカは我を忘れていた。いったいなぜそうなったのかまではわからんし、興味もない。
だが、我を忘れて激高していることは事実。激高しているがゆえに、隙だらけだった。その隙を衝くことに躊躇はなかった。
戦える時間ももう残り少ない。これ以上はカティの体が耐えられぬ。正確に言えば、カティの体が壊れ出す。先ほどから軋むような音が体の各所から聞こえていた。その音をティアリカには聞こえていないだろうが、どちらにしろ、これ以上戦えば肉が裂け、骨が砕けることは明らかだった。
ゆえにこの機会を狙うしかなかった。
ティアリカは強い。世界最強の剣士の片割れであることは伊達ではない。
ゆえに下手な手加減はできぬ。一撃で殺すことしかなかった。でなければ、こちらが殺される。元の体があれば問題はなかった。徐々にティアリカの戦力を奪っていけばいいだけだった。
しかし元の体はすでになく、いまの体はカティの物。そのカティの体では30分くらいしかまともに戦えない。それもある程度制限したうえだ。
だが、カティ以上の体はそうあるわけがない。
カティとの親和性はこれ以上となく高い。
それでも制限時間があるのは、存在の格の違いゆえだ。
神獣として産まれた我と、神代に産まれたとはいえ、ただの魔物であったカティとでは存在の格が違いすぎる。
そんなカティの体では我の力を十全に振るうことは叶わぬ。
ゆえに制限を掛けざるをえない。
それゆえの苦戦だった。
だからこそ、これ以上に手加減はできぬ。
制限ぎりぎりの力を以て殺すしかなかった。
(カティには恨まれてしまうな)
だが、それでもこれ以上カティが母と慕うティアリカの手を血で染めさせないためには、殺す以外に方法はない。
拳を強く握りしめる。制限ぎりぎりの魔力を拳に収束させる。
技というわけではない。ただ拳に魔力を溜めて殴りつける。それだけの攻撃。
しかし神獣であった我の魔力を制限ありとはいえ、収束させて殴りつけるのだ。耐えられるのは同じ神獣くらいだろう。世界最強の剣士であったとしても、あくまでも人というくくりでの最強格でしかないティアリカでは耐えられぬ。
加えて、抵抗できぬように収束する魔力の質を変える。集める魔力は「刻」のもの。ティアリカは「刻」属性は使えぬ。いくらか適正はあるようだが、「刻」属性そのものを行使できるわけではなかった。
ゆえに抵抗はできない。
すでにティアリカの懐に飛び込んでいる。あとは心臓を抉るようにして撃ち出せばいい。
「さらばだ、剣仙!」
収束した灰色の魔力を帯びた拳をまっすぐに撃ちだそうとした。そのとき。
「ルリおねーちゃん、ダメ!」
不意に背後から声を掛けられてしまった。
見れば、イリアに抱かれたベティが頬をぷくっと膨らまして我を睨んでいる。殺し合いをしている殺伐な状況であるというのに、ベティの姿は殺伐とした雰囲気でさえも弛緩させてくれる。
だが、現時点ではそれは悪手である。
絶好の機会を潰されてしまった。むしろ、振り向いてしまったことでかえってこちらが隙を晒すことになった。
(万事休すか?)
背筋を冷たい汗が伝った。だが、どうしてか訪れるだろう瞬間は訪れない。「なぜだ?」と思い、振り返るとそこには呆然とした表情で涙を流すティアリカがいた。
「……かてぃ?」
ティアリカはベティをカティと見間違えているようだった。
もちろんベティはカティではない。名前は似ているが、見た目もそれなりに違うし、カティとは違って失明しているわけでもない。
しかしベティもカティもレンの娘であることは同じだ。種族もグレーウルフであることは同じ。まぁ、カティはクロノスウルフに進化していたため、正確には同じ種族というわけではない。あくまでも同じ特殊進化した個体というだけのこと。
それでも、ティアリカにとってカティはグレーウルフだった頃の、失明していた頃のカティなのだろう。そのカティを想わせるベティの姿にティアリカは固まってしまった。
まだ拳には魔力が収束している。この機会を逃すべきではない。そう、逃すべきではないのだが──。
「ばぅぅぅ」
──ベティが許してくれそうにない。
ベティは我を睨みつつも、その目尻には涙を溜めさせていた。その目に我は弱いのだ。
だが、これ以上とない機会であることも事実だ。
とはいえ、ベティが許してくれそうにもない。
どうしたらいいのか、さっぱりとわからぬ。
どうしたものか、と頭を悩ませていると──。
『……本当に困ったママとおばあちゃんだよね』
──不意に聞こえるはずのない声が聞こえた。聞き間違えるはずのない声。その声に我がその名を告げようとするよりも早く、体の自由が利かなくなっていく。
「……娘を見間違えるのはどうか思うよ、ティアリカママ」
体の自由が利かなくなると同時に、ずっと待ち望んでいた声が聞こえてくる。ずっと聞きたかった声。その声に我は声を震わせ、その名を告げる。そしてそれはティアリカもまた同じだった。
「……カティ」
「ばぅ? カティおねえちゃん?」
我の声とティアリカの声が重なった。その声にベティはそれまで膨らませていた頬を縮ませて、目をぱちくりと瞬きさせていた。
そんなベティをカティは見つめていた。カティの体はいまカティが使っている。以前と同じように、カティの目を通して我も目の前の光景を見つめている。
「ふふふ、おばあちゃんが気に入りそうな子だね。うんうん、かわいい妹だ。これはパパも放っておかないのも当然だね」
カティは嬉しそうだった。
嬉しそうに笑いながら、ベティのそばにまで一瞬で近寄った。
「ばぅ?」
「いまのは、「刻」属性の?」
「うん。「刻」属性の魔法を使った移動術だね、アイリス、じゃなくて、イリアさんでいいんだっけ?」
「え、ええ」
イリアもベティも驚いていた。
それは我も同じではあるのだが。いまカティが使ったのは「刻」属性の魔法を使った特殊な移動術。「縮地」と呼ばれるもの。「縮地」はまだその先もあるが、「縮地」に至れる者はそう多くない。その「縮地」をカティは使っていた。少なくとも我に体を差しだすまでは至っていなかったはずだったのに。
「ん~、よくわかんないけれど、できるようになったみたい」
『できるようになったみたい、って』
「まぁ、そんなことはどうでもいいの。それよりも、ベティ」
「ばぅ?」
「お姉ちゃんはすぐに引っ込んでしまうけれど、おばあちゃんとパパ、あとイリアさんのことはよろしく頼むね」
「……ばぅ、わかったの」
「うん、いい子だね」
しゅたっと元気よく手を上げるベティ。そんなベティの頭を優しく撫でるカティ。
おそらく、ベティはカティの言う意味をほぼ理解しておらん。それでもなお、ベティは頷いた。いま初めて会った姉を信じてくれた。そんなベティをカティは愛おしそうに見つめている。
ふたりとも初めて会ったというのに、もう姉妹になってくれている。それが無性に嬉しく、そして悲しくもある。
これが最後かもしれぬ姉妹のやり取りを見て、なにも思わぬわけがなかった。しかしその運命を変えることはできない。無力感にうちひしがれながら、ふたりのやり取りを見守っていると、カティは「さて、と」と言って、ベティの頭から手を離すと躊躇うことなく振り返った。
「さぁて、お話しようか、ティアリカママ」
カティはティアリカににこやかに笑いかけた。ティアリカはいまだ呆然としたまま、カティを見つめていた。




