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rev1-50 隙

 雪原が染まっていく。


 白銀の大地が血を吸い上げて、真っ赤に染まっていく。真っ赤に染まる大地はまるで燃え上がっているかのようだ。


 でも、炎は白銀の大地を溶かすことはない。ただただ染め上げていくだけ。


 そんな染められた世界の中で、彼女はゆっくりと横たわっている。命の灯火が燃え尽き掛かっているのがはっきりと理解できた。


「イリアぁっ!」


 アンジュを手放し、横たわったイリアを抱きかかえる。後ろで不平を漏らす声が一瞬聞こえたけれど、その声もすぐにやみ、イリアを必死に呼びかける声にと変わった。


「イリア、イリア、イリア! しっかりしろ、イリア!」


「イリアさん!」


 アンジュは泣きながらイリアを呼びかけていた。でも、イリアは返事をまともにしてくれていない。ただ荒い呼吸を繰り返すだけだ。唇からは呼気とともに赤黒い血を時折吐き出している。いまにも呼吸が止まってしまってもおかしくはなかった。


「あるじ、さま」


 イリアがいつもとは違う呼び方を、本来の呼び方をしてくれた。「レン様」の方が呼びやすいだろうに、あえて「主様」と俺がいまの俺になる前の呼び方をしてくれている。それが胸を騒がせていく。


「……どうにか、お守りできました」


 ふふふ、と場違いなことをイリアは言った。場違いなことを言って笑っていた。仮面越しでもその笑みをはっきりと想像できた。まだアイリスだった頃の彼女の笑顔が、アルトリアの力で一緒に閉じ込められたときに見た、彼女本来の笑みが鮮やかに浮かび上がった。その笑顔がかえって不安を煽ってくれた。


「バカ、野郎! なんで、なんで!」


「……従者ですから。あなたをお守りすることが私の使命です」


「そんなことは聞いていない! なんで」


「……どうして、でしょうね。従者になるまではあんなにも憎かったのに。いまはその憎さが曖昧になってしまいました。あの頃の私ならあなたをこんな風に身を挺してまで助けようとは思わなかったのに」


 くすくすとおかしそうにイリアが笑っている。笑っているのに、心がちっとも休まらない。悲しさだけが募っていく。


「……それはあなたが旦那様に恋をしたからでしょう? わかりますよ、あなたの気持ちは。それゆえにでしょうね。あなたへの苛立ちが止まりません」


 不意に影が差した。見上げるとそこにはティアリカが薄い笑みを浮かべていた。その手には剣はない。だが、ティアリカの目には妖しい光が宿っている。イリアにトドメを差そうとしているのだということは明らかだった。


「やめろ、ティアリカ、やめてくれ!」


「なんのことでしょう? 手前はただ仕上げをするだけです」


「仕上げ、だと?」


「はい。その張り型を壊すための仕上げです」


 弧を描くようにして笑いながら、ティアリカは鞘のようなものを懐から取り出した。真っ黒な鞘には納まっているはずの刀剣類は見えない。けれど、鞘の大きさからしてもともと納められていた刀剣はそこまで長くはないものだということがわかる。それこそイリアの胸を貫通している小刀ぐらい。


「それは」


「その張り型の胸を貫いた小刀のものです。よくできているでしょう? この呪具は」


 呪具。ティアリカが口にしたその一言で、彼女がイリアを壊すと言った意味を理解できた。

「詠え、呪殺剣。それはあなたの生け贄です。その身を蝕み、時を掛けて後悔させよ」


 ティアリカは笑いながら詠った。その瞬間、イリアの体が大きく跳ねた。真っ赤な血が宙を舞っている。血が宙を舞う中、イリアは胸を押さえて体を震わせながら、俺の腕の中で激しく身動ぎしていく。


 見ればイリアの胸の剣がまるで意思を持つようにしてイリアの胸の奥へと埋没していく。それがイリアを苦しめていることは明らかなのだけど、イリアを苦しめる小刀はすでに柄までが埋没していて引き抜くことはできない。


 仮に引き抜けたとしても、イリアへのダメージが予想できない以上、なにもすることができなかった。ただイリアが苦悶する様を見ていることかできない。そんなイリアの姿を見て、ティアリカはおかしそうに笑っていた。


「あっはははは! いいですね、いいですよ! とても美しい舞ですねぇ! 私たちがいない間に旦那様に取り入ろうとする張り型風情がするには、相応しい舞ではないですか。ええ、ええ、こんな美しい舞はそうそう見られませんねぇ。レア姉様もこの舞であれば、ご満足していただけるでしょうね」


 ティアリカは笑っている。イリアの悶える姿を見て、「舞」と言い切った。こんなものが「舞」だとティアリカは言った。


「ふざけるな! イリアになにを」


「簡単ですよ。かつてあなたが胸を突き刺されたときと同じです。そう、あの死体をかばったときにルシフェニアの兵隊に全身を突き刺されたときと同じ剣を、いえ、あのときよりも遙かに強力になった剣で呪いました。それはもう助かりません。いまのままでは、ね?」


 ティアリカが見せびらかすようにして鞘を向けてくる。その意味することはひとつしか考えられなかった。


「その鞘か?」


「ええ。この鞘で「解呪」と詠えば、呪いからは解放されますよ。まぁ、時間制限付きですけどね?」


「時間制限?」


 聞き返しながら、視線をあらぬ方へと向ける。ティアリカに気づかれないようにしながら合図を送っていく。ティアリカはそのことには気づいていないのか、大仰な手振り身振りで話をしていた。


「はい。時間制限があります。その制限内にこの鞘を使わねば、その張り型は見るも無惨に死にますよ。あの死体と同様にね?」


「……おまえ」


 怒りが沸き起こる。目の前が真っ赤になるような怒り。その怒りを愛する人へと向けていく。そんな自分がどこか悲しく、そして空しかった。でも、その悲しみも空しさも、そして身に宿る怒りさえも押し込んでいく。いまは情報を得ること。そしてその隙を見出すこと。それが重要だった。


「それにしてもやはり手前の腕は素晴らしい。不完全だった呪殺剣をこれ以上となく強化できました。いままので呪殺剣では、「これは危険物ですよ」といういかにもな見た目の剣では相手に怪しまれてしまうだけ。大事なことはいかに相手に怪しまれずに致命傷を与えるかですから。その点、この小刀のサイズかつ通常の見た目であれば、相手に致命傷を与えることがたやすくなります。なにせ相手は小刀で切りつけられたとしか考えませんからね。だからこそ、その張り型は致命傷を負うわけになったわけですけども」


 あははははとまた高笑いをするティアリカ。怒りが膨れ上がる。その一方で冷静な部分がティアリカの背後を捉えていた。チャンスは一度。でも十分に可能性はある。


「やるぞ」と視線を向けてから、俺はイリアを地面に寝かせると、そのまま一気に駆け出した。


「ふふふ、まだ話の途中だというのに、我慢がきかなくなったんです?」


 くすくすと笑いつつ、ティアリカは後ろへと下がった。そのとき。


「油断をしたな、「剣仙」」


 ティアリカの後ろから声が掛かる。


 ティアリカが振り返るのと同時に、ルリがその懐に入り込んでいた。ティアリカは入り込んできたルリを見て目を見開いていた。


「カティ?」


 震える声でルリを見て「カティ」と呟いた。その呼び名に後ろから疑問の声が聞こえたが、それよりも速くルリは言った。


「……久しぶりだね、ティアリカママ」


 ティアリカの動揺を誘うようにして、カティの振りをしながらティアリカを呼んだ。その一言にティアリカは息をのんだ。その隙を衝いてルリの腕はまっすぐにティアリカの持つ鞘へと向けられたんだ。

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