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rev1-45 一点集中

 レンさんの動きが明確に変わった。


 相変わらず私を抱き留めたままだけど、その手にはそれまでになかった剣が握られている。その剣を握ったまま、レンさんはシリウスちゃんに向かって突撃していく。


 露わになっている右目はまっすぐにシリウスちゃんを射貫いている。射貫きつつも、その目は悲しそうだった。


 闘いたくない。傷つけたくない。そして泣いているところを見たくない。


 そんな感情にレンさんの目は彩られていた。


 それでもなおレンさんはその手にある剣をゆっくりと振るった。ちょうどシリウスちゃんの右脚が振り下ろされ、地面を叩きつけてすぐ。シリウスちゃんの前脚の内側──人で言えば手首のあたりに向けて剣を振るっていた。


「ガァっ!」


 シリウスちゃんの声が変わった。体の大きさとレンさんの剣の大きさを踏まえると、虫に刺されたようなものでしかないんでしょうけど、それでもわずかな痛みがあったようです。剣で切りつけられたのに、虫刺されのようなものでしかないというのはありえないことですが。


 それでもシリウスちゃんに対してダメージがあったことは間違いない。でも、そのダメージに反してレンさんは傷ついているように見えた。


 娘さんを攻撃しているのだから、レンさん自身が傷つくのは当然だった。ベティちゃんとのやりとりを見ているだけで、レンさんがどれだけ娘さんを溺愛しているのはあきらか。その娘さんと、操られている娘さんと闘わなければならない。それがどれほど苦痛であるのかは私には想像もできない。


 それでもレンさんは一度攻撃した手を緩めなかった。一撃ではわずかなダメージにしかならないのであれば、と何度も攻撃を仕掛けていく。その攻撃をシリウスちゃんは避けられないでいる。


 相対的にも、絶対的にもシリウスちゃんは大きかった。その大きさゆえにレンさんや私たちはもはや虫同然なんでしょう。その虫をなぎ払う。人間であってもやや難しいこと。ちょうど目の前にいるのであればともかく、体の下に入り込まれてしまったうえに的確に動かれてしまうと難易度は跳ね上がる。跳ね上がるけれど、やりようはあった。


「ガァっ!」


 そのやりようがあることをシリウスちゃんは早速実行してきた。シリウスちゃんの巨体が勢いよく落ちてくる。まるで空が落ちてきたかのような圧倒的な重量感が迫ってくる。


 体の下にいるのであれば、体全体で押しつぶす。それが一番手っ取り早い。けれど、それはレンさんもわかりきっていることです。


「甘い」


 レンさんが呟くと、一気に光景が変わる。シリウスちゃんの体の下から一足飛びでその範囲外に抜け出してしまった。それからすぐにドォォンという重たい音を立てて、シリウスちゃんの巨体が地面に埋まる。地面が揺らめき、積もっていた雪が噴水のように宙を舞っていく。その後、大きな音が、地面がずれる音とともに地面が動いていく様を感じながら宙を舞う方を見つめた。


 その舞う雪の向こう側に四肢を投げ出して地面に横になっているシリウスちゃんがいる。普通の大きさの犬であれば、かわいらしい姿だとも言える。


 けれど周囲の被害を見る限り、雪の下の地面が陥没し、大量の雪や岩が麓へと落下していく様を、明らかな雪崩を起こした姿を見る限り、かわいらしいとはとてもではないけれど言えなかった。


 むしろ、私たちはよく雪崩に巻き込まれなかったなと思うほどに、いまの一撃は致命的なものだった。わずかにずれる程度では避けきれない攻撃。いや、シリウスちゃんにとっては攻撃にもなっていない。ただ倒れただけ。それでも私たちにとっては十分すぎるほどの致命的な攻撃でした。


 そんな大破壊を巻き起こしたシリウスちゃんはゆっくりと立ち上がろうとしている。四肢を投げ出したことで即座に立ち上がることができないようです。人間もああして四肢を投げ出した体勢から起き上がるには、いくらかの動作が必要になる。


 それがシリウスちゃんのような狼の姿であれば、それも倒れ込むだけで雪崩を引き起こすような巨体であれば、より必要な動作は増える。そしてそれはレンさんたちにとっては絶好の攻撃機会でもありました。


「レン様!」


「仕掛けるぞ」


「おう!」


 イリアさんの声にレンさんが答え、そのレンさんの言葉にルリさんが応えました。それから始まったのは「シエロ」の方々が一斉に突撃するというもの。それも少しずつ時間をおいての一斉攻撃。


 真っ先に突撃したのはイリアさんで、いつのまにか握っていた紅い剣でシリウスちゃんの脚の内側を、レンさんが最初に攻撃した手首のあたりを切りつけながら一気に離脱していく。


 その後に続いたのはルリさん。レンさんとイリアさんとは違い、その手にはなんの得物も握られていなかった。でもルリさんの両手はそれぞれに白と黒のふたつの光に彩られていた。その両手をそれぞれに振るったみたいですが、私にはその軌道は一切見えなかった。気づいたときにはルリさんはイリアさん同様にシリウスちゃんの体の下から離脱していく。


 最後に突撃したのは私を抱きかかえたレンさんでした。でもふたりとは違い、レンさんは手に持っていた剣をなぜか鞘に納めていた。いったいなんでと思っていると、レンさんが「ちょっと我慢していろ」と言われました。なんのことだろうと思っていると、レンさんはなんの躊躇もなく私を宙に放り投げた。


「へ? えぇぇぇぇぇ!?」


 いきなりのことに私が動転してしまったのは言うまでもありません。私が動転している中、レンさんはまっすぐにシリウスちゃんの体の下へと駆け寄ると、納めていた剣の柄に握るやいなや光が走りました。遠くから雪崩の音が聞こえているのに、チィンという小さな音がたしかに聞こえた。


 レンさんはイリアさんたち同様にシリウスちゃんの体の下から抜け出すと、弧を描くようにして雪の上を駆け抜けると、飛び上がり私を再び抱き留めてくれました。時間にしてみれば、ほんのわずか、ほんの数秒という空中浮遊のあとに再びすっぽりとレンさんの腕の中に納まることになっていた。ほんの数秒でも空中にいたというのは初めての経験でした。そう、初めてのはずなんですけど、なんでだろう? ずっと昔に笑い声とともにああして空中にいたような覚えがあるのは? まぁ、きっと気のせいですよね、うん。


 とにかく、そうして「シエロ」のお三方の連続攻撃はすべてシリウスちゃんの手首にと

集中していた。その結果、シリウスちゃんは尾を引く叫び声を上げながら、立ち上がろうとしていた体を再び地面に押しつけることになった。レンさんの一撃から始まった一点集中の連続攻撃により、腱を損傷したようです。


 シリウスちゃんは前脚を抑え込みながら唸っていた。その姿は痛みに泣いているように見えます。


 そんなシリウスちゃんを見て、レンさんの右目が痛ましそうに歪められました。


「……どんな巨体だろうと、動きを封じれれば、その脅威は半減するってことだ」


 レンさんは淡々としながら、剣を仮面の女へと向けました。


「さぁ、次はおまえの番だ」


 レンの口調は固い。それだけレンさんの怒りが大きいということ。その大きな怒りを向けられながらも仮面の女は笑っている。その笑顔はとても妖艶で、そしてとても不気味だった。その不気味な笑い声が雪崩の音とともにこだましていた。

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