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rev1-44 最低な祈りを胸に秘めて

 アンジュの目の色が変わっていた。


 それまでは悲哀に満ちていたのが、いまや怒りの色に染まっている。普段の俺と同じ色だ。俺の場合は正確には怒りから来る憎悪のものだけど、アンジュのそれはまだ怒りの色だ。まだ戻ることができる感情で留まっている。……俺とは違って、まだ戻ることができる目をしている。


(おまえはまだ戻れるんだな)


 アンジュを見ていて思ったのは、真っ先に感じたのはそれだ。アンジュはまだ戻ることができる。いまの戦いが終わってもきっとまだ彼女は元通りに戻ることもできるだろう。俺はこの戦いが終わったところで戻ることはできない。


 だって、この戦いでは俺の憎悪が消えるわけじゃない。ただ、鬱憤が少し晴れると言う程度だ。いや、仮にこの戦いで憎悪が消えたとしても、俺はもう元には戻れない。喪ったすべてを取り戻すか、この世界を壊さない限り、俺は止まらない。


 そもそも喪ったすべてを取り戻すことは望めない。カルディアのように死んだ者が戻ってくることはない。そのカルディアとてもう戻ってきてくれることはない。だから喪ったすべてを取り戻すことはできない。


 そしてこの世界を壊したとしても、元に戻ることなんてできるわけもない。世界を壊したとき、確実に被害は出る。被害を出す前提であるのに、被害が出ることを享受しているというのに、どうやって笑うことができる? 笑えるわけがない。


 だから俺はどうあっても元には戻れない。戻っていいわけがない。すべてを取り戻すこともできず、世界を壊すことを目的にしている俺がどうして元に戻れる? 


 そんな俺とは違って、アンジュはまだ戻ることはできるはずだ。もっともコサージュ村がどうなっているのかという問題もあるけれど。


 それでもきっとアンジュは戻れる。戻ることができるはずだ。そんな彼女が少しだけ羨ましいと思える。


(……終わったら、コサージュ村にアンジュを送り届けて、そのまま出て行くか)


 もともと長居する予定はなかった。


 それが気づけば、このままこの村に永住しそうになっていた。……世界を壊すことを目的にしているくせに、このまま安寧な日々を送るのも悪くはないと思っている俺自身がいた。それだけこの村の居心地はよかった。心に負った傷もいつかは冬の寒さがすべてを凍らせてくれるだろうとさえ思っていた。


 でも、それももう終わりにしておくべきだ。


 アルトリアたち、ルシフェニアの連中に嗅ぎつけられてしまった。いままでは嗅ぎつけられても、これといったアクションはなかった。せいぜいディーネが送られてきた程度だった。


 でも、いまここにアルトリアが来た。


 このままここに留まってもまたアルトリアは訪れる。それも今回以上の被害を以て。今回の被害もどこまで及んでいるのかもまだわからない。


 だが、少なくともコサージュ村へのなにかしらの被害は出ている。


 やはり、ここいらが潮時だろう。


 アンジュを送り届けて、コサージュ村を出る。


 もう俺の中での腹は決まっている。


 だが、それはこの戦いが終わってからだ。いまは戦いに集中しよう。


「オォォォォォ」


 プロキオンが叫んでいた。


 泣き叫びながら、巨大化した前脚を振り下ろしてくる。


 ドォォォンという音を立てて、地面が震えている。いまにも雪崩が起きてもおかしくはない。いや、きっとどこかでは雪崩が起きている可能性が高い。その雪崩がどこかの集落に被害を及ばせている可能性とて高かった。雪崩に巻き込まれた集落がどうなるのかなんて考えるまでもなかった。戦いが長引けば長引くほど、被害が多くなる。命が削られていく。


 これ以上の命が喪われないためには、早めに終わらすべきだ。終わらすためには、プロキオンを止める必要がある。その場合、一番手っ取り早いのはプロキオンを殺すこと。


 でも、プロキオンは俺の娘だ。娘を殺すなんてことはしたくない。いや、娘が死ぬところなんてもう見たくない。それ以上に娘を傷つけたくない。


 だけど、その甘えが被害を広範囲に及ばせてしまう。


 どうするべきなのか。


 プロキオンの攻撃はとても単純だ。前脚を振り上げてから叩きつけるという攻撃か、時折地面ごと抉って噛みついてくるかの二通りしかない。


 そのどちらも予備動作が大きすぎて、予測自体は簡単にできる。ただ広範囲すぎて回避するのがやや難しいけれど、それでもいまこの場にいる全員、戦闘要員の誰もが回避は余裕で行えていた。


 ついでに俺はもう攻撃できるチャンスが見えている。


 プロキオンには意思がなくなっている。あるにはあるが、泣き叫ぶこととアルトリアの命令を聞くことしかできない。


 もっともプロキオン自体、戦闘技術が拙いため、意識があったところで対応自体はそこまで難しくはない。シリウス同様にセンスはあるのだけど、技術がまだ伴っていない。それは巨大化したことでより顕著になっている。


 だからこそ隙は見える。隙しかない。


 でも、その隙をあえてアルトリアは見逃しているようだった。


 アルトリアがわざわざ見逃すとは思えないし、あの女のことだ。


 俺がプロキオンを攻撃できないことを理解している。理解したうえで隙だらけの攻撃をさせているんだろう。


(踏み絵のつもりか)


 プロキオンのことを娘と俺は言った。それがどこまで本気なのかを確認したいのかもしれない。娘を攻撃できるかどうかの踏み絵。それがプロキオンなのだろう。そしてもしプロキオンに攻撃ができないのであれば、プロキオンを切り札にするつもりなんだろう。俺を手に入れるための切り札としてプロキオンを見出す可能性が高い。


 いや、もともとプロキオンをそのつもりで造り出したんだろうな。


 どこまでも俺の神経を逆撫でしてくれるものだ。


 とはいえ、だ。アルトリアの手は効果的だった。


 事実、攻撃のチャンスを見出しはしているけれど、俺はまだ手を出せていない。


 でも、いつまでも手を出さないわけにはいかない。


 これ以上無用な被害を出さないためには、攻撃を仕掛けるしかなかった。


「……ごめんな、プロキオン。少しだけ痛いけれど、我慢してくれ」


 アンジュを抱きかかえながら、魔鋼の刀を抜いた。


 プロキオンの巨体を思えば、刀というよりも針や毛のようなものだろう。


 それでも武器であることには変わりない。その一撃は決して侮れない。


「あらあら、娘と言った相手に攻撃を仕掛けるおつもりで?」


「……娘だからだよ。だから俺は助ける。おまえに俺の娘をこれ以上苦しませはしない」


 魔鋼の刀を片手で構えながら俺は一気に駆け抜けた。プロキオンの懐へと向かって周囲の景色を置いてけぼりにするつもりで全力で駆け抜けた。


 狙いはいまのところわからない。仮にあったところで、プロキオンは巨体すぎる。その部位を攻撃できるかもわからない。


 それでもいまは蟻の一穴のように徐々に攻めるしかない。早めに終わらしたいけど、いまはまだそれが見えない。見えないいまは長期戦を挑むしかなかった。プロキオンを余計に苦しませてしまうけど、助け出した後にそのことは何度でも謝ろう。だからいまは、いまだけは──。


「耐えておくれ、プロキオン」


──いまだけは傷つけることを許してほしい。手を上げてしまうことを許してほしい。そんな最低な祈りをしながら、俺は魔鋼の刀を強く握り締めた。

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