rev1-39 俺の娘を返せ
狼の声がまだ聞こえる。
少し前までは、なにを言っているのかはわからなかった。
でも、いまははっきりと聞こえてくる。
「ぱぱぁ、どこ、ぱぱぁ? こわいよぉぉぉ!」
あの子の声が、シリウスの泣き声がはっきりと聞こえてくる。あのときと、「鬼の王国」でフェンリル化したときと同じだ。
あのときのシリウスは自分を見失っていた。力に酔いしれ、闇に堕ちていた。そのせいで巨狼にと変じていた。……自分で自分を抑えきれない、暴走する巨狼にと。
でも、あのときは助けることができた。
だけど、今回は助けられるかもわからない。
あのときは、母さんがプレゼントとして贈ったリボンがあったから助けることができた。
しかし、俺が見たところ、プロキオンはあのリボンを尻尾に巻いてはいなかった。状態異常を完全に無効化するチートアイテムであるリボンがなくなっていた。
もし、プロキオンがあのときと同じように闇に堕ちてもリボンさえあれば、どうにか助けることはできる。そう、リボンさえあれば助けられるんだ。
だが、あのリボンは見たところ、プロキオンは持っていなかった。いや、持っているわけがなかった。
リボンがなければ、助けることは難しい。あのときとは違って、殺すことしかあの子を止めることはできないのかもしれない。
むしろ、殺さないとイリアやルリ、ベティが死んでしまう可能性がある。 それだけは裂けなければならない。
かと言って、俺を呼び続けるあの子を殺したくはない。
もし、プロキオンがシリウスでなかったとしても、そんなことはどうでもいいんだ。
たとえ、プロキオンが別人であったとしても、シリウスを元に造られた存在だったとしても、俺にとってはそんなことは些細な問題だ。
だって、あの子は「カレン・ズッキー」をパパだと言った。なら、あの子は俺の娘だ。シリウスの双子の妹のような存在なんだ。
あぁ、わかっている。
わかっているんだ。
プロキオンとシリウスは別人であることはわかっているんだ。
本当は認めたくない。
プロキオンとシリウスは同一人物だって俺は思いたい。
でも、違う。
プロキオンとシリウスは同一人物ではない。別人だった。
思い返せば思い返すほど、わずかな差異が気になった。そしてその差異からわかってしまう。
あぁ、この子はシリウスじゃないと。シリウスとそっくりだけど、シリウスじゃない。それをはっきりと理解できてしまった。
それでも認めたくはなかった。
だって、それではまるでシリウスはもうどこにもいないと認めているようなものだ。
シリウスはきっとどこかでまだ生きてくれている。そう俺は願っている。ルリが、カティはまだ消滅していないと思っているのと同じように。シリウスはまだ生きていると俺は思っている。そう思うことにしている。
だけど、シリウスの生存を願うことと、シリウスのクローンであるプロキオンを助けたいと思うことは別の話だ。
だって、そうだろう。
プロキオンは「カレン・ズッキー」をパパと呼んでいる。
そう、俺をパパだと呼び慕ってくれている。
たとえ、その記憶がプロキオンのものではなく、シリウスから流用したものであったとしても、あの子が俺をパパだと認識していることには変わりはない。
なら、あの子は俺の娘だ。
シリウスとうり二つな、シリウスの双子の妹だ。……俺にとっての恋香と同じように。
なら、俺は助ける。
いや、助けたい。なにがあっても、プロキオンを助ける。
子供が泣き叫んでいるのに、駆けつけない親がどこにいる?
中にはいるかもしれない。
親の中には子供を愛していない親だっている。子供を邪魔者だと考えている親だっているだろう。
親だからと言って、子供を愛していなければならないというわけじゃない。すべての親が子供を愛しているわけじゃない。地球にいた頃、親が子供を殺すという事件が報道されるのをそれなりの頻度で見かけた。
だけど、その親にもなにかしらの事情はあったのかもしれない。その事情も知らないうえにわからないのに、批難する気はない。批難はしないけれど、俺はそうなりたくないとは思う。
たとえ、どんなに愛情を向けても子供がその愛情に応えてくれなかったとしても。
たとえ、その子供にどんな仕打ちを受けたとしても。
俺は自分の子供を殺したくない。
自分の子供をなにがなんでも守る親になりたい。
だからこそ、俺はプロキオンを助けると決めた。
たとえ、プロキオンがシリウスでなくても。
プロキオンがシリウスを元に造られたクローンであったとしても。
プロキオンも俺の娘であることには変わらない。親と娘という日々を過ごしたことがなくても、俺はプロキオンを娘だとはっきりと言い切れる。プロキオンがいまの俺を殺したがっていたとしても、俺はあの子を愛するともう決めている。
自分の子供を助けることに理由なんていらない。
その先に待ち受けるのが罠だとしても、その罠を踏み抜いてあの子を助ける。
俺はもう「カレン・ズッキー」ではなく、「レン・アルカトラ」になっている。
いろんなものを失い欠けたとしても、親であることまでを欠けさせてはいない。それが過去と現在を繋ぐ唯一のものだ。
だから俺は親としてあの子を助ける。だからいま俺は駆け抜けている。
たとえ、どんな艱難辛苦が待ち受けていても。
この世界を破壊することが最終的な目標であったとしても。
愛する娘のために、なにをおいても駆けつけよう。
娘の涙を拭うために、全身全霊を懸けよう。
その笑顔を守るために、戦い抜こう。
それが俺の変わることのない想いであり、誓いだった。
その誓いを守り抜くための戦いが、これから始まる。
すでに山頂まではもうわずかだった。
地震に似た震動が山頂では起きているし、あの子の泣き声はいまだに聞こえてくる。
山頂に着いたと同時に死闘が始まるのは目に見えている。
いま、あの子がどういう状況にあるのかはわからない。
なんとなくの予想はあるけれど、確定はしていない。
でも、うんざりするほどの問題が起きていることは間違いない。そしてその問題にあの女が、アルトリアが関わっていることもまた。
どうして生きているのかはわからない。
なぜここを嗅ぎつけたのかもわからない。
プロキオンになにをしたのかもわからない。
だが、それは全部どうでもいい。
わかっていることはひとつ。そうたったひとつの答えだけ。
「俺の娘を傷つけ、泣かせたこと。後悔させてやる」
アルトリアはプロキオンを傷つけ、泣かせた。その報復は行わなければならない。それが親としての俺のやるべきことだった。……娘をまた守ることができなかった、情けない親であるけれど、それでも俺が親であることには、パパであることには変わりない。
だからこそ、俺はいま──。
「プロキオン!」
──山頂にと来た。
山頂は楕円形でそれなりの奥行きがある広場だった。その広場ではイリアたちと口元が白骨化した青白い毛並みの巨狼、そしてその頭の上に腰掛けたアルトリアらしき仮面の女がいた。
「レン様!」
イリアの叫ぶ声に次いで、ルリとベティがそれぞれに俺を呼んでいた。そして仮面をつけた女は、陶酔したように俺を見つめている。なにか口ずさんでいるが、どうでもいい。いま大事なのは──。
「俺の娘を返して貰うぞ」
──巨狼にと変じたプロキオンを助けることだ。たとえ、なにがあっても、俺はあの子を助けてみせる。俺が俺であるために。変わらぬ誓いを貫くために。俺は俺の戦いをすることを決めたんだ。




