rev1-38 娘たちのこと
「レンさんと、奥さんの娘?」
山頂から聞こえてくる泣き声。その声の主がレンさんの娘さん。
でも、ベティちゃんの声とは、まるで違っている。つまりはベティちゃん以外の娘さんということ。ベティちゃんが言っていた「おねえちゃんたち」という言葉がリフレインした。
「……ベティちゃんが言っていた「おねえちゃんたち」のおひとり、ってことですか?」
「……あぁ、そうだよ」
レンさんはとても辛そうでした。いまにも泣いてしまいそうなほどに、その目は弱々しかった。それでもその目は、まっすぐに山頂を見つめていた。
「……ベティには、いや、俺には娘がいた。コサージュ村に来るまでふたりの娘がいたんだ。名前はシリウスとカティ。シリウスが姉でカティは妹だった。シリウスは十歳くらいで、カティは五歳くらいの子だった」
「くらい?」
娘であるのに年齢をくらい、と呼ぶのは不思議というか、おかしかった。でも、その事情は続く言葉で理解できた。
「ふたりとも人間じゃなかったからね。ふたりは狼の魔物だった。狼の魔物が人化の術を使って人の姿になっていた。それでもあの子たちは俺の娘だった。俺をパパと言って慕ってくれていた」
レンさんの目は山頂を見つめながらも、どこか遠かった。それがベティちゃんたちのお姉ちゃんたちに当たるふたりの狼の姉妹のことを思い出していたからでしょう。
「……もともと俺とあの子たちには血の繋がりはない。いや、俺とだけじゃない。シリウスにもカティにも血の繋がりはなかった。俺たちは全員赤の他人だったんだよ」
「え?」
「……いや、そもそも俺はふたりから「パパ」と呼び慕われる存在ではないんだ。だって俺は、ふたりの両親を揃って殺している」
レンさんが口にした一言は私から言葉を奪うには十分すぎた。娘の両親を、彼女たちの本当の両親を揃って手に掛けた。それは想像もしていなかったもの。いや、想像なんてできるはずのないもの。
いったいどういう状況であれば、そんなことになるのかがわからなかった。いや、それ以前に自分で殺した魔物の子を娘として育てるというのはどういう状況だったのか。そして両親を殺されたというのに、レンさんを「パパ」として呼び慕っていたその子たちは、本当の心はどうだったのか。私にはわからなかった。想像だにできないことというのはまさにこのことだった。
そんな私の視線を浴びつつも、レンさんは私ではなく、山頂を、いや、虚空を睨むようにして眺め続けていた。
「……シリウスのときは、目の前で友達を殺された、その怒りでだったよ。最終的にはあの子の父親に託された。当初シリウスはただのウルフで、人化の術を使えなかった。だからあの子が女の子だということには気づいていなかった。感覚的には娘というよりもペットに近かった。でも、グレーウルフに進化して人化の術が使えるようになってからは、娘として接するようになっていったよ」
「……ベティちゃんと同じ、進化を?」
「あぁ。シリウスはそこからさらに進化をしてシルバーウルフになったけどね」
「シルバーウルフって」
また言葉を失った。ウルフ系統の特殊進化個体であるグレーウルフがさらに進化した存在がシルバーウルフ。でもグレーウルフ自体の個体数が少ないこともあり、シルバーウルフはもはや伝説の存在と言ってもいい。その伝説の存在に進化した。レンさん自身、規格外ですが、その規格外さは娘さんにも通じるようです。
「まぁ、シルバーウルフで留まらなかったけれど」
「それってどういう」
「……カティはシリウスがシルバーウルフになってから出会った。最初あの子は半ば死体同然だった」
私の疑問に答えることなく、レンさんは二人目の娘さんであるカティちゃんのことを話し始めました。シリウスちゃんのことをもっと聞きたいのだけど、カティちゃんについても気になることを言われてしまった。
「死体同然って?」
「そのままの意味さ。カティは出会ったとき、化け物に囚われていた。その化け物の体の中にいたんだ。そしてその化け物の中にはあの子の両親もいた。あの子の両親は化け物に吸収されていたけれど、あの子だけは必死に守っていた。そんなあの子を俺は助け出すことはできた。でもあの子の両親は助けられなかった。化け物と一緒に消滅させるしかなかった。助けたときからあの子はグレーウルフだった。もともとグレーウルフだったときに化け物に両親と一緒に囚われていたんだ。……神代の頃からいままでずっと」
「神代の頃からって」
またありえない言葉を聞いてしまった。シルバーウルフに進化したという言葉の次は、まさかの神代だった。母神スカイストが地上に降り立っていた時代。それが神代でした。優に数千年は昔。つまりカティちゃんは数千年も昔から化け物に囚われていた。そしてご両親は数千年間、カティちゃんを守り続けていた。自分たちは吸収されながらも、娘だけは守っていた。そんなご両親をレンさんは化け物と一緒に消滅させた。カティちゃんは助けることはできたけれど、吸収されていたご両親までは助けられなかった。
でも、それは無理もないことです。
だって吸収されたということは、もう意識だけの存在になっていたはず。肉体があれば助けることはできたかもしれない。
けれど、肉体が存在しない、意識だけの存在を助けることなんてできるわけもない。そんな奇跡を起こせるのは母神様だけです。そしてレンさんは母神様じゃない。だから無理もないこと。
むしろ、囚われていたカティちゃんを助けられたこと自体が、もはや奇跡でした。奇跡はそう頻繁に起こせるわけがない。頻繁に起こらないからこそ奇跡でした。
だから無理のないことです。
いえ、ある意味では当然だった。
それどころか、カティちゃんのご両親にとっては救いだったでしょう。必死に守り続けていたカティちゃんを救って貰い、自分たちを楽にさせて貰えた。それは殺したというよりも介錯だったと言っていい。
そしておそらくはシリウスちゃんのご両親の時もそうだったのかもしれない。シリウスちゃんとカティちゃんがレンさんを「パパ」と呼び慕っていたということを踏まえると、レンさんがしたことは、両親を殺したというわけではなく、介錯してくれたと考えていたのかもしれません。
いや、そうとしかありえないでしょう。もしそうであれば、レンさんはシリウスちゃんもカティちゃんの両親も殺したわけではない。ふたりのご両親を救ってあげられたのでしょう。だからこそ、シリウスちゃんとカティちゃんをご両親から託された。託すにふさわしい相手だと思われたから。
でも、レンさんにとっては罪の意識はずっと残っていたでしょう。その分だけ、ふたりをレンさんは愛された。……ベティちゃんにするように、でしょう。ベティちゃんもまたふたりのように助けはしたのです。でも、二人とは違い、ベティちゃんは託されたわけじゃなかった。だって、ベティちゃんを助けたときにはすでにベティちゃんのご両親、いえ、あの子の一族はもう……。
「……俺はいつも遅すぎる。いつも最少の数しか助けられないんだ。最大まで助けることができない」
「……レンさん」
「……でも、今回は助けられるかもしれない。山頂にいるあの子を、シリウスを助けられるかもしれない。いや。助けたい。助けるんだ」
レンさんの目に光が戻る。強い意志の光が宿っていく。
「無理をさせるかもしれない。それでも構わないか?」
レンさんは私をじっと見つめた。その視線になぜか胸がどくんと高鳴っていた。
「……はい、もちろん」
「ごめんな」
「いえ、お気になさらずに」
申し訳なさそうに謝られたレンさんに私は精一杯の笑顔を浮かべた。レンさんは「ありがとう」と言って笑っていた。仮面で顔のほとんどを隠されていても、その表情が笑顔になっていることはわかった。その笑顔を想像しつつ、私はまた胸を高鳴らせていた。どうして胸が高鳴るのかを理解できないまま、再び山頂へと向かい始めたレンさんの腕の中で、自分自身の変化にただ困惑し続けていた。




