rev1-4 プロキオン
遅くなりました。
今回はちょっとグロいです。
シリウスの首筋にと鞘を打ち込む。
それは気を失う程度の一撃。死ぬことはおろか、後遺症も残らない一撃だ。
かくいう俺も子供の頃にさんざん弘明兄ちゃんに気絶させられてきた。一心さんは「さすがによそんちの子を気絶させられないからねぇ」と笑っていたけど、弘明兄ちゃんはためらいなく気絶させてくれたもんだ。いま思えばあの人鬼すぎる気がする。でも優しいときは優しかったし、あの日々があったからこそ、いまの俺はいる。
そしてそれはいまも同じだ。弘明兄ちゃんほどではないけど、それなりに剣の腕は立つ。だからこそできる。シリウスをさほど怪我させないように制圧させられる。それがこの一撃だった。
その一撃はすんなりとシリウスの首筋に入った。シリウスが目を見開き、その体が硬直し、ゆっくりと倒れ込んで──。
──ぐちゃり
「……ぇ」
シリウスの体からゆっくりとそれは零れ落ちた。シリウスの体は倒れこみ、それがあった場所からは黒々とした血が体から流れ出ていく。
そしてもともと体にあったそれは、俺のすぐそばにまで転がっていた。
少し前までは光が宿っていたはずの瞳にはもう光はなく、虚ろな瞳で俺を見上げていた。
「ぁ、ぁ、あぁぁぁぁぁーっ!」
絶叫が響く。うるさいくらいの絶叫は、最初誰のものだったのかもわからなかった。
シリウスに声を掛けたいのに、うるさい絶叫のせいでシリウスに声をかけてあげられない。うるさくてたまらない。黙れと言いたい。言いたいけど、なぜか声が出ない。
絶叫に負けない声で怒鳴ればいいだけなのに。なぜか怒鳴ることができなかった。なんで怒鳴れないんだろうと思っていた。
でもすぐにわかった。絶叫していたのは、ほかならぬ俺であることに。俺自身が絶叫していたんだ。愛娘の首を落としたこと。俺の手でシリウスを殺したこと。その現実に耐えきれなくて、俺は叫んでいたんだ。
叫びながら俺はシリウスの首を掻き抱いた。そんなことをしても意味なんてないのに。無意味だとわかっていても、この子の体から温もりが消えないようにしたかった。もう心臓は止まり、意識も消え失せ、いずれは腐臭を放つだけだとわかっていてもシリウスの首を抱き締めずにはいられなかった。
「死ぬな。死ぬなよ、シリウス。パパを置いていかないでくれ!」
もう死んでいる相手になにを言っているのか、と冷静な自分が言っていた。いや、冷静な自分じゃない。俺の中にいる化物が嘲笑っているんだ。「愛娘を殺したのはおまえだろう」と。「あのとき助けてくれた愛娘を、おまえは殺したんだ」と。化物は笑っている。
違うと言いたかった。殺したくて殺したんじゃない。俺はただシリウスに話を聞いてもらいたかった。冷静になってもらいたかっただけだった。
でもそのためには、シリウスをほぼ傷つけることなく制圧しないといけなかった。
だから気絶させようとしたんだ。殺そうとしたわけじゃなかった。
『じゃあ、なぜおまえの愛娘は死んだ?それも首を落とすなんて罪人のような死に方をした?』
化物の嘲笑う声が聞こえた。
その嘲笑に返す言葉が見つからなかった。気絶させるためだけの一撃で、俺はシリウスを殺してしまった。
首を落とすことで、俺が殺した。その死に方はまるで罪人のようだ。助けるための一撃がこの子を殺してまった。
でも違う。殺したくて殺したわけじゃない。話を聞いてほしかっただけだった。ただ冷静になってもらおうとした結果が──。
『殺したくて殺したわけじゃない。でも結果的に殺めてしまったことには変わらない。かわいそうなシリウスちゃん。大好きなパパに無惨にも殺されてしまったのだから。本当にかわいそうねぇ。クスクス』
「違う」
『違わないわ。あなたは話を聞いてもらいたかったからと言っていたけど、それって恋慕したストーカーが、ストーカー相手の目の前に現れて話を聞いてもらおうとしたけど、相手からは気味悪がられたうえに、悪態まで吐かれてしまい、ついカッとなった結果、相手を殺してしまったというわりとよくあるストーカー殺人によく似ているわよねぇ。特に「殺したくて殺したわけじゃない」って言うところが似ているわぁ』
化物が頭の中で笑っている。「違う!」と否定した。頭を振りながら否定する。けれど化物の笑い声は響く。
『違わない。あなたがね、その愛娘とかいうワンちゃんを殺したのは、最初から殺すつもりで殺したのよ。でなければ、なんでそのワンちゃんは死んでしまったのかしらね?あなたがもともと殺すつもりで攻撃したからでしょう?』
「違う!」
『じゃあ、なんでその犬っコロは死んだの?あぁ、犬っコロだから?もともとあなたはその子を愛娘だなんて思っていなかった。あなたにとってそれはただの愛玩動物にしかすぎなかった。いえ、愛玩動物でもないかしらね?愛玩動物であれば、愛着が沸いているのに殺すことなんてない。でもあなたは殺した。まぁ、中にはいるかもしれないけど、でもあなたはそういうタイプじゃない。となれば、あなたにとってそれは愛玩動物でもなかった。ただのオモチャだったのよ。「家族ごっこ」というあなたのだ~い好きな遊びをするためのお気に入りのオモチャが、そのシリウスちゃんだったのでしょう?』
「違う!そんなわけがない!俺は本気でこの子を、シリウスを!」
『じゃあ、なんで殺したのよ?』
「違う!違う!俺は殺したくて殺したわけじゃない!おまえは黙れ!」
『おまえが黙れよ、偽物。さぁ、さっさとそこを退きなさい。この世界を滅ぼすんでしょう?なら私がさっさとしてあげる。この世界から命という命をすべて刈り取って、街も山も海さえもすべて破壊してあげる。私なら指を鳴らすくらいの力でできるわよ?あなたの代わりに、あなたが手を汚すこともなく、すべてを灰塵にしてあげる。だからさっさとそこを退いて、私と代われ』
化物の声が頭の中で響いていく。いつもなら聞こえないはずの奴の声に、意識が蝕まれていく。
視界が徐々に霞んでいって──。
「主様!」
──声がまた聞こえた。同時に唇に柔らかなものが押し付けられた。霞んでいた視界がクリアなものになっていく。目の前には仮面を外したイリアがいた。イリアは唇を押し付けながら、俺をじっと見つめてくれていた。
(イリ、ア?)
『……愛妾にしかなれぬホムンクルス風情が私の邪魔を。くそ、また力を貯めない、と……』
化物の声は、頭の中で響いていたはずの化物の声は徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
それと同時にイリアが離れていく。不思議とそれが少しだけ残念だと思った。
そんな俺の心情を理解しているのかいないのか。イリアはただ笑ってくれた。「あまり心配を掛けさせないでください。ベティちゃんが泣いてしまうので」と言いながら。そのベティはルリの腕の中にいた。イリアに預けられたみたいで、少し不満げだった。
「……悪い。少し取り乱した」
「いえ、シリウスちゃんが──っ!主様!」
イリアが叫ぶ。なんだろうと思ったときには二刀の短剣がそれぞれに振られるのが見えた。とっさにイリアを片腕で抱き留めて、飛び下がると首を失ったはずのシリウスの体がひとりでに動いて短剣を振っていた。
「……これはいったい──っ!?」
「主様!?」
状況が理解できず困惑していたら、不意に鎖骨の辺りから鋭い痛みが走った。見れば、シリウスが俺の鎖骨に噛みついていた。光のなかった瞳には獰猛な光が宿り、俺を噛み殺そうと牙を剥いていた。……白骨化した口を大きく動かしながらだ。
「アン、デッド?」
シリウスの覆面の下は白骨化していた。覆面の上は記憶の通りのシリウスなのに、覆面の下は骨になっていた。骨が見えているわけではなく、肉も皮もなくなった骨だけがそこにあった。ただ赤い舌だけがそこにはあった。
「離れろ!」
イリアがシリウスの頭を掴み、無理やり引き離し、投げ飛ばした。そうして投げ飛ばした頭をシリウスの体は難なくキャッチすると頭を元の場所に押し込んだ。その間もシリウスの口はくちゃくちゃと咀嚼を繰り返していた。
「主様!大丈夫ですか!?」
イリアが慌てている。「大丈夫だ」と返事をしたけれど、鎖骨辺りの肉を喰われてしまった。幸いなことに神経まではいかなかったけど、治療してもらうまでは動かせそうになかった。
そんな俺の姿にシリウスはにやりと口元を歪めて笑い、咀嚼していた肉を吐き捨てた。
「パパを殺した奴の肉は、本当にまずいなぁ。でもこれで殺しやすくなった」
シリウスはみずからの双剣をれろと舐めていた。舌のある骨という意味のわからない姿であるのに、その舌はどこか艶かしかった。
でもそれ以上の不気味がそこにはあった。
「ふふふ、もう少しだよ、パパ。もう少しで仇を取れるからね。そうしたらまま上も誉めてくれるもん」
ふふふ、と怪しく笑うシリウス。「パパ」に話しかけながらも「まま上」と言っていた。「まま上」というとひとりいる。でもそのひとりは死んだはずだ。ほかならぬシリウスの手で。
「シリ、ウス。いったいなにが」
「……おまえに「シリウス」と呼ばれる筋合いはない。私を「シリウス」と呼んでいいのは、パパとまま上だけだ!」
ぎりっと奥歯を噛み締めながらシリウスは睨んでくる。激しい憎悪と強い殺意が入り交じった瞳を向けられた。
だが、シリウスは不意に笑った。その笑顔は狂気に染まっていた。
「まぁ、いいや。どうせおまえはここで死ぬもんね。冥土の土産って言うんだっけ?その代わりに教えてあげるよ。いまの私はシリウスじゃない。私の名はプロキオン。おまえを殺す者だ!」
シリウス、いや、プロキオンは笑った。笑いながらその手にある凶刃を振りかぶった。
はたして「まま上」は、あの「まま上」なのかはそのうちにですね。




