Act0-14 「英雄」とは
「さて、まずは非礼を詫びよう」
ラースさんは、唇の端から血を流しながら言った。
「えっと、その前にまず口元を拭ったほうが」
「うん? ああ、血のことか。気にすることはないぞ」
俺が言うことではないと思うけど、血を流したまま、話をされるのはどうにも落ち着かないというか、ちょっと不気味だ。
もっともラースさんを殴った結果がそれなのだから、俺がとやかく言うことではなかった。むしろ俺は謝るべきだ。なにせ挑発されているのはわかっていたんだ。それも俺のために、挑発していた、というのはわかっていた。それでも俺はその挑発に乗って、ラースさんを殴ってしまった。
日本であれば、罪に問われるレベルだ。まだこれが家族や友人であれば、話は別になるのだろうけれど、会ったばかりの相手を殴れば、罪になることだった。ここは日本ではないから、日本の法律は通用しない。しかし殴った相手は、この国の王さまだった。その時点で、日本以上の罪に、下手をすれば極刑とされても文句は言えない。が、ラースさんは俺を罪に問う気はないようだった。
「俺を罪に問う気はないんですか?」
「なぜだ? 悪いのはそもそも我であろう。そなたの価値を勝手に決めたうえに、そなたとそなたが敬愛するご両親を貶してしまったのだ。ならば、殴られて当然。この怪我は我の罪の証だ。ゆえにそなたを罪に問うことなど、どうしてできようか。だいたい、そなたをこの場に招いたのは我だ。いわば客人を罪に問うなど、それこそ恥知らずと言うべきであろうよ」
ラースさんは、言いながら、服の袖で口元を雑に拭った。気にするな、とは言っていたけれど、俺が気にしているのを気遣ってくれたのだろう。
自分こそが国であり、自分の決めたことが法となる、とか独裁者じみことを言っていたけれど、この人は正しく王なんだ、というのがわかる。同じ王さまだというのに、あのおっさんとはなにもかもが違う。単純に年季の差というのもあるんだろうけれど、それ以上のなにかがあるんだろう。そのなにかは俺にはまだわからない。なにせ、王さまという存在に会ったのは、今日が初めてなんだ。だから王さまとはなにかと言われても、俺には答えようがない。けれど、わかるものはある。王さまっていうのは、ラースさんみたいな人のことを言うんだろう、ということは。それだけははっきりと言い切ることができた。
「ラースさんって、本当に王さまなんですね」
「我など、まだまだひよっ子だ。王とはなにか。その命題の答えをまだ出したとは言い切れぬ。我なりの答えは見えてきた気はするが、まだまだであろうよ。いずれは答えが、はっきりと見えるのだろうがな」
「ラースさんがひよっ子なら、エルヴァニア王なんて、生まれてさえもいないんじゃ?」
「名君だけが王と呼ばれるのであれば、そうであろうな。しかしあれはあれで、王という超越者のひとつの形なのだと思うぞ? まぁ、民の嘆く姿は、目を覆いたくなるほどであろうがな」
ラースさんはエルヴァニア王のあり方を、認めてはいるようだ。ちょっと意外だった。とはいえ、俺自身、あのおっさんが、王としてどうふるまっているのかは知らない。
まぁ、勇ちゃんさんの口ぶりからして、ろくでもないというのは明らかだったし、それに「聖大陸」が荒れ果てた土地であるのにも拘わらず、ああも肥え太っているということは、それだけの生活をしているということだ。
エルヴァニアは大国であるみたいだけど、国民全員が豊かな生活をしているとは思えない。豊かな生活ができているのは、一部の特権階級の人間だけ、っていうのは、地球でも同じだ。一部の人間だけが、栄華を極め、それ以外の大多数の人間は貧困にあえぐ。日本では、考えられないことだけど、世界に目を広げれば、そういう地域や国々があるのも事実だった。
この世界では、特に「聖大陸」では、それがあたりまえなのかもしれない。この世界に長くいればいるほど、見たくない光景を見ることになるのだろう。とはいえ、星金貨一千枚がなければ、元の世界に戻ることができない以上、嫌でも見ることにはなるのは確定していた。
そしてエルヴァニアは、「聖大陸」の中でも、特にやばそうな気がする。どういう風になのかは、まだわからない。が、ラースさんが「民の嘆く姿」というくらいだ。よほど貧困の差が大きいんだと思う、そしてそれをあのおっさんは見ようともしていないのだろう。もしくは、自分のための贄くらいにしか思っていないのかもしれない。勇ちゃんさんが、嫌うのもわかる。あくまでも俺の想像だけど。
「エルヴァニア王のこと、認めているんですね、ラースさんは」
「あれと同類扱いはされたくないが、少なくとも金を生み出すことに関しては優秀だろう。もっともその金を懐にしまい込み、金の流れを滞らせているということに気づいておらんところが、あれの最大の欠点であろうな。まぁ一国の王としての器ではなかろう。それを戴くしかないのが、エルヴァニアの人材不足を物語っているな」
大国であろうとも、人材不足になる。大国というくらいなのだから、その分だけ人はいるだろうに。それでも人がいないというのは、にわかには信じられないことだった。
「もっとも人材がいないわけではないのだろうさ。ただそれを探す努力を怠っているのが、いまのエルヴァニアだ。人材がどこにいるのかなどわかないのだ。現に我の前には、エルヴァニア王、いや「聖大陸」の王であれば、誰もが望むであろう、とびっきりの人材がいるというのに、それを捨て駒にするのだから。エルヴァニア王の人を見る目がどれほどなのかは、考えるまでもないな。まぁ、我が偉そうに言えることではないがね」
ラースさんは俺をじっと見つめながら言う。けれどその言葉の意味が俺には理解できなかった。完全に理解できないとまでは言わない。ただ、自分でも状況を呑み込めなくなってしまっていたというだけのことだ。
いままでは、どうにか状況を呑み込むことができていた。しかしいまは完全に理解できなくなってしまっていた。なにせいきなり拳がゴールデンに光ったんだ。そりゃあ、理解できないのも無理もない。こっちに来るまでにも、拳が光ったことがあるのであれば、まだよかった。
しかしこっちに来るまでに、俺の身にそんなアニメの世界のような出来事が、起きたことはない。それが突然起きたんだ。理解できなくなるというか、頭の中がフリーズしてしまうのも無理もなかった。
とはいえ、いつまでも現実逃避をしていいわけがなかった。そろそろ現実に目を向けるべきだった。




