Act9-405 愛憎の弾幕に
「……レア」
ククルさんの用意した船には、船の船首からは返り血を浴びたレアがゆっくりと歩いてきていた。
レアはとても楽しそうに笑っている。にこにこと、いかにも愉快そうな顔をしている。
けれど俺にはいまのレアの姿を見て愉快とは決して言えない気分になっていた。
海を思わせる蒼い髪が血でべったりと染まっていた。
顔の半分はやはり真っ赤な血で汚れ、口元に滴っている血を、紅い舌がぺろりと舐め取っていく。舌だけは普段見知っているままだった。
でもいまの姿は、とてもではないけど、俺の嫁のレアとは似ても似つかないほどに酸鼻極まった姿だった。
(……本当に別人みたいだ)
俺の知っているレアとは、まるで別人だった。俺の心境とは異なり、当のレアはただ笑っている。凄惨な光景を作り出しただろうに、なにもなかったかのように笑い続ける姿を見て、胸が痛んだ。でもどんなに胸を痛めても、この気持ちが彼女には伝わらない。
俺を見つめる蒼い瞳には、少し前まではあった愛情はなくなっていた。いまあるのは、侮蔑と殺意が入り交じった悲しい光だけ。その悲しい光を見つめながら尋ねた。
「……なんで殺したんだ?」
「はい?」
「この船の乗組員をなぜ殺したんだ?」
どんなに忙しくても、あれだけ船が揺れれば、いくらなんでも誰かが見に来そうなものだ。
でもその気配はない。いや、そもそも俺たち以外の人の気配をまるで感じなかった。
加えていまのレアの姿だ。レアは血を浴びるという趣味はない。その上で血を浴びているということは、それが返り血であることは間違いない。
返り血を浴びていることを踏まえたうえで、乗組員が姿を現さない。そのふたつは同じ答えを指し示している。つまりは、レアがこの船の乗組員たちを皆殺しにしたということだった。
「ふふふ、さすがですね。よくおわかりで」
「……あぁ、わかるよ。舵を切ったのもレアだということも」
「蛇王様が?」
アイリスが驚いた顔をしていた。
アイリスからしてみれば、レアのした行動は意味のわからないことなんだろう。
この船はまっすぐにあの洞窟のあった高台に向かっていた。
あのまま舵を切らなければ、高台に衝突して船は座礁した。いや、座礁どころかそのまま沈没した可能性もある。
アイリスが疑問符を浮かべるのも当然だ。舵を切らなければ、容易く殺すことができた。なのになぜわざわざ舵を切ったのかと思うのは当たり前のことだ。
「乗組員が舵を切った方が自然では?」
「それはない」
レアの体の返り血を見る限り、まだ乾いていないことを踏まえると殺してからそう時間は経っていない。
でもたったいまというわけでもない。
たったいまであれば、なんの音もなしというのはさすがにありえない。
恐らくは俺たちが乗り込むときには、すでに乗組員たちは殺された後だと思う。
となると舵を切ったのが誰なのかは考えるまでもない。けど、どうして舵を切ったのかがわからない。
「舵を切らなくてもそのままぶつけることはできたはずだ。なのになんで舵を切ったんだ?」
ゆっくりと体を起こしながら、レアを見やる。レアはにっこりと笑って言った。
「あなたは私の獲物ですから。あなたを殺すのは私の役目ですもの。ええ、そうです。あなたは私が殺さないといけません。だってあなたが死んでくれないから私は、かわいい愛娘を手に掛けることになったんですよ?そう、すべてはあなたのせいです。あなたがさっさと死んでくれないから、私はカティちゃんを殺すことになった。いわば、あなたは愛娘の仇なんです。だから事故であっさりと死なれては困ります。私の手で惨たらしく殺してあげないと気がすみません」
レアは口元を歪めて笑った。
その内容は言い掛かりだった。でもいまのれあにとってはそれが事実なんだろう。
いままでも言い掛かりに近いような内容で追いかけ回されたけど、今回のように憎悪しかない言い掛かりをされるのは初めてだった。
(本当に俺を憎んでいるんだね)
わかっていたことではあったけど、そのわかっていたことを突きつけられると、胸が痛くなる。
でもレアは俺を見ないまま、周囲に無数の、色とりどりの弾幕を浮かべさせていく。
「さぁ、惨たらしく死んでくださいね。大っ嫌いな旦那様?」
レアが指を弾く。その音を合図にして無数の弾幕が我先にと襲い掛かってきた。襲い掛かる弾幕越しにその先にいるレアを、楽しそうに笑う彼女を俺は見つめていた。




