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Act9-381 否定の涙

本日3話目です


やった。


今度こそ確実に殺せた。


忌々しい雌犬を殺すことができた。


私から旦那様を、愛娘を奪おうとする忌々しい雌犬を殺すことができた。


本当に雌犬は忌々しい。何度殺してもすぐに目の前に出てくるのだから。


そのたびに殺すけども、次もきっとすぐに現れるはずだ。

きっちりと殺しきらないとまた現れてきそうだった。


ならば、いまするべきことは、このまま胸を貫くだけじゃダメだ。


いまするべきことは、この雌犬の心臓をズタズタに切り裂くこと。そして最終的には雌犬の首を切り落とすこと。


そこまですれば、たとえどんなにしぶとくともさすがに死ぬはずだった。


少なくともまた現れるには時間が掛かるはずだ。


その間に旦那様の心と愛娘たちを取り戻せばいい。


そうすれば雌犬がまた現れても、いまの私のように疎外感に苛まされるはず。あの雌犬が奪った私の居場所を取り戻せるはず。


(あぁ、やっと。やっと、やっと取り戻せた。私の居場所。私だけがいられる場所を取り戻せた)


感無量というのはきっとこういうことだろう。


不遇だった時間が、涙で枕を濡らす日々も、アイリスを痛め付けてその血に濡れる虚しい瞬間も。すべて報われる。


(あぁ。あぁ!いまなら、いまなら、あの日々さえも愛おしい!)


私の居場所を取り戻せたことはとても喜ばしい。


それまで過ごした日々さえも薔薇色に染まって見える。


そしてこれからはとても幸せな時間を過ごせる。


旦那様と愛娘たちに囲まれた、邪魔者は誰もいない幸せな時間を過ごせる。


(あぁ、これでようやく旦那様のお子を授かれる。シリウスちゃんとカティちゃんはお姉ちゃんとしてその子を愛してくれるだろうし。旦那様もあの雌犬に惑わされた分まで、あの雌犬に奪われていた分まで私を愛してくれるはず)


あぁ、夢のようだ。


これでようやく私も幸せになれる。


「あぁ、やっと。やっと私の思うとおりに」


ほろりと涙がこぼれ落ちていく。頬を伝う涙の心地よさに酔いしれながら、雌犬にとどめを差すべく、愛剣で心臓を抉ろうとした。そのとき。


「……わぅ」


不意に雌犬がシリウスちゃんのように鳴いた。


その瞬間沸騰しそうなほどの怒りに襲われた。


(あぁ、ダメだ。心臓を抉るなんてそんな生易しい方法じゃダメだ。この雌犬は体の内側から崩壊させてやらないとダメだ)


私からシリウスちゃんを奪っただけではなく、シリウスちゃんの鳴きまねをするなんて極刑に値する。


「死──」


「……やっぱり、ダメだなぁ」


「なに?

雌犬が呟いた。なにを言っているのかはよくわからなかった。


「……わかっているのになぁ。あなたはもうかつてのあなたじゃないことは、わかっているのに」


雌犬はなぜか泣いていた。


なぜ泣くのかがわからない。いや言っていること事態が理解できない。


理解できないでいると雌犬は、なぜか私を抱き締めた。


触れるな、と言いたかったし、言おうともしていた。


けれど言えなかった。


言うことはできなかった。


抱き締められて感じたぬくもりに、覚えがあった。いや、覚えがあるどころじゃない。このぬくもりは忘れることができないし、間違いようがないものだった。


だってこのぬくもりは、私がかつて常に感じていたもの。


人の姿に、人化の術が使えるようになって。


ううん。ただのウルフだった頃から感じていたもの。


私の腕の中にいることがあたりまえだった、あの子のぬくもりだった。


「シリウス、ちゃん?」


声が震えていた。


体も震えていた。


いや、私のすべてが震えていた。


「なんで?だって私は雌犬を」


そう、私が胸を貫いたのは、雌犬だった。雌犬の胸を貫いたはずだった。


なのになんで?


なんで私は愛娘の胸を貫いているの?


どうして、私はかわいい愛娘を殺そうとしているの!?


「……私とカルディアママはそっくりだから。ううん、カルディアママみたいになりたかった。戦うときは猛々しい炎のようなあの人に。普段はお日様またいに温かいあの人に。そして風のように自由に生きていたあの人みたいに。私はなりたかったから。だから私はカルディアママそっくりになった」


シリウスちゃんは呼吸を荒くしながら言う。


やめてほしい。


あの雌犬のように。あのカルディアのようになりたかったなんて言うのはやめてほしい。


そこは大好きなまま上のようになりたかったと言うべきなのに。


なのになんで出てくるのはカルディアなのか。


わからない。どうしてそんなことをシリウスちゃんが言うのかがわからない。


「どうして?どうしてまま上みたいにと言ってくれないの?だってあんなにもまま上を、私を大好きだと言ってくれていたじゃない!」


「……大好きだったよ。あなたがノゾミママを殺そうとするまでは」


「……え?」


「……私はね。あなたが本当に大好きだったよ。優しくて温かいあなたが。魔物でしかない私を娘だと言ってくれたあなたが、本当の本当に大好きだった」


首筋が濡れていく。


その意味がわからないほど耄碌はしていない。


だって私はまま上だから。この子のまま上だから知っている。この子が誰よりも優しく、健気で、そして泣き虫であることを知っている。


だから首筋が濡れた理由はひとつしかなかった。


「でも大好きなまま上は、私が大好きだったまま上は、あの日あのときいなくなった。ノゾミママを殺そうとしたときいなくなったんだよ」


シリウスちゃんが体を離した。紅い瞳が涙に濡れている。


すっかりと大きくなってしまった。


背丈は私よりも高い。お師匠様と同じくらい。


スタイルだって私よりもいい。


顔は本当にカルディアそっくり。髪の毛の色も元は灰色だったのに、煌めく銀髪になった。


瞳の色もやはりカルディアと同じだ。私も赤色の目をしているけど、この子やカルディアの方がより色濃く澄んでいた。


だけどどんなに変わっても、中身は変わっていない。


私の大切なシリウスちゃんのままだった。だって泣き顔はまるで変わっていない。あの頃の、私の腕の中に収まっていた頃のシリウスちゃんのままなのだから。


「私が大好きだったまま上は、そんなことはしない。私が大好きだったまま上は、優しくて温かい人だった。あんな風に、笑いながらノゾミママを殺そうとする人じゃない」


「それは、違う!違うの、私は、私は!」


シリウスちゃんとの齟齬を、認識の違いを埋めようとした。


でもふと思う。


なにが違うのだろう、と。


私はノゾミを殺そうとした。


殺してその体をオブジェに仕立ててやろうと思っていた。それは否定できない事実だ。


そしてシリウスちゃんが言う「まま上」はそんなことはしない。


でも私は実際にやろうとしていた。


そんな私を「まま上」じゃないとシリウスちゃんが言うのも無理もない。


「それだけじゃない。カルディアママを殺したとき、あなたが高笑いをしていたのも知っている。プーレママに嫌がらせをしていたことも。レアママの胸をこんな風に刺したことも。アイリスさんを痛めつけて遊んでいたことも!すべて、すべて知っている!」


頭の中が真っ白になった。


私が密やかにしてきたことをすべて知られていた。


そしてそれはシリウスちゃんが言う「優しくて温かいまま上」がすることなのか。それはもう言うまでもなくて──。


「あなたは、あなたはもう私の大好きだった「まま上」じゃない!」


──シリウスちゃんは泣いていた。唇の端から血を垂らしながら泣いていた。泣きながらはっきりと私を否定した。

続きは18時予定です。

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